ありがとうございます 神書 8-45

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光と闇・善と悪・プラスとマイナス


 光と闇・善と悪・プラスとマイナス・正と邪・生と死・建設と破壊等々の、相対に分かれた双方の一大争闘のドラマが、繰り広げられているのです。光の側から見れば、光の進軍です。闇の側から見れば、闇の跳梁跋扈(チョウリョウバッコ)です。




 正神界の神々は、業想念(思い)を消し去り、本心の心を輝かせ、新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!にしようと、日夜働き続けているのです。




 邪神界の神々は、巧みな術策をもって、業想念を積み重ねさせ、本心を思いの黒雲で覆い隠し、七難八苦の状態へ、地獄のどん底へ引きずり込もうと、躍起になっているのです。




 正神界の神々は、より高い番組を現実化しようと働いているのです。




 邪神界の神々は、より低い番組を現実化しようと働いているのです。虚実の無限の無限のチャンネルの番組の中から、プラスとマイナスのどちらを多く現実化できるか、その勢力争いの熾烈な戦いなのです。




 人もどちらの側に味方するのか、その態度をハッキリさせなければならないのです。鳥の側に味方したり、動物の側に味方したりする、蝙蝠(コウモリ)のような生き方では、どちらの側からも受け入れてもらえないのです。正神界に味方するのか、邪神界に味方するのか、自分の自由意志をハッキリと示さなければならないのです。




 正神界に味方したいのであれば、本心の心を輝かせて、感謝一筋・恩返し一筋の生き方を選べば良いのです。




 邪神界に味方したいのであれば、業想念の心・思いの心・五欲の心の奴隷となって、自分の思い通りに生きようとすれば済むのです。正神界に味方すれば、極楽世界の住人になれるのです。邪神界に味方すれば、地獄世界の住人になれるのです。




 正神界の神々と邪神界の神々との綱引きなのです。




 正神界の神々は、一人でも多くの人を、最高の悟りの世界へ、最高番組の世界へ導こうとしているのです。




 邪神界の神々は、一人でも多くの人を、地獄のどん底の世界へ、最低番組の世界へ引きずり込もうとしているのです。




 感謝に生きるのか、思いに生きるのか、人は常に二者択一の選択を迫られているのです。思いの世界に留まりたいのか、感謝の世界に入りたいのか、一人一人の本当の自由意志が問われるのです。




 自分の自由意志を、一大決意と一大勇猛心で定めたならば、すべての反対・誘惑・妨害は消え去るのです。




 自分の自由意志を縛るのは、常に自分だけなのです。他の何者も自分の自由意志を縛ることはできないのです。神さまですら人の自由意志を縛れないのです。




 真の悟りを開きたいのであれば、最高番組を現実化したいのであれば、絶対不変の不動の中心を定めることが大事なのです。




 『天照大御神 今ここに 在します』と中心を定めて、絶対感謝の『ありがとうございます』を生きれば良いのです。