ありがとうございます 神書 8-42

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仏教の教え「十界」


 仏教の教えでは、人の心境を十段階に区別して、説いているのです。即ち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界です。神さまに心を向けて、真理の教えを聴聞し、学ぶ段階が、声聞界です。




 「立ち向かう人の姿は鏡なり、己が心を写してや見ん」という道歌を、因縁の理を覚った段階が、縁覚界です。




 自分の見ている世界のすべては、自分の心をそのまま鏡に写すように見ているのである、という因縁因果の法則を本当に理解できたならば、神さまの大犠牲精神の愛の働きに、感謝せずにはおれなくなるのです。いつも大難を小難か無難にして、守り続けて下さって、ありがとうございますと感涙に咽ぶのが、縁覚です。




 次の菩薩の段階は、恩返しに救いに立つ段階です。




 感謝の祈りを祈りに祈って、自分の心を変えることによって、自分の世界を変えてゆく段階が、菩薩界です。自分の世界をどこまで大きく変えられるかによって、小菩薩から大菩薩までの段階があるのです。





 感謝の祈りを感謝の真祈りにまで高め上げて、真実の世界を感受できるようになれば、仏界です。そこは一瞬一瞬新たなる無限の無限の天照大御神が一杯!の世界です。以上の四つの界は、感謝に生きる世界です。

 次の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの界は、思いに生きる世界です。奪い合う心を生きるのが、すべての幸せを奪い取られる、地獄界です。怠け心を生きるのが、必要なものも手に入らない、餓鬼界です。本能のままに生きるのが、理性も何も無い、畜生界です。競争心を生きるのが、利己的な、修羅界です。与えたら取り返す、ギブ・アンド・テイクが、人間界です。思いの心で貯金を先にする、ギブ・アンド・ギブが、天上界です。

 高い番組の救済の神々は、大犠牲精神で思いを身代わりに背負うことによって、低い番組の世界に波を合わせて、救いに降り立つのです。




 思いを半分背負うことによって、波が合うのです。背負った思いを消しながら、教えを説き、光を与えるのです。この愛の働きが無かったら、思いの世界に居る人が、感謝の世界に上ることは、永遠に不可能です。




 無限の思いを溜めた人が、感謝の祈りができるようになる為には、救済の神々の無限に大きな助けが必要なのです。




 感謝の祈りのできるようになった人は、自分の努力や力でなったのでは無いのです。




 自分に一番縁の深い、救済の神々の無限の愛・護り・支え・助けのお蔭なのです。先に既に無限の無限の大恩を受けているのです。だからこそ恩返しだけに生きなければならないのです。




 恩返しの感謝を、恩返しだけの感謝を、無限に無限に捧げ尽くしてゆかなければならないのです。




 感謝の祈りを祈らせてもらいながら、一寸でも求める心が出て来たら、落第・失格です。真実の世界、天照大御神の世界は、恩返しの絶対奉仕だけの世界です。このことを決して忘れてはならないのです。