0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.
ar78質問者:2001.4.8
何がきっかけで今のような境地になりましたか?
前世も掴んだもの
-ありがとうございます-
私は、前世・来世が信じられないんです、本当にあるんですか?
ありがとうございます:
神さまの最高表現の頂点、無限の無限のチャンネルの頂点というのがあります。過去世とか前世というのは低い方の番組なんです。あんまり前世とか過去世とか言い過ぎると、過去を引きずる事になります、過去を引きずってあんまり良い番組には心が行かなくなります。高い番組は、過去を掴まないから一瞬一瞬最高の、最高表現だけを受け続けるから、心が自由で縛りがありません。
この世の姿はあの世の縮図になっているんです、あの世は無限のチャンネルがあります、この世はあの世の縮図としての全体をひとつにみている世界です。この世の地獄も極楽もあり、いろんな姿がいっぱいあって、この世は、何を心に選択して選び続けていくかという勉強の場なんです。
心をプラスに向けていく人も、マイナスに向けていく人も自由なんです。この世のプラスを選び続けたら心がプラスを選ぶ心になるでしょう。そうするとあの世へ行ってもチャンネルが上がっていきます。そういうチャンネル選びの勉強の場なんです。
最低の名前
-ありがとうございます-
私は自分の名前は好きなんですが、苗字が嫌いなんです、良くないですか?
ありがとうございます:
何でも好き嫌いというのは、好きになるのはプラスのものを受けたときに好きになるんです。プラスを発見できたら好き、でもマイナスになった時は嫌いになります。人がお互い好き嫌いを言うにも、相手から自分にプラスのものを与えてもらっている内は好きなんです、逆に、迷惑かけられたりマイナスを与えられたら嫌いになるんですね。
前世・過去世からの繋がりがあるでしょう、お互いにマイナスを与えすぎたら嫌いになります、でも、プラスを与え続けられていたら無性に好きになっているんです。結婚する相手を見つけるにも、好きな人と結婚するというのは借金があるんですよ(女性に大受け)、過去世でお世話になった・可愛がってもらった恩返しに尽くさなければならない責任があります。
ところが好きで結婚して、尽くして尽くして相手から尽くし返されないと、今度は自分が尽くしたほうが多くなるでしょう、借金返しを済ましてしまったら好きが消えていって、相手からマイナスを受けたら嫌いになります。
だから名前もおんなじですよ、プラスに解釈できたら好きになります。今マイナスに感じているんでしょう?どんな名前でも無限に謙虚な自分だったら全部プラスになるんだけどね。逆に最低の名前を付けたほうが良いくらいですよ、謙虚になる意味でもね。
だから法然さんは、愚禿法然とか言って自分を最低に落とすでしょう、それは、そのほうが謙虚になって感謝しやすいからです。だから最低の名前・悪魔ちゃんじゃないけれど、一番最低の名前のほうが良いんですよ、謙虚になりたい自分にとったら最高じゃないですか。
一瞬一瞬を楽しむ
-ありがとうございます-
子供を育てる上で、型にはめないでおおらかに育てたいのですが、はしゃぎすぎて人様に迷惑をかけることもありますが、迷惑とはどんなものでしょうか?
ありがとうございます:
無限のチャンネルには、迷惑を掛け合う番組もあります、はしゃぎまわる番組もあって良いですね。それを止めようとしてもなかなか止まらないですね、止める番組もあるし、ほっといても良くなる番組もあります。自分がどの番組を本当に見たいのかそれさえ決まったら方法は出てきます。はしゃぎまわらないおとなしい番組が良いのかね。
本当は、まあ元気な子ですね、と見ていけるのがいいんですけど、みんな自分の考えで決めてしまいますね、もっと自由な柔軟な心だとプラスプラスに見ていけるのにね。だから心の問題ですね、自分の問題ですね。
もしその子が寝たっきりで動けない状態だったら、這ってでも動いて欲しいと思うでしょう、走れたらものすごく喜びますね。この世に生まれてきてくれただけでも「ああ嬉しい」と思えるのが本当は正しい見方だと思います。もし生まれてきてくれなかったら、何も良いところをひとつも味わえないでしょう、生まれてきてくれた事だけでも無限に嬉しいね、五体満足で普通に育ってくれたら無限にありがたいですね。手足がなく寝たっきりでといわれたら・・・それでも生まれてきた事はありがたいんですよ。
そういうようにプラスにプラスに捉え変えていたら、走り回るほうがいいんじゃないかな。周りの人が迷惑に思っているかどうかというふうに思ったら、それも自分の浅知恵でみてる考えです。周りの人はそれを喜んでいてくれているかも知れない、わからないものね。本当に迷惑をかけているにしても、迷惑をかけられた人が過去世で迷惑をかけて、それを帳消しにしてもらうために、迷惑をかけられている姿を与えてもらって、過去の罪を消しているのかもしれないのです。
プラスに受けたほうが自分にとってはいいんです。だから、自分だけの問題かもしれないんですよ、お母さんが子供にうるさく言っているのもね、自分の立場からみたら過去世の自分の姿をマイナスにチョッと受けてもらっていると見えるかもしれないですね、そしたらもう、喜んでいるだけでいいんじゃない?「ありがとうございます」と幸せを味わうだけの行き方の方が良いですよね。プラスにプラスに。
運命に現れたこの世の形を掴んでしまう事が間違いの元なんです。さっきの物質化現象の話にもあったように、普通は入らないコーラのビンに大きいものがパッと入るんでしょう、それが又パッと抜けるんでしょう。でも、一瞬一瞬の置き換えだったら何でもないですよ、今パッとビンが物質化して出てきた、次に、入ってる姿がパッと物質化して出てきた、次に、空のビンがパッと出てきたら瞬間に空っぽになるでしょう。本当は宇宙の全てが一瞬一瞬の物質化現象ですね。
だから、一瞬だけを捉えればいいんです、すべての現象を今の一瞬だけ楽しめばいいんです、次の瞬間にまったく別なものが出てくるんです。それを無理に繋がなくて良いんです、普通・繋ぐというのは過去を掴んで残像と新しいのとをつぎ合わせたわけです。本当は繋がっていません。
今の科学でもこの世の全てが波動なんだとだいぶわかっているんです。波動というと本当は塊じゃないんです、波の変化でしょう、一瞬一瞬の変化です。変化というのは同じ物じゃありません、常に変わっています。現実の姿に執着してここにこういう形のものがあるというのは、本当は間違いです。これが、一瞬一瞬の置き換えということが本当にわかれば、執着しないで楽しむだけでいいんですよね。
禅宗に公案というのがあるでしょう、お饅頭を出されて、「これをいつ食べるんだ」と言われるでしょう、いつ食べます?・・・「今食べる」と言うでしょう、今と言うのでも無限の億万分の一秒という時間の今に食べられるかと考えてください。食べられないでしょう、今食べると言うけど無限億万分の一秒たったらもう過去なんですよ。過去になったら過去には絶対に食べられないでしょう。無限億万分の一秒未来にも、まだ未来だから来てないから食べられないですね。本当に無限億万分の一秒で口に入るかというと入らないですね。 そしたら、本当は一瞬一瞬の置き換えなんですね。食べてない姿が今出ているでしょう、次に、食べたという結果があったら、その食べている姿がパッと出てくるわけです。だから、そのつながりを人の思いで上手に連続的につぎ合わせているんです。本当は、一瞬一瞬切り離したほうがいいんです。
また、別な話で、兎と亀の追いかけっこでも良いですね。兎が亀を後から追いかけます、亀は必ず前へ進むでしょう、例えば一秒かかって前へ進んだとするね、兎も追いかける一秒かかってサッと来ます、次に亀は前へ出るでしょう、兎もチョッと早く近づきます。でも際限なくどこまでも無限億万分の一秒亀が前へ出たら、兎もその時間で追いつこうとするんだけど、限りなくゼロに近づいていくとチョッとズレがあるんです。だから、兎が亀に追いつけなくなるんです、絶対にね。
でも実際は、兎のほうが早いから追い越しますね。でもそれは、残像をつないであるからです。
だから、この世の姿もあの世の姿も、番組として現れている運命の姿全部を一瞬一瞬置き換えになっているんです。だから奇跡的な手品みたいな事が本当は何でもないんです。一瞬にパッと蕾が花開いたり出来るんです。パッと消えてもいいんです。蕾に優しい言葉をかけて素晴らしいねと言うと、喜んでしまって、時間のサイクルが短くなるでしょう喜びの世界というのはね、そうするとサッと落ちてしまう結果が出てしまうということも起こります。
高い世界の一秒は、低い世界の何億年かも知れないですね。浦島太郎の話と同じなんです、浦島太郎が竜宮城へ行っていると、竜宮城はチョッと次元が高いんです、幸せいっぱいの高い世界です。そうすると、そこでは時間がたつのを忘れているでしょう、僅かな時間がたったと思って現実に帰ったら、何百年もたっている感じなんでしょう。
感謝のない状態が欲
-ありがとうございます-
自分は幸せだなと感謝しているんですが、いろんな欲が出てきます。今が十分に満たされてないと感じるから欲が出るんだと思うんですが、それって、本当に感謝してないということなんでしょうか?
ありがとうございます:
感謝の心と欲の心とは正反対です、両極に分かれるんです。感謝というのは神さまの心とひとつになる心です、神さまの心が感謝の心です。慾という字は谷に欠ける心・・・古い字体はそうですね。谷というのは宇宙の絶対神の意味です、宇宙の絶対神の心が欠けた状態が欲なんです。感謝のない状態が欲の心になります。
感謝の心は神さまの全てを受けているから満ち足りています。いまさら求める必要がありません。必要なもの全部与えられているから、ただ感謝で喜びで満足なんです。欲のほうはその満ち足りた心がないんですね。ところが心は満ち足りた状態を知っているから、足りないものを補おうとするんです、そして、欲の心という求める心が出てくるんです。ただそれをどこへ向けるかなんです、神さまに向けたらそれがスッと満たされるんです。
だから、欲の心が出る時は、神さまの心を忘れてるよという警告みたいなものです。だから神さまのほうへ心を向けなさいよとね、感謝しなさいよねという意味です。そしたら求めなくて済むわけですね。食べ物でも、食べたいものいっぱい食べたら幸せかというとそうじゃないですね。そんなのは小さいですね、食べたときチョッと満足するだけでしょう。
本当は、必要なものを頂いて無限の感謝を捧げたほうが喜びが湧き上がってきます。食べ物を殺生して食べるというんじゃなしに、感謝して食べる心は食べ物が・お米一粒一粒が自分の命を捧げて、私の命をお使いください・食べてくださいと言っているんでしょう。命を捧げてもらって「ああ、ありがとうございます」と受けたら何か良い事して、お米が喜ぶようにしてあげないといけない。そういう深いとこまで考えて受けていけば、ご飯一膳食べるにしてもものすごく深い意味があります。 「ありがとうございます」と頂いて、何か大きい役に立つ事をさせて頂こうという気になりますね。
感謝というのはそういうように無限に価値を見出していきます。だから、まず、感謝を先行させたほうがいいんです。そしたら欲が出なくなります。食欲が悪いんじゃないですね、感謝していただくのは食欲とは言わない、感謝を忘れたときは食欲と言うのかも知れないですね。
謙虚になることが心の進歩
-ありがとうございます-
見ている番組がどの程度の次元なのか、見極める方法を教えてください。友人にサニワを職業にしている人がいるんですが、本人はやめたがっているのに、懸かっている神さまが止めさせてくれないんです。
ありがとうございます:
番組の見極め方・懸かってくる神さまの見極め方ですね。どういう神さまが懸かってくるかは大事ですね、自分の心に波長が合わないと懸かってきません、自分の心が謙虚になっていれば謙虚な神さましか懸かってこないんです。謙虚な神さまは一番高いほうの神さまです、絶対に人の自由を縛りません、本当に謙虚に命がけで神さまにすがったときに、必要なだけの助けを与えてくれます。
無理やり向こうからこれをやりなさいとは言ってこない、自分が心を磨いていかないとわかるようにはなりません。謙虚になることが自分の心の進歩です、謙虚になればなるほど感謝が深くなって感謝が湧いてくるようになります。感謝の深さに比例して番組が高まっていくというふうに見ると大体わかりますね。
ご友人は、やめたい気持ちもあるけれど、やめたくない気持ちの方が強いんだと思います。自己弁解の心とか、よく見せたいという心がいろいろ出てきます、そうすると、自分の(本当の)気持ちを受け入れにくい時もありますよね。そうすると、神さまのせいにするんですよね。自分の波長に合う神さまが降りてくる時もあるし、そうでない時もあります、自分が勝手に思い込んでいる時もあるし、潜在意識の働きもあるし、番組というのはいろいろあります。
結局は本人が定めています、そのままで良いのにね、本当に変わりたかったら変わります。
悟りの要
-ありがとうございます-
沢山の修行者・巡礼者が志半ばに倒れていったと思うんですが、先生はご自分で,どこが良くて現在に至ったとお考えですか?
ありがとうございます:
一番良いのは、感謝を勉強させてもらった事かもしれないですね。いろんな耐乏生活・苦労を通して何でもありがたいという、粘土を食べる事と比べたら何でもおいしくありがたく食べられるでしょう。そういう体験を通じて、感謝がまず起こせるようにして頂いたことが一番大きいと思います。
次に、何か人のためにするのでも、人の嫌がる事でも喜んで進んですることが神さまの御心にかなう事だと、小さい時に教えられていたんです。だから、嫌な仕事を進んで無報酬でする習慣がついていました。何をしても苦痛に思わなかった、どんなに汚い事・こえ汲みしてもなんともない、骨集めをしてもなんともない。どんな仕事をしても苦痛にならなかったんです。これは、神さまに指導してもらったおかげだと思いますが、喜んでする・報いを求めないでするのが良いのだという、小さい時からの習慣性がかなりプラスになっています。
それと最後には、自分の命を神さまにお返しできた事、神さまに命を捧げて、お使いくださいと言えたところですね。それでますます謙虚になれたんです。それで、神さまの大きい助けを受けて、どれだけ神さまが試そうとしたかは知らないけどね、試しても試しても守ってもたったんですね。だから自分でも神さまはすごいなと思います。
だから、自分の力じゃないみたいですね、最初から最後まで神さまが守り続けてくれるという感覚です、これはみんなおんなじだと思いますよ。いろんな体験は生きてくると思います、ただチョッと徹底したほうが良いですね、中途半端だと、右へ行ったり左へ行ったり迷うところがあるのね。徹底するとすぐに気付かせてもらう・わかると思います。
食べ物でも、何もない状態に一度自分を置いてみると、不思議と周りから食べ物を運んでくれるんですね。例えば、一ヶ月間何も食べないと決めると、本当に一口も口に入らないかと言うとそうでもない、周りから食べ物を口へ押し込んできます。誰も押し込んでくれないと思うでしょう、自分で食べ物を手に入れて食べないとと思うでしょう、本当はそんな事ないのね。一回開き直ってみると良くわかります、神さまの力はやはりすごいですね、かならず食べ物を運んでくれます。
神も本心の自分も、我には謙虚
-ありがとうございます-
にっちもさっちも行かない時に、「ありがとうございます」と感謝すれば・神さまに全部お任せするというのは、本心の自分は正しい答えを知っていて、神さまがそうしてくださるということですか?
ありがとうございます:
そうだね、本当の自分は本心の自分・神さまから新たに新たに受け直している自分ね、その本心の自分がこの世にスーッと出てこないと嘘なんだけど、本心の自分も謙虚でしょう、我の心があると遠慮して控えめになります、神さまがそうなのと同じように本心の自分も我の部分に対しては謙虚なんです。
まーチョッと自由にしてごらんというふうに、ある一定期間自由にさせてくれるんです。でも必ず行き詰まるようになるから、本心の自分へ神さまが向けてきます。その時に心を(神さまのほうへ)向けたら良しよしと言うように我の心を消してくれます。それで、本心の自分がスーッと出てきて力を振るうようになります。
本当は、本心の自分の自由意志で全部動くんだけど、我の自由を一時的に許すのも本心の自分の自由なんですね。最後には本心の自分の自由意志でチャンと仕上げてきます。
最低に謙虚に悟る
-ありがとうございます-
悟りを開いた状態とはどんな状態ですか?
ありがとうございます:
悟りにも無限の段階があるようですね。私は二十歳のときに心が大きく広がったんです、肉体感覚・魂の感覚は消えてしまいました。その後、神さまへの感謝が深まりました。
悟りというのは、自分と神さまの(差)を(取)ることなんです、宇宙絶対神と自分の間の差をどれだけ取ってしまうかというのが悟りの深さですね。新しい神さまの姿を受けなかったら神さまと離れていきます。過去を掴んでいると、過去の古いものにしがみついて新しいものを受け損なうんです。それは(神さまとの)距離をドンドン離してしまう状態です。
でも本当は、本心の自分は神さまと一体なんです、新たに出てきた自分が本当の自分でしょう、神さまとまったくひとつなんです、神さまとピタッとひとつになっているんです。切り離す事は絶対に出来ません。だから、自分が本心の自分に意識が戻ってしまったら、みんな悟っているのが良くわかります。みんな無限に無限に輝いているというのが本当なんです。今から悟るのではないんです、みんなもう悟っているというのが本当ですね。
木で例えると、幹があって枝葉があるでしょう、枝葉の一番先の一枚一枚の葉っぱが肉体人間という感覚ですね。でも本心の自分は木全体なんです、神さまから全てを受け直す自分というのはね。木全体から一番先の一枚に葉っぱを見たときに、葉っぱをパッと切り離した状態が枯れた状態でしょう、葉っぱというのはね自分の思いで勝手に切り離すときがあるんですね。
そうすると、神さまと自分が繋がっていないと思ってしまいます。だから、根のほうへ根のほうへと戻ればいいだけなんです。それは、大きくなればいいんです、気持ちを大きく大きくしていくのが一番良いですね。又、この世だけじゃなくていろんな次元の世界に心をぐんぐん広げるのが良いですね。結局は感謝を大きく深くするしかないんです。
だから、感謝の対象を無限に大きくすれば良いでしょう、又深くすればいいのね。感謝を極めたらドンドン大きいものが感じられてくるんです、神さまをより大きく感じ取れる自分になっていきます。
だから、感謝も悟りも一回悟ったからいいんじゃないんですね、無限に無限にさらに深まっていくんです。今現れた神さまの最高表現も、次の瞬間又新しい最高表現が現れてくるでしょう。今受けたからといって、次の瞬間受けなかったらもう最低なんです。
一瞬一瞬の真剣勝負です、本当にね。それも一番謙虚な状態で受けないと本当に最高の受け方が出来ないから、いま自分が最高だと思ったら常に一番最低に自分を突き落とさないといけない、謙虚にね。そして又そこから最高のものを受け直します。その繰り返しによって、受け方も上手になり、そして自分というものも消えて神さまだけというふうに感じ取れるようになってきます。
だから、本当の悟りは、自分がなくなること・神さまがすべて・神さましかないんだという事です。無という状態ではなくて、神さまを大肯定する状態です。自分というものが一切なくなるほうがいいんです。自分がなくなったら(神さまとの)差がないでしょう。いまさら差を作ることもないのにね。
「ありがとうございます」という神さまが宇宙の究極の神さまです。究極の神さまの名前です、この中に全部あるんです。ありとあらゆる神さまの名前が全部あります、すべての全てが備わっています。「ありがとうございます」を唱えているうちに、究極の神さまとひとつになっていくから、全部自分の中にある・自分といったらおかしくなるから・神さまの中に全部ある・神さまが全てなんだという感覚が湧いて来るようになります。
そしたら、この世にいても、地獄に下りていても、神さまだけを感じます。地獄にいるから苦かと言ったらそれは違います、地獄にいても、地獄を中心に置いて無限に無限に輝いた世界を感じます。全体をいつも感じるようになるから、地獄も苦痛ではなくなってきます。地獄を拡大しては見ないんですね、無限の中の一点ぐらいになります。
自分の心に応じて出てきます
-ありがとうございます-
医療に従事しています、患者さんが「ありがとうございます」と口先だけででも唱えているときに、症状が好転したりします。病気というのは悟りへ導きではないのかと思うんですが?
ありがとうございます:
神さまの番組が・無限のチャンネルがあるでしょう、形の姿というのも、無限健康と無限の病と両極がありますね、その間に無限の段階がありますね。又、心の持ち方もそうですね、マイナスに思う心とプラスに思う心と無限の違いがあります。病気を掴んでその病気を治すというよりは本当はね、番組を変えているんですね本当はね。病気になっている人もそうだし治療する側も同じですね。
治療する側が病気を認めない心境になったら、病人がもう出て来ないですね。病人がお客さんとして出てくる間は自分の中に病気を相手にする心がチョッと残っているはずです。いい意味でも悪い意味でも、病人を治したいという心があるかもしれないし、マイナスに思う心が自分の中に残っているかも知れないですね。 それを感謝する事によって自分自身がプラスの番組にドンドン変わっていきます。そうすると、病気が瞬間にサッと治ったり、きてすぐ勝手に治ってしまう患者さんが来たり、来る前に治ってしまったりということが起こるかもしれないですね。いろんな現象が自分の心に応じて出てきます。
私も、二十歳ぐらいのときから病気治しのお祈りを一生懸命しました。みんな神さまなんだ、無限健康なんだ、完全なんだというふうにね、一生懸命祈り続けたんですね。その時は病気を相手にしていました、小さい時にお医者さんになりたかったというのは、病気というものをかなり掴んでいたんだと思います、過去世でね。それは、病人を相手にしなければならない運命ですね。
いろんな人から病気を治してと言われるんですね、毎日何十人と頼まれて一生懸命に祈り続けて十年ぐらい病気治ししていました。そして、プラスに思うお祈りを一生懸命するでしょう、そうすると自分の中の病気というのはドンドン消えてしまいます。自分の目の前に病人が現れなくなります。
今度は、病気治しの仕事は消えてしまって、幸せを与える仕事になります。職業が変わるんじゃないですか。私の前にくれば幸せになりますよという仕事です。実際、お医者さんは、このお医者さんは必ず病気が悪くなって死ぬというお医者さんとね、このお医者さんは、患者さんが来たら診断する前に良くなって帰ってしまうようなお医者さんと、二通りありますね。お医者さんにも心がいろいろですよね、プラスプラスに見ていくお医者さんにはいい患者さんが来て、早く治る患者さんが来ますね。
やっぱり、自分のみる世界・自分の運命というものは、自分に必然的になって、自分の自由意志でどうにでもなるんだと言うほうが正しいんだと思います。そうでないと自分の運命は変わらない、人のせいにしていたら自分の力を発揮できない、嫌なお客さんが来たと人のせいにしていたら、何時まで嫌なお客さんが続くかも知れない。でも、自分が心を変えることでいつでも変えられるんだったら、瞬間に変えられますね。だから、もう病人は絶対に見たくなかったら、みんな無限健康いっぱい・無限の幸せいっぱいというふうに拝み続けるのが一番です。
自由自在に唱える
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を唱えるのは、声に出して言霊として唱えるのがいいいですか、心の中で
唱えてもいいですか?
ありがとうございます:
自由自在でね、口に出すのもいいし、心だけで唱えるのもいいし、字に書いてもいいしね、見るだけでもいいし、人に代わりに唱えさせるのもいいですよ、(笑い)唱えさせたのも自分(のもの)よ。
私だけの問題
-ありがとうございます-
二十歳の頃の病気治しはどんなふうだったんですか?
ありがとうございます:
二十歳代の頃は忙しかったー、今死にそうだと電話してくるんです、寝る暇がなかったです。必死で電話してくるでしょう。
-ありがとうございます-
治らなかった事は?・・・・
ありがとうございます:
たいてい治っていますね。
-ありがとうございます-
それは本人に(病人に)感謝の気持ちが・・
ありがとうございます:
それは違う、私たけの問題ですね。勝手に治りますね、私の心をマイナスからプラスに変えるお祈りの練習の時期だったと思います。感謝を深める段階ですね。私の心が病人を掴んでいるでしょう、それをお祈りして掴まなくなったら、掴まなくなってその人が健康な姿を見せてくれるだけなんです。
自分の世界を自分が受けるんでしょう、私の世界は、この世を見ていないんです、大きい大きい宇宙をいつも眺めているんです。だから、地球もあまりに小さすぎます、この世も小さいです、それも光が少ないこの世でしょう。本当は、無限に無限に輝いた新しい宇宙を受け直しているんです。
だからこの地球が滅んでも、この肉体が消えても、私の幸せには無関係なんです。絶対に崩れない幸せなんです、無限の無限の幸せいっぱいというのはね。感謝がぐんぐん深めさせてもらえたら、本当の幸せはそこまで行くんですよ。
この世のことは相手にしていません、病気が治ろうが、地震が止まろうが。そんなのはあまりに小さすぎてね、本当は、無限の無限の幸せを受け直すほうが大きい幸せでしょう。皆はすでに悟っている・みんな無限に無限に輝いているんだという実感のほうがいいじゃない。
肉体はこういうふうに話したりいろいろしているけど、私は肉体を持っていないから、奥で奥でみんな無限に無限に輝いている・輝いて悟っているんだというふうに見ているんです。だからこの肉体は本当の自分からみたら、大したことはないのです。
-ありがとうございます-
そこまで思えるというのは、執着心が完全になくなるということですか?
ありがとうございます:
そう・・もうこの世に執着心はないね。この世に、もうすべてにね。過去に対して一切ない。だから新たに受け直す方に心を向けているから、一瞬でも受け損なったら、新しいものを失うという感覚だね。
-ありがとうございます-
形のあるものはすべてなくなるという感覚ですか?
ありがとうございます:
そうね、新しく生まれたらね、消えないと次ぎのもの出てこれないから。(あと不明・・)
ありがとうございます
ありがとうございます:
きっかけはないですね(何かのきっかけでこうなったのではない)、最初は、この世の姿を良くしたいと思ってお祈りの練習をさせてもらっていたんです、病気の人を直したいとか、地球の滅亡を防ぎたいとか、それを練習しているうちに、「ありがとうございます」を唱えているうちに中から変えてもらうんです。そしたら、この世なんてちっぽけに見えてくるんです、中からの輝きのほうが無限に無限に大きいから、この世なんて相手にしなくても良いようになる、過去を掴まなくなります。そういう心に変えてくれたんです、「ありがとうございます」の神さまの力ですね。唱えさせてもらって、助けてもらって、幸せにしてもらって、そんなもんですね。
謙虚
質問者:
誰でも皆「ありがとうございます」のようになれるんですか?
ありがとうございます:
そうです、そうです。本当は私のほうが最低だったと思うよ、こんな最低の自分でも、神さまが助けてあげようということになったら、いろんな体験も与えてもらい、感謝できるようにしてくれて、本当の感謝の意味も実感させてくれて、幸せにしてくれます。あとは「ありがとうございます」と感謝させてもらえば良いだけですよね。そしたら一瞬に悟れるんです。 だから、最低に自分を置いたほうが、謙虚になって感謝しやすいのかもしれないですね。神さまにすがれるというところがありますね。
「ありがとうございます」という最高の神さまは、最後の切り札みたいな神さまです、とても謙虚な神さまで、でしゃばってこない、人の自由を縛らないから、どんな神さま仏様にもすがりなさいと言う、自由にしなさいよと言ってくる。でも、最後に戻ってきたら、大きな力で助けてくれます。
皆、ある一定期間、自由な生き方をするんです、でも、満足できない、どんな生き方をしても、どんな神さまを信仰しても、本当の満足は得られないんです。最後に、「ありがとうございます」という究極の神さまにすがるんです。その時に最高の力で悟らせてくれます。
すごい神さまですよ、何も要らないんです、どんな修行をしなさいもない。何にもなしで、神さまと一体なんだよと解からせてくれるから、何も否定する事がないですね、この世を否定する事も何もいらない、全てを大肯定できます。この世もあの世も全て肯定できるんです、みんな神さまなんだと解かってくるから、プラスにプラスに受け直せるんです。
「ありがとうございます」という神さまの力が「ありがとうございます」という祈り言葉に降りているんです、その言葉さえ受け入れたら良いだけなんです。「ありがとうございます」という言葉を唱えるだけです。難しくはないですよ。
他の神を応援する
質問者:
そんなに素晴らしい「ありがとうございます」という言葉なのに、アーメンとか南無阿弥陀仏という祈り言葉のように普及していない、普通の挨拶言葉としてしか普及してないのはなぜですか。
ありがとうございます:
ほかの祈り言葉が前面に出てくると、ありがとうございますの神さまは、どうぞどうぞ応援するんじゃないですか。
質問者:
(アーメン・南無阿弥陀仏などの祈り言葉と)同じじゃないんですか?
ありがとうございます:
同じじゃない。南無阿弥陀仏がでてきたら、それを前面に出しなさいというふうに広がるんです。後押しだけをしてくれるんです。
最後の切り札
質問者:
過去にも悟った人はいましたが、(ありがとうございますに)気付かなかったんですか?
ありがとうございます:
例えば、南無阿弥陀仏で悟るとそれが最高と思い込んでしまうんです、その奥に「ありがとうございます」という神が控えているんですけどね。どんな神仏を信仰する人もその次に必ず「ありがとうございます」というんです。最後の切り札のバックアップをしている神さまの働きを感じているんですね。
質問者:
「ありがとうございます」の神さまは天地創造の神さまですか?
ありがとうございます
天地創造の神でもあるし、全体でもあるんです。全てです。創造した側とされた側とに分かれていない、両方全部をひっくるめて全体なんです。
日本は世界・宇宙の雛形
質問者:
「ありがとうございます」は日本語ですが、他国語に同じ意味の言葉がありますよね、他国語には同じようなパワーはないんですか?
ありがとうございます:
言霊のさきはう(幸ふ)国と日本は言われますね、「ありがとうございます」は言霊と一致している言葉です。だから輝きが大きいですね。
質問者:
それは日本人にとってということですか?外国人の人も「ありがとうございます」と言った方が良いんですか?
ありがとうございます:
言ったほうが良いね。世界共通語になったほうがいいね、「ありがとうございます」ぐらいはね。
日本が雛型になる。雛方というのは、例えば、中心に円ができたら、中心から円が同心円的に広がります。だから、日本が良くなれば世界が必ず良くなります。
これは地理的にいってもそうでしょう、日本列島は世界の大陸の縮図になっているでしょう。何でこんなにそっくりにしているのかと思うくらい不思議でしょう、北海道が北アメリカ大陸そっくりでしょう、四国なんかオーストラリア大陸そっくりでしょう、全部ピタッとあっていますね。そういうふうにみると、日本が世界の雛型でしょう、だから、日本が変われば世界が変わるはずです。
星の世界もそうらしいですね、星座の世界にも北アメリカ大陸そっくりの星座があるというのです。すると、星座の世界にまで日本の雛型が広がるでしょう、宇宙に。不思議ですね、こういうのは人間業じゃないものね。
中心の円・雛型の役目があります、だから、日本には世界の文化も全部入ってくるでしょう。日本だけでしょう、宗教でも全部はいってくるのは。それで、全部を生かして中に取り込む、吸収してしまう、そして違和感がなくなるでしょう。外国は、対立しますね。建物だってそうです、外国はドアーでピシャッと閉じてしまうでしょう、日本はふすまだけで広くなったり狭くなったり、部屋が伸び縮み自由ですね。カバンだって、一定の形のままですが、風呂敷は大きいものでも小さいものでも包める。着物も、下駄や草履もそうですね。靴だと小さすぎるとはいらない大きすぎると不自由する、下駄や草履だと大きい人も小さい人も使えます。日本にはそういうのが自然と備わっています。
そういう意味で日本が全世界の責任を負っているんです。だから、日本を良くたら世界が必然的に自然に良くなっていくと思います。
本当の神さまは掴み所がない
質問者:
とても初歩的な質問なんですが笑わないでください、<すでに大笑い>神さまはお一人ですよね?総元締めというか、としたら、認可されている宗教法人はその支社みたいになるんですか?
ありがとうございます:
本物の神さまは唯一絶対のものでしょう、その全体の部分部分の別れがいっぱいあります。
質問者:
認可を受けているというのは、一応本物の神さまですか?
ありがとうございます:
いやいや、そういうのはまだまだ本物じゃない。本物の神さまはこの全大宇宙です、全大宇宙が神さまの体です。この全大宇宙の中の小さい地球でしょう、地球なんて無限の中の一点みたいなものです。無限の中の一点みたいな地球の中で、なおかつ、人間が作って、これか神さまだと指差している姿が宗教法人の神さまです。本物じゃない。全部を包み込んでいるのが本物の神さまです。
本物と模型は違います、地球と地球儀とはぜんぜん違うでしょう。人間がこれが神さまだと指さしているだけです。さしているほうが正しいかどうかは解らないですね。人間が作ったのはみんな偽神さまです。本物の神さまは名前も名乗らないし、宣伝もしない。掴みどころがないように思うんですが、でも、全体なんです。
神さまの中心に置かれた自分
質問者:
キリストとかお釈迦様とかそういう昔から頂点に立っているような人たちも、本物の神さまから見たら子分みたいなものですか?
ありがとうございます:
子分にもはいらない。無限に無限に小さすぎて、人間なんてたいした事ない。でも、一番奥へ戻ったら、本当の本体の自分に戻ったら、みんな神さまの意識をもらって、神さまの全てを一瞬一瞬受け直せる自分だから、その自分は神さまと一つだから素晴らしい。その神さまと一つになった自分でも、神さまから新しいものを受けなかったらゼロなんです、マイナスなんです、何もない状態です。
一瞬一瞬受け直してこそ神さまの素晴らしさを頂けます。それは自分じゃないんです、神さまです。だから、謙虚になるしかないんです。自分には何もないということに気付くしかなくなるでしょう。そして、前面に出てくるのは、「ありがとうございます」という神さまだけになってくる。
そうしたら、過去のどんな立派な人がでてきてもそんなものは、足跡のちっぽけなものでしょう。本当の自分から見たら、魂の自分・肉体の自分もつめの垢よりずっと小さい。だから、過去なんかも相手にしなくなります、そして、最高の神さまだけを心に感じ取ろうとするのが良いですね。そして、無限に無限に輝いた姿を実感しようとしていくのが感謝行です。
「ありがとうございます」という一言に、「新たな無限の無限の幸せいっぱい」という意味も含まれているでしょう、「無限の無限の悦びがいっぱい」という意味が含まれているでしょう。ありとあらゆる神さまの徳が全部含まれています、全部考えるのはややこしいから「ありがとうございます」の一言で押さえるんです。「ありがとうございます」一言で全部受け直すんです。
その「ありがとうございます」を無限に無限に積み重ねたものも、もう一つ大きな「ありがとうございます」の中に納まってしまいます。その大きな「ありがとうございます」を無限に無限に積み重ねた「ありがとうございます」がもう一つ大きな「ありがとうございます」になっていきます。「ありがとうございます」がドンドン大きくなるんです。最初はちいさいかんじかも知れないけど、唱えているうちに大きくしてもらうから、中身がドンドン変わってきます。だからできるだけたくさん唱えたほうが得なんです。
その中身が実感できてきたら、神さまがますます遠く感じるかも知れない。遠くに感じるけどね、あまりに大きすぎるからです。全部を掴みきれないという意味で遠くになるけれど、神さまの中心に置かれているというのは解かってくるんです、大光源の中心にいつも自分が置かれているというのがね。いやというほど解かってくると思う。
だから、神さまをどこに捜し求めるのか?探し求めなくて良いんです。神さまの中心にいるんです。
感謝して命を頂く
質問者:男
今日の食事で肉は出ていなかったんですが、それは、なぜですか?
ありがとうございます:
いや、ここは何でも出るよ。たまたま出なかっただけじゃない。
質問者:女
出てましたよ、私食べました。
ありがとうございます:
何を食べても良いんですよ。みんな命を捧げてくれてるんです、いい事してくださいよ。<笑い>菜食も良いですけど、それも一つの生き方です。お米も一粒、生きているのは動物も同じですね。命を捧げてもらったという感謝で頂くんだったら、動物でも悪い事ではないですね。
弘法大師さんでもお肉を頂くでしょう、「ありがとうございます」と感謝して受けたら、一緒にいたお坊さんに「お前、肉を食べて!!」と言われて、「わしは、食べてない」と弘法大師、「じゃー、吐き出してみろ」と言われて、弘法大師からは何も出てこないのに、もんくを言った人から肉が出てくる。
弘法大師は、命を捧げてもらったという深い感謝で受けているから、肉じゃないんです命なんです。でも、人を攻める心は肉を掴んでいるでしょう、心で肉を取り込んでいるから自分の中から肉が出て来るんですね。
食べ物というのはいつも、神さまの命を頂いているんです。お米の粒がたくさんあるのは、たくさん感謝できるように<笑い>。食べ終わるのに時間がかかる<笑い>そこで、「無限の無限のありがとうございます」と言えばいいんです<笑い>。
感謝はどこまでも自由に広がる
質問者:
輪廻転生はどうですか?
ありがとうございます:
輪廻転生はかなり低い番組なんです。新たに受け直す番組は輪廻転生しないんです。常に一瞬一瞬生まれ変わる世界の番組だから、絶対の神さまの世界から新たに生まれてくる輝いた自分だけになります。だから、輪廻転生する肉体・魂を掴まなくなります。そういう番組も上のほうにはたくさんあります。
だから高い神さまは、輪廻転生はないと断言するんです、だけど、輪廻転生はあるという神さまも低い世界にはいます。それも正しいですね、決して間違いではない。
質問者:
誰々の生まれ変わりとかそう云うのはないということですか?
ありがとうございます:
そういうのもあります、そういう番組もあります。いろんな人に生まれ変わるんです。低い番組をみたらあります。神さまの放送番組には、無限のチャンネルがあります、低いほうには必ず輪廻転生があります。番組の中にはまり込んだら、その番組のストーリー通りに動くんです、でも、番組を放(離)して見る自分は自由自在です。縛りのない自分です。
感謝というのは縛りのない自分に戻ることです。感謝の心は縛りのない自分になるためなんです。番組の中にはまり込んで抜けられない人は「ありがとうございます」を唱えているうちに抜けてしまうんです。だから、自由になれる、世界が広がります。思いの世界は一つのものを掴んで小さくはまり込んでいくけど、感謝は縛りから抜けて無限に広がります。
「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」の言霊
質問者:
「ありがとう」と「ありがとうございます」の違いは、「ありがとうございます」の方が謙虚に聞こえるんですが、それだけなんでしょうか?
ありがとうございます:
日本語は言霊で捉えると正しく理解できます。「ありがとうございます」を言霊的に解釈すると。
「あ」は、光とか光源と言う意味です。
「り」は、ら行音で、螺旋状に宇宙の創造は行われています。螺旋状が直線と違うのは、螺旋状に二本の線が回ると、途中で出会うのが無限に大きくなってたくさん増えるでしょう。直線だと一回交わるだけです。螺旋状の渦巻きで交わると、途中で何回も交わっていきます。そして、小さいものから大きいものまで相似形のものがたくさん出来あがります。このように、宇宙の創造の仕組みが、螺旋状に組み合わさるというようになっています。「り」は創造の働きを指しています。
「が」は、輝くという意味をダブらせています。(無限に)(無限に)輝くという意味を「が」に表しています。
「とー」は、ありが(たし)と言うと、た行音とさ行音になります。それを縮めて「ありが(とー)」となり、た行音は縦の線・さ行音は横の線です。すなはち、相対に別れる両極を十字に組み合わせるという意味です。
だから(ありがとうございますは)、宇宙の全ての全てを指しています。神さまの絶対の光源から(=あ)、光が螺旋状に放射されて(=り)、無限に無限に輝いて(=が)、全ての相対の両極に分かれたものがピッタリと大調和の姿に組み合わされている(=とー)、という意味です。
「ございます」の意味は、ただ、いらっしゃるという浅い意味だけじゃないんです。
神さまは自由自在な性質を本質としてもっていて、それが凝り固まって形あるものまで出てきます。
「ご」は、凝り固まってさらに凝り固まってという意味です。
「一霊四魂・一元四体」<いちれいしこん・いちげんしたい>(古事記ふることふみ4 6−1を参照)という言葉があります。
霊が魂<こん>という四つの魂<たましい>の働きに分かれる、「奇霊・くしみたま」「幸霊・さきみたま」「和霊・にぎみたま」「荒霊・あらみたま」の四つの魂の働きに分かれます。
一元四体というのは、物質は一元がまず<精体>見えない姿に分かれて、<精体>・<気体>・<液体>・<固体>の四つの働きに分かれます。
神さまの絶対の自由自在なる姿が懲りが溜まって<魂こん>の姿をとります。さらに凝り固まったら<体>という形に現れてくる。凝り固まって凝り固まって宇宙の全ては生み出されてきます。それが「ごー」という響き(意味)になります。
「さ」は、「さ」わやかというのは清清しいと言う意味でしょう。汚れが全然ない・澄み切って気持ちがいい、そういう「さ」がダブって「ざ」になります。どこにもマイナスがない状態です。
「い」は、生き生きと生きてるという感じです。
「ます」は、増すという意味があります。同じ状態を保っていない、ドンドン増える・さらに良くなるという意味があります。「ま」は、完全・全き(まったき)という意味です。「す」は、澄み切る・中心という意味です、大調和の姿です。
「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」全部で、神さまの働きをそれぞれ表現しているんです。だから、神さまの働きを小さく受けるんだったら「ありがとう」と言えばいいんです。この世的な小さい幸せとか喜びを受けるんだったら、「ありがとう」でいいんです。でも宇宙全体、それも無限に深いところまで全部受け直すには、どうしても、自然に「ありがとうございます」になってしまいます。あまりに大きすぎて深すぎて・恐れ多い。だから自然に「ございます」と言葉だけでもつけてくるんです。
だから、「ありがとうございます」と「ありがとう」は別といえば別だけど、「ありがとうございます」の中に「ありがとう」もあります。最初は「ありがとう」から入っても良いんです。「ありがたや・ありがたや」と歌っても良いんです。
最高の罪の消し方
質問者:
罪を犯した場合、償いが出来るのならば、どのようにしたら良いですか?
ありがとうございます:
罪の捉え方もいろんな段階があるし、でも、[ありがとうございます」と唱え始めたら、罪というのは、過去の古いものを掴んで積み重ねて、新しいものを受け損なった結果なんです。だから、新しいものを受け直す[ありがとうございます]という生き方に変わったら、その時点で一切の罪はありません。本当の罪の消し方は、新たに受け直すことです。[ありがとうございます]という神さまを心に受け入れたら良いだけです。[ありがとうございます]と言えば過去の一切の罪はないんです、最高の消し方です。
光のネットワーク
質問者:
先生は、***(ある企業名)に参画されているんですが、事業も含めて構想はどのようにお考えですか?
ありがとうございます:
第一直感でサッと入っただけなんです。これから必要な事は神さまの方から、この世の中をよくするための働きをしてくるんです。その一環として自然に出てくる姿が・形が***の姿です。今までは、誰かが頂点にあって、支配するような形をとってきています。これからはそうじゃない、神さまの御心を中心にして、一人一人が自由自在に望める、そして全体が大きい働きをします。だから、ネットワークが大事です。一本一本の糸ではね、それが救いの糸だったら一人の人は救えるけど、それが網になると一挙にザーッと救い上げられる。救いの光のネットワークです。これが光でなかったら、思いの・業の心だったら、皆を網で縛ってしまいます。今までは縛りのネットワークです、これからは、一人一人を自由にする光のネットワークが必要になってきます。そういう意味で、一人一人が神さまの御心と一体化して、一人一人の持ち味を生かして自由自在の働きをします。それで、全体が助け合いをとって大きい働きをするんです。
世界を大きく変革する働きは、中心は神さまから生まれてきて、その神さまの御心を一人一人が具体化するんです。だから、縛りのない働きでないと本物になりません。本物は、「ありがとうございます」という究極の神さまがどれだけ降り立つかなんです。神さまが一人一人の中に降り立って自由に動けてこそ働きなんです、皆を幸せに出来る働きになってくるんです。
捨石になりたいと思ったんです。基礎を作るときの捨石です、将来大きな建物を作るときの基礎を作る捨石になりたいと思ったんです。
先祖供養
質問者:
先祖供養とはなんでしょうか?
ありがとうございます:
自分が先祖をどのように見ているかが根本です、その見方によっていろんな方法が生まれてきます。だから、神さまの最高表現に近い光のご先祖様と見たときには、みんな無限に無限に輝いて悟っています。子孫に対しては、幸せを与え尽くそうとするばかりです。そうしたら、先祖供養は感謝だけでしょう。仏壇を家にお祭りしてお供えするにしても、中心にご本尊様があってご先祖様があって、輝いた姿をとっているでしょう。お供えは向こう向けずにこっち向けるでしょう。ご先祖様から必要な一切を私たちに与えてもらっているんです。仏壇は感謝を深めるための模型です、本当の供養は感謝ばっかりです。
でも、ご先祖様は悪い事をしたのでまだ迷ってると思うと、それを助けなければいけない立場になります。そういう立場にたつと、真理の言葉を教えて上げなければいけない、お経を唱えて上げなければいけない・お祈りしてあげなければいけないとなりますね。
どっちを選ぶかは一人一人が選びます、段階が全部違うから、低い段階・高い段階と必要な段階があります。順番にいろんな段階を通って最後は感謝に行き着きます。早く「ありがとうございます」に戻ったほうが良いと思います。仏壇もお墓も必要なくなります、感謝の心があったら、形の模型は必要なくなって、もっと自由になります。だからと言って、仏壇もお墓も破壊する事はないんですよ、それが必要な人には必要です。大事に守るこことも大事です。
小学校から大学まである、自分が大学生だから小学校も中学校も高校も要らないと壊してしまったら大変でしょう、あとから小学校に入学してくる子もいます。そういうのも大事に守ってあげるのも大事です。
一体感
質問者:
自分と他人が一体なんだと、よく聞くんですが、どうしたらその実感が得られるのでしょうか?
ありがとうございます:
木を例えに言うと、中心に幹があり枝があって細い枝があって、末端に葉っぱがあります。そうすると、肉体を自分と思っていると、一枚の葉っぱを自分と思っている感覚ですね。葉っぱ同士は別々ですね、でも、小枝から太枝へ遡ると繋がっているでしょう。繋がった時点で一体なんです。だから、できるだけ自分の心を根元まで下げていくと良いんです、それは神さまの中へ入ることです。神さまへ近づけば近づくほどたくさんのものとの一体感が自然に生まれてくるんです。これも感謝だけですね、感謝すればするほど神さまとの一体感が大きく深くなっていきます。そうすると、みんな自分なんだという感覚が、そして宇宙全部が自分なんだという感覚が自然に生まれてくるんです。だから、みんなの幸せが自分の幸せです。自分の幸せは無限の幸せだとしても小さいですね、でも、全部の人の無限の幸せが自分の幸せになれば、無限の無限の幸せをいつも味わえます。「ありがとうございます」を唱えたらいいだけです。
統一
質問者:
先生は、統一・瞑想している時どういう世界なんですか?
ありがとうございます:
みんな無限に無限に輝いていると感謝しているだけです。皆が無限に輝いて素晴らしいなーと、褒め称えて感謝して喜んでいます。一番幸せにしてもらって「ありがとうございます」と喜んでいるだけです。
たくさん感謝できるほうが統一は深いんです。出来るだけ沢山の人を感謝の対象にするほうが良いんです。みんなの幸せを自分の幸せにしてしまうんです。
本当の統一は、一(いつ)なるものに統(す)べられるということです。一(いつ)なるものとは「ありがとうございます」という神さまの事です。そこへ繋がれば良いんですね統一というのはね。「ありがとうございます」という神さまと繋がっているという心の実感がドンドン大きく深くなってくれば良いね。日に日に実感が大きく深くなります。
私の場合、統一は、目をあけていても閉じていても大丈夫なんです。このまま「ありがとうございます」の神さまに向いているんです。
統一というのは、無念無想とかそういうのとは違うんです、感謝が深くなる事なんです。心境が澄み切って青空のようになって・・・そんな事は考えなくて良いんです、もっと自由自在なんです。感謝というのは、いろんな状態を全部中に持っています。澄み切った状態が必要だったら出てきます、踊り狂うような喜びの表現が必要なら踊り狂うんです。歌を歌うのが良かったら歌いだすし、自由自在な全てを中に持っています。
お金
質問者:
お金とは何でしょうか?結構これに惑わされるんです。
ありがとうございます:
神さまの世界はお金じゃない、必要ない。人間の世界ですねお金があるのは。人間の世界のお金は約束事ですね、働いたらそれをお金に換えて、またそのお金で同じ働きの分を返してもらうという、基本的にはその約束事なんですね。沢山働いてそれを貯金という形で残すためには何か別なものに振り替えなければいけない、お金という形で振り替えておいて、必要なときにそれを働きに換えてもらうわけですよね。
基本的にはそうなんだけど、今の世界は、あんまり働かないで沢山儲ける。その儲けたお金は金額は多いけども、その多い金額で返してもらうのは、自分の働いた分だけしか帰ってこないんです。だからそのお金には余り価値がありません、昔から、あぶく銭には価値がないといいます。博打で勝ったお金もすぐに消えてしまいます。泥棒して奪ってきたお金は価値がありません、何も与えず奪ってきたものだから価値はゼロなんです。あるいはマイナスかもしれない。
お金の額よりも、それを手に入れるときにどれだけ働きとして、幸せをどれだけ与えたかが大事ですね。それでそのお金が生きてくるんです。
お金は相手にしなくても良いと思うんです、沢山働いて報いを求めず全部与えてしまったら、お金はないんだけど、今度必要なときに、ただで与え返されるんです。だから、無報酬でするボランティアが一番神さまの世界に近い。だから、お金儲けに縛られなくて済むでしょう、自分が喜ぶことを喜んで一生懸命にできます。ボランティアで自分の出来る事を一生懸命世のために尽くして働いておけば、それに見合ったものは必ず利息をつけて返されてきます。そのような与える心は神さまの世界の高い世界に波長が合いますよね、運命はドンドン急上昇します。そして恵みがいっぱいになってっきます。
ボランティア
質問者:
与えたものが大きくなって帰ってくるとか、見返りを求める下心があってボランティアしてもいいんですか?
ありがとうございます:
見返りというより、そういう信じる心は良いですね。与えれば与えられるとか、神さまの世界に波長が合うとかね、そういう確信は大事でしょう。それで喜んで喜んで与え尽くせば良いですよね。
下心が有っても最初は良いと思います。そのうち下心も消えてなくなるかもしれないし、それ以上の大きな喜びが湧き上がってきます。
私は二十歳のころから全部ボランティアで、働いても自分の生活費に使っていません。そしたら、必要なもの全部ただで与えてもらうんです。ここもそうですね、お金儲けしてお金ためてしてないんです。何もないところに出来上がっていくでしょう、スピードが速い、普通だったら家を建てるのは大変ですね、それがバーッと作り上げていってもらえます。必要な材料もほとんど集まってきます、不思議でたまりません。「ありがとうございます」の神さまの力なんでしょうけどね。天から降ってくるという、物質化される感覚ですね。「ありがとうございます」だけ唱えていたら寝てても良いんですよ、でも、嬉しくて動き出しますけどね。
質問者:
先生が二十歳代の時に、病気の人を治したいと祈っているときに、寝る暇もなかったとのことですが寝られないのはきついですよね。
ありがとうございます:
今にも死にそうな人が来たら寝てられないでしょう。そういう真剣な思いが育ってくるでしょう。子供が死にそうになったら母親は寝ませんね、一週間ぐらい徹夜で寝ないでがんばれますね。真剣になった時は寝ないで済むみたいですね。神さまが応援に降りて来るんだと思うけど。
一日だけの縁
質問者:
家族は、縁というか、自分が選んで生まれてくると聞いたことがあるんですが、そうなんですか?
ありがとうございます:
そういうふうに、選んで生まれてくる番組もあります。神さまの絶対の世界から一瞬一瞬新たに生まれてきて、一瞬一瞬受け直すという縁もあります。その方がいいのね、神さまから最高のものを光の縁として今、一瞬一瞬与え続けてもらうほうがね、腐れ縁じゃなくなりますね。
今、自分の家族がいても、今日一日神さまから与えてもらった光の縁だと思うと、大事にするでしょう。過去からズーッと続いていると思うと、たいした事ないと思ってしまって、終いには嫌になってしまう可能性もあります。今日一日だけというのは新しい光の縁です、そういう受け方のほうが感激が新たに出来て良いです。
結婚してても、今日一日だと思ったらお互いに大事にするでしょう、子供でも、今日一日子供でいてくれると思ったら、どれだけ大事にしようかって思うじゃない。神さまが1日単位に変えてくれたら良いのにね、良くわかって良いんじゃないかな。
マイナスの言葉に惑わされないように
質問者:
身近に、自殺した人がいるんですが、それも寿命、光り輝いていると考えたら良いんですか?
ありがとうございます:
見方がいろいろあります、プラスに見てあげる方が良いですね、そしたらプラスの姿を感じます。自殺というのも悪く見たら、逃げて自殺して地獄に落ちているとか見方はいろいろあるんだけど、逆に、自分の身代わりにマイナスを背負って消すために、自殺の姿で消してくれたと感謝して考えれば、その人は無限に輝いた大菩薩ですね。
プラスに受けていった方が、自分は素晴らしい番組を見せてもらえますね。マイナスの言葉に惑わされないようにね。マイナスの人が多いですね、自殺したら地獄に落ちてるという人が多いからね。逆に、自殺した人はみんな最高の世界に上がっていると言った方が良いかもしれない。正反対に思えるけど、そのぐらいにプラスに思えたら悪く見ずに済みます。
恐怖心
質問者:
五歳の子供がいるんですが、一人になる事をとても怖がるんですが・・・
ありがとうございます:
子ども自身が「ありがとうございます」と言えるようになれば心安らぎます、それまでは周りの人が代わりに「ありがとうございます」と言ってあげると心が安定します。小さい時は皆そうかもしれないですね、一人ぼっちになるのは怖いです。
私も小さい時はかなり臆病でした、怖い怖いというのが強かったです。それを取ってもらったのが中学生のときです。山に連れて行ってもらって、山でほったらかされるんです。明日までに帰って来いと言ううんです。途中で迷う道に入りかけると必ず木から蛇がぶら下がっているんです。人があまり通らないところに蛇はぶら下がっているのかも知れないけど、偶然といったら偶然なんだけど、必然といえば必然です。迷い道に入ったら蛇がいるんです、木からぶら下がっていたり、下にいて鎌首もたげていたり。怖いから戻るでしょう、それで違う道へ行った正解なんです。
迷い道に入ったら必ず蛇が出てきたんです、そういうのが繰り返されると、それまで怖かった蛇に対してプラスに思えてきてね愛着を感じるんです。本当に不思議ですね、蛇って神さまの使いだなと思えてきたんです。
そういう体験で私の恐怖心を全部とってもらったんです。その時からどこにいても怖くありません、真っ暗闇の中に一人でいても怖くなくなりました。それまでは蛇が一番怖いものでした。神さまは恐怖心の取り方が上手ですね、結局は、神さまを感じなければいけない。神さまの愛を感じたら恐怖心は消えてしまいます。一番良いのは「ありがとうございます」と唱えさせてあげる事ですね。神さまを直感で感じるようになれば、どこにいても怖くなくなります。
先生
質問者:
先生は、誰か先生に付かれた事があるんですか?
ありがとうございます:
皆私の先生だと思っています。小さいときからみんなから学ぶという気持ちは持っていました、みんなを手本に良い所は学んでというふうにね。まあ、神さまを先生にしているんだけれど、宗教の本はほとんど読んでいます。特定の宗教だけじゃなくて、いろんなところの本をほとんど読んでいます。宗教だけじゃなくて、いろんな本を沢山読みました。本を読むのが早かったです、一冊一時間かからなかった。
迷いの選択
質問者:
どちらを取るか選択する場面で、あれこれ考えるよりも「ありがとうございます」を唱えていれば、自然に選べますか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」は今あるものを選択するのではなく、新たにプラスのものが出てきてそれをを選べます。新しい良いものが出てきます、それを与えてもらえます。今あるものから選ぶんだったら、まだ低い番組の中からだったら変わりがありません。その時は無理に選ばなくて良いんです、もっと良いものが出てきます。
迷っている時は急いで決めないでまず、「ありがとうございます」をしばらく続けてれば、迷っているのがまずなくなって、良いものが出てきてスッと選べます。
神さまの導きというのは、「ありがとうございます」と感謝し続けた第一直感的に第一番目に出てきます。だから、過去のものから選ぶんじゃないんです、感謝し始めたときから神さまは用意して与えてくれるんです。必ず第一番目に出てきます、沢山ある中から選ぶんじゃなくて、神さまが用意しているのを一つだけ持ってくるんです。
自由自在に「ありがとうございます」
質問者:
瞑想するときに「ありがとうございます」と唱えても良いですか?
ありがとうございます:
いいのいいの、それは自由自在で良いですよ。ただ、瞑想というふうに囚われると縛られるでしょう。「ありがとうございます」という神さまの大きい光の中心に、自分が置かれているというふうに「ありがとうございます」と唱えたら、いつもその光の中だから、自由自在でいいんです。寝て夢の中で唱えてもいいんです、極端に言えばね。
「ありがとうございます」を唱えて助けてもらうんじゃないんです、助けてもらっているのを確認するだけです。いつも神さまの中にいる・・・それを確認するのが「ありがとうござきます」なんです。だから気楽にしたら良いです。
光の交流
質問者:
本当の友達とはどんなものですか?
ありがとうございます:
感謝し合える友達です。感謝し合えるというのは、神さまを中心に置いて両方が一体化できる、そしたら本当の意味での光の交流が起こります。友達だけでなく、夫婦・親子の関係でもそうです、会社でも社長と社員が感謝し合えたら、交流ができてピタッと一つになれる。
友達でも、一生懸命感謝してたら、いい姿をとってくれるようになります。まず自分から感謝してると、相手も感謝する姿を見せてくれる。でも感謝を忘れると裏切られるかもしれない、感謝を忘れると言う事は自分が裏切っている事になる、感謝は光の表の世界でしょう、それを忘れたら裏のマイナスの世界になります。
よく、人に裏切られたと言う人がいるけれど、そうじゃない、自分が感謝を忘れたからですね、それで、過去のマイナスを掴んでしまって、ますます感謝を忘れてしまいます。そして修復できなくなる。感謝したら過去を全部払ってくれるし、必ずいい姿を向け直せます。壊れた関係でも必ずもとに戻ります。
感激を新たに受ける
質問者:
先生の言葉の中に、受ける・受け直す、とかあるんですが、何を受けるんですか?
ありがとうございます:
それはね、神さまの全部、この世の中だったらこの世の中全部ね。狭く浅くじゃなくて全部頂くんです。みんな神さまのプレゼントとして全部頂くんです。
何でも与えられたものを当たり前に掴んでしまうのが怖い。一回打ち上げ花火がどーんと上がるのを見せてもらったら、一回で満足すればいいんですが、「ありがとうございます」と永遠に感謝し続けたら良いんですが。それが、ズーッと打ち上げ花火が上がるともう感謝しなくなるんですね、当たり前になってしまってね。だからたまに、宇宙を全部消してくれたら良いと思うんだけど、一秒でも消してもらえたらわかるんだけどね。でも神さまは優しいから消さないんです、無限億万分の一秒ぐらいで次から次へうと上げてくるんです。だから切れ目がわからないですね。 一回一回感激を新たに受け直すのが良いみたいですね。
「おかげさま」という言葉があるでしょう。「おかげさま」というのは「ありがとうございます」という感謝の言葉です。「儲かりまっか」・・「おかけさまで」・・・・何か浅いように思うんですが、会社でも繁栄させてもらっているのは、最高の神さまの影に働く力のおかげなんだということです。みんなそうなんです、何に対しても「おかげさまで・ありがとうございます」と受けると本当の助けを受けるんです。
あっという間 劇場
質問者:
肉体はいつか滅びて、あの世へ行くんですが、あの世でもこの世のようなランク付けみたいなものがあるんですか?
ありがとうございます:
神さまのランク付けというのは、この世の地位とかとは意味が違います。神さまのランク付けは、光が強いか・どれだけ謙虚かです。それでランク付けが決まります。謙虚なほど高い神さま・光が強いほど高い神さまです。
質問者:
先生は、あの世へ行くための準備として「ありがとうございます」という感謝行をしているんですか?
ありがとうございます:
いや、私は自分を肉体だとは思っていないから、肉体は放してしまっているから、肉体は道具として使っているけれど、みんなに話をするのも肉体がなければ出来ないですね。でもいつも肉体にはいないんです<えー!!と会場からの声>。
質問者:
必ず先へ進んでるんでしょうか?元に戻ってる事もあるんでしょうか?
ありがとうございます:
みんな進歩してるんです。低い世界へ降りていっているようでも、いろんな勉強で進歩しています。必ず進歩しているんです、マイナスの体験は謙虚になる大きい進歩でしょう。
質問者:
運命というのは「ありがとうございます」という感謝の気持ちで、変わってくるんでしょうか?
ありがとうございます:
男に生まれるか女に生まれるかどこに生まれるか運命として決まっています。本当は宿命的なものでも、心が本当に自由自在になって神さまを受け切ったら変わりますよ。ただ、そこまで変える力がない・変えないだけだね。神さまの高い世界だったら、一瞬一瞬自由自在に変身できるんです。男になったら次はサッと女に姿を現せるんです。瞬間に何にだって姿を変えられるから宿命だって変えられるんです。この世の人はそこまで心の自由自在性がないんです。だから宿命的なことは変えがたいと思うんです。でも、この世的な生活の運命は心の持ち方で変わりやすいんです。
物質化現象
質問者:
原始時代から、体験と知恵を重ねて現代の文明があり、魂もずっと続いてそのように進化するんですか?
ありがとうございます:
二通りの意味合いがあります。進化論と同じようにこの世の文明も進化的に発達するという、この世のいろんな体験をもとにして順番に加えていくと言うんですけど、そういう行き方もチョッとはあると思います。でも、必要なものは天から降ってくるという行き方もあるんです。必要だったら天から物質化されて現れてくる。本当は、天から降ってくる・物質化して降ってくるというのが基本なんです。下から積み上げるというのはある意味では錯覚なんです。
だから、人間は猿から進化したかと言うとそうじゃないんです。猿の姿は猿なんです、人間は人間なんです。猿と人間はチョッとにてるでしょう、間に類人猿が入って猿から進化してきたかと思うんですが、根本は、神さまの方から人間が物質化して天下ってきているんです。その時に、猿の・類人猿の肉体をチョッと利用する場合もあるんですね。それとまったく空中から物質化する場合と両方あります。二通りの人間の肉体を現す行き方があったんです。それが今はミックスされていてバランスが取れているような感じです。でも、物質化現象のほうが正しいですね。
霊的文明
質問者:
物が今ほどなかった昔は、心が綺麗で思いやりがあり感謝の気持ちもあって、物質文明が栄えて今は思いやりがなくなりました。このまま物質文明が栄えていけば、心の問題はおろそかになっていくと思うんですが、物だけを与えれば物に執着する心だけが芽生えてくるのに、なぜ、神さまはこのようなことをされるんですか?
ありがとうございます:
神さまの計画の中に、人を幸せにするという計画があるでしょう。その中にまず、物質的にも幸せでなければいけませんね、そして、精神的にも幸せ・霊的にも幸せというふうにね。それをバランスよく順番に手に入るように仕組んでいくんです。
(今はバランスが取れていないけど、今は)その過程なんです。物質文明を最高に花を咲かせるためには、極度に物質文明を栄えさせるんです。その時には精神文明も霊的文明も疎かになるんです。ただ、バランスをとる時がきます、その時は物質文明がほどほどに押さえられてきます。
今までは、物質文明と精神文明が交互に、ある時は一方的に大きくなったりして今まできています。それを全体のバランスをとるのが霊的文明です、神さまと一体の自分が精神文明も物質文明も、バランスのとれた姿に変えていきます、それはこれからの時代です。
だから、全部を生かさなければいけない、精神文明も物質文明もね。バランスをとって生かすのが大事です、否定しないのが大事ね、全部生かし切るという働きですね。
昔みたいに物のない時代になったら良いかと言うとそうじゃないのね、便利なほうが良いです、それも必要最低限に最高に良いものがあるほうが良いです。だから、神さまの最高の世界とこの世が一致するのが良いですね、高い世界ほど必要なものがサッと出てくるんです。トイレでも清潔なほうがいい、整理整頓できていつも綺麗なほうがいい、高いものでも空中からさっと出てくるほうが良いでしょう。これからそうなるかもしれないですよ。
神の創造と人間の創造
質問者:
必要なものが与えられるような状態になるのであれば、何のために、神の意図としては、この世に人間を送り出して、この世界を創ったのですか?
ありがとうございます:
神さまが人間に与えているのは、最高の理想の世界を一人一人に完璧に与え尽くしているというのは、本当の自分・命の自分に対してなんです。後は、本心の自分・命の自分に対して自由を与えて、好きな事をして遊びなさいという感覚なんですね。だから、この世を創ってきているのは一人一人の自分なんです、神さまじゃないんです、宇宙の大神さまじゃないんです。
神さまから自由を与えられて、神さまから最高の力を受けて、その自分が自由に遊んできてるんです。言ってみれば、ちょうど一枚の紙を与えてもらって、色鉛筆を与えてもらって、絵を描きなさいと任せられた状態が本当の自分です。それで今まで、落書き描いたりいろんな描き方してきて、だんだんと完成に向けて仕上げてきてるんですね。
神さまの宇宙創造と、人間がこの世を創る創造とダブって見えてくるでしょう。神さまは宇宙を創造して楽しんで眺めてる、人も自分の世界を創造して眺めるんです。ちょうど絵を描くような感じですね。この世の運命全部は一人一人の絵を描くような姿です。いろんな絵の描き方があります、一人一人全部違います。最初はみんな落書きですよね、でも、それを楽しませてもらっているだけです。神さまが全部与えて強制しているのではありません、人間の完全な自由の意思で選んでしている事です。
本心の自分を感じるには
質問者:(一つ前の質問の続き)
人間というのは、肉体の人間ですか?
ありがとうございます:
いいえ、肉体は一つの道具ですね。肉体の奥で働いている命の自分が人間です。本心の心の自分です。本心の自分と言うのは感謝の心です、神さまの与えてくるものを完全に受け取れる心の自分です。感謝を深めていったら、本心の自分が出てきて、神さまが与えてくれる最高のものを感じ取れます。その時に本当の人生の目的も、この世で自由に創造を楽しませてもらっている事もわかってきます。
感謝を忘れたら、肉体を自分だと掴んでしまう・過去を掴む思いに囚われます。そうすると、自由を失って、人生の目的もわからないし、なんか縛られてるなという感覚になるんです。縛られているのは、自分の思いに縛られた姿を掴むからです。もう一回感謝して、自由な心に戻らなければいけない。自由になったら楽しいばっかりになります、自分の好きな番組を楽しめます。最後には、無限の無限の輝きがいっぱいという状態になります、これは永遠に砕けない状態です。
この世はお祈りのチャンス
質問者:
この肉体の時に「ありがとうございます」を言い続けて、次に生まれ変わりの番組で生まれ変わったときに「ありがとうございます」をすっかり忘れてたらどうしましょう?
ありがとうございます:
そんなことはない、あの世へ行くでしょう、あの世のほうが早く進歩するんです。生れ変わって来ないかも知れないですね、必要ないものね。もっと早く神さまの世界に飛び込めます。
生まれ変わりを必要とするからこの世に生まれてくるんです。この世に生まれ変わってくるのは、自分に何が必要かという選択する勉強の場でもあり、お祈りのチャンスを与えてもらってお祈りの練習をする場なんですね。だからそれができるようになったら、この世に生まれてくる必要は全然ないし、あの世のほうが早く進歩します。ただ、この世に生まれてきて、みんなを助け指導するという立場だったら、自分が選んで生まれてくる可能性はあるよね。
神さまが降りてくる
質問者:
先生にとって、守護霊とはどんな方ですか?
ありがとうございます:
素晴らしい方!!みんなの守護霊様はもっと素晴らしいよ。立派な守護霊さんははけなされて喜ぶんです、ほめられても喜びません。ほかのものを褒めるほうが喜びますね、立派な高い守護霊さんほど謙虚に下に下に降りたがるんです。
言葉で指導があるのはまだまだ本物じゃないんです、嫌な事いわれたら苦しいですね。表面的に出てきて指導してくれる事もありますが、本当の守護霊さんの働きは、感謝してたらね、守護霊さんが自分の心の中に入ってきて、守護霊さんの心を自分の心に変えてくれます。そして、守護霊さんが実行してくれて、自分の行い努力となって出てくるんです。ピタッと一つになってるんです。言葉でああしなさいと言われないほうが本物ですね。守護霊さんが直接肉体に入って自分のように動いてくれます。感謝してるとこうなります。
守護霊さんも、その上の守護神さんも、「ありがとうございます」という最高の神さまも同じです。感謝してたら、降り易くなったら、「ありがとうございます」という神さまも降りてきます。そして、必要な助け、必要な力を添えてきます。
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.167