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ふることふみにようこそ! カウンター人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。

ふることふみ(古事記)

あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ

かれ あは おほみまの はらひせな と のりたまひて  
故  吾者 爲御身之禊而            
つくしの ひむかの たちばなの をどの あはぎはらに いたりまして
到竺紫日向之橘小門之阿波岐原而
みそぎ はらひ たまふ
禊祓也


竺紫 : 天を表示。大八嶋の成立の際に、筑紫国が極身の稜威の最高に輝いている国
          であったように、最高・最善・最大・最上等を表示するのであります。
日向 : 火を表示。大八嶋の成立の際に、肥国・建日向日量久士比泥別が大身の威力
          が照り輝く国であったように、大光明燦然を表示する。するのであります
橘小門 :水を表示。小門・小戸は狭い水門・水戸で大河の海に入る所。
     橘は登岐士玖能迦玖能木賞(ときじくのかくのこのみ)とも言
     い、夏に実り、秋冬になっても霜に堪え、香味が変わらない木
     の実であって、常世の国(不老不死の理想郷)にある永遠不死・
     を得る木の実で、永遠無窮の無限大生命を意味するのであります。
阿波岐原 :地を表示。阿波岐は天津菅曾(あまつすがそ)とも言い、大祓いの神事に
           使用される、神聖かつ霊的なものとされている草である。この
           草の生えている原で、神聖かつ霊的な場所を意味するのであります。
    大祓(祝詞)の中に、
    ・・・天津金木を、本打ち切り末打ち断ちて、千座置座に置きたらはして、
       天津菅曾を、本刈り断ち末刈り切りて、八針に取り避きて、
       天津祝詞之太祝詞事を宣れ。・・・」とある。

御身は「おほみま」と読む。尊厳無比の至尊(絶対神)の玉体を指す言葉。伊邪那岐神には自分のものという我の思いが全く無いのであります。自分の身体は絶対神そのものの身体でありますということを宣言しているわけであるのであります。
禊は「はらひ」と読む。自らが自らの力で自らの為に行うものなのである。自然治癒とか自浄作用というのも、その一例に当たるものであります。
為は「せな」と読み、「せむ」と同じ。

 伊邪那岐命は幽界の整理を完備して、次に顕界の整理に着手するわけである。竺紫日向之橘小門之阿波岐原とは天・火・水・地の全部揃っている顕界の意味でもあり、其処に於ける天・火・水・地の天津金木を中心にしての整理の仕方が禊祓の行事なのであります。

55-1

みそぎはらい
 禊祓の根本義

 神道における六根清浄の作法のことを一般に禊祓と言っているのであります。
それは醜汚を去り、罪悪を払い去ること、即ち 一切の所有物を放棄して、赤裸の清浄体に成ることであります。即ち八十禍津日とか・大禍津日とか言う褐(マガ)を払い去って、神直毘に大直毘に直く正しく清まることであります

 本来においては私有物というものは一つも無い。すべては神さまのものであるのであります
私有物というものは無いのに、私有物を持って喜んでいるのは、夢の中で宝石を拾って喜んでいるのと同じであるのであります。真我を見失って偽我の奴隷になっている迷妄虚無の姿であります。真我の自覚に到達するとき、無一物が無尽蔵であるのを自覚して、所有に対する一切の執着、争いは無くなるのであります、

 
地獄の方向に向いていると、地獄の外にほ何も見えない。地獄の解決を地獄で図ろうとしても、地獄に深く入り込むだけであります。クルリと光明の方向に向き直ってこそ、一切の問題解決の道があるのであります。無明によって、霊眼を覆い、光明界を暗黒に見ている感があります。しかし暗黒界で心を反転して・暗い所から明るい方を見れば、光明はより一層はっきりと見えるのが道理であって、暗黒界から光明界に復帰して、赤裸の潔斎をすれば、光明界が透き通って見えてきて、大達観の境地に至ることができるものであるのであります。

 伊邪那岐神の禊祓は、天上の上の上まで、地底の底の底までを達観して・顕幽生死を脱却し、天之御中主神の立場に立脚して、万世一系 天壌無窮の己が身の久遠の大生命を顕示することであり、正しい神統(八神統64神)の承継を開明することであります。
禊祓は祓うことよりも自覚に主眼があり、禊ぐことよりも根本の顕示に要点があるのであります。一切の持ち物を投げ捨てたり、身を海水ですすぐのは、本来の顕示に対する方式に止どまるものであります。

禊祓の最も根本であり、かつ最も重要な眼目は、宇宙乾坤・顕幽生死を明瞭にすることであります。
そのために神統の始源を開明することであり、それによって万世一系 天壌無窮の久遠の大生命を自覚することであり、それぞれの天命を鏡を見るがごとくに明白にすることであります。
そして必然の神業を徹底してゆくことであるのであります。


55-2

大祓 祝詞 後段

たかやま  ひくやま   さくなだり  お たぎづ はやかわ せ ま
高山 の末、短山の末より、佐久那大理に、落ち多支都、遠州  の瀬に坐す・
せおりつひめ い   おおうなばら
瀬織津比賣 と云ふ神、大海原に持ち出でなむ・
(山から水が勢いよく流れて、一切の汚濁物を、小川から大州へ、大川から海へと運びこむのは、瀬織津比賣の神の力である。 : 食物が口でかみ砕かれ、食道から大海原なる胃へ運ばれる。:一切め汚濁物を流し捨てなければ、あらゆる文化・思想・・・・を本源に帰さなければ、腐ったもので一杯になり、人間の霊性を腐敗させる。)

かく       あらしほ  やはぢ しほ やほあい ま  はやあきつひめ い
如此持ち出でなば、荒塩の 塩の八百道の塩の 八百会に 坐す、速開都比貢と 云ふ
    かかの
神、持ち可可呑みてむ。
(海の底では、沈殿した汚濁物を、強烈な震動によって、地球の内部にグングンと呑み込んでゆく。それは速比賣の神の力である。 :胃腸の中の食物は、複雑で猛烈な消化作用によって細かくなり、血液の中へ吸収される。)

  かかの    いぶきど ま いぶきどぬし   ね くに そこ 
かく可可呑みでは、気吹戸に 坐す気吹土主といふ神、根の国  底の 
くに いぶきはな
国に 気吹放ちてむ。
(地球の内部に呑み込まれた物質が、火輪帯で火の洗礼を受けてドロドロに熔解し、中心の風輪帯に強い力で吹き込まれる。その吹き込む働きを気吹戸主神という。 :その血液が肺臓に送られて、気吹戸主神の呼吸作用によって、血液が純潔になる。)

  いぶきはな  ね くに そこ くに ま はやすらひめ い
かく気吹放ちては、根の国  底の国 に坐す、速佐須良比賣と云ふ神持ちさすらひ
うしな
失ひてむ。
(一切の物質は、純粋な元素に復して、今度は逆に前路を反対にたどって外部である地球の上面に現れ、岩石や土壌、植物や動物の構造のために使われて、新しい生命として活現する。:さすらふ・・・量も遺当にかつ完全に分配する。:これが遠佐須良比賣神の働きである。 :純潔になった血液は、心臓に到って、そこから身体各部へ、遠佐須良比賣の作用によって、処理分配されて、身体の各部を養うのである。)

かく     すめら みかど つか まつ つかさつかさ ひとたち 
如此失びでは、天皇が 朝廷に 仕へ 奉る 営々の    人等を始めて
あめのしたまる
天下四方には、今日より始めて罪と云ふ罪はあらじと・・・・・・。

 以上のような順序に循環が行われて、地球・人類・あらゆる生物の生存の為の新陳代謝が繰り返されるのである。 大祓祝詞の後段は宇宙全体の新陳代謝・新生を説いているのである。

      水の循環 = 血液の循環 = 宇宙の循環



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