ありがとうございます 神書 8-43

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環境は自分の心を写す鏡である、という真理


 イソップ物語に、肉片をくわえた犬が、橋の上から水面に写る自分の姿を見て、他の犬だと錯覚してワンと吠えたら、自分のくわえていた肉片を川へ落としてしまった、という話があるのです。これを自分自身に当てはめてみると、笑うに笑えない笑い話になってしまうのです。環境は自分の心を写す鏡である、という真理が理解できなければ、これと同じ愚を犯してしまうのです。他の人をマイナスに見て責め裁く人は、自分自身のマイナスが鏡に写って見えているのだという、因縁の理が判っていないのです。




 神さまの強い光が降りてくると、自分の心の底に溜まっていたマイナスの思いが、大きく浮かび上がってくるのです。今まで気付かなかったマイナスが、心の中だけでは無く、形にまで出て来て、外部環境にまで大きく投影されてくるのです。同時に明るく照らし出されて、今まで見えなかったものもさらけ出されて、ハッキリと見せつけられるのです。




 自分自身のマイナスだからこそ、それを認めたくないという思いから、他に責任を転嫁しようとしてしまうのです。




 すべてのマイナスを、自分の責任として受け止められる人は、本当に強い人です。




 すべてのマイナスを、感謝の真祈りで、消し去る力を持っているのです。




 思いの心を生きている人には、思いを消し去るだけの力が無いので、他に責任を転嫁して、逃げ出したくなるのも無理は無いのです。

 神さまの強い光で照らし出されると、暗闇の中では区別できなかったことも、細部にわたってそれぞれの違いがハッキリしてくるのです。




 同じように真理を学び、感謝の祈りをしているように見えても、それぞれの心境の差、心の波の違いがハッキリと示されてくるのです。




 それぞれが自分に相応しい勉強の場で、波長の合う者同士が一緒に歩むようになるのです。




 波の合わない者は自然に離れ、波の合う者は自然に集まるようになるのです。




 心の波の合う者同士が自然に集まって、お互いに助け合い・励まし合って、真理の学びを深め、感謝の祈りを実行して、幸せを大きくしてゆくのです。

 過去を掴む思いの心というのは、分別心となってマイナスを掴み、そのマイナスを責め裁いて、自己処罰してゆくのです。




 マイナスを消し去る為には、プラスを加えるしか無いのに、そのプラスを加える方法を知らないのです。




 自心のマイナスを責め裁いても、鏡に写った他と見えるマイナスを責め裁いても、すべて自分を責め裁くことになるのです。




 どれだけ自己処罰しても、過去の罪・マイナスの償いにはならないのです。




 マイナスにマイナスを積み重ねて、マイナスを大きくしているだけです。マイナスはマイナスに波が合って、マイナスを引き寄せてしまうのです。




 マイナスを消し去る為には、過去を一切相手にしないで、今を新たに、神さまからの無限の無限のプラスを受けるだけで良いのです。