ありがとうございます 神書 8-41

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物事を正しく見抜く、洞察力・眼力が必要


 物事を正しく見抜く、洞察力・眼力が必要です。何が真実で、何が事実で、何が虚偽なのか、しっかりと見抜かなければならないのです。またそれぞれの細部にわたる違いを、しっかりと見抜かなければ、判断を誤ることになるのです。例えば万人が太陽を眺めているとして、万人が同じ光を感受していると言えば、大きな間違いです。それは事実でも何でも無いのです。錯覚であり、間違いであり、嘘なのです。真実というのは、地球の遙か彼方の、本物の太陽を捉えなければならないのです。事実として捉えているのは、地球の大気圏で乱反射して生じた、疑似光体としての偽の太陽です。またそこから一人一人に届いている光は、すべて異なる光です。同じ光を受けることは不可能なのです。この違いが判らなければ、事実をも見誤っているのです。




 更には一人一人は、異なる心の色眼鏡をかけて、見ているのです。同じ光も、同じ太陽も、色眼鏡を通した分だけ、変化して見えるのです。黒い心の色眼鏡を通して見れば、太陽も黒く見えるのです。赤い心の色眼鏡を通して見れば、太陽も赤く見えるのです。また心の色眼鏡に汚れが付着していたら、その部分を通して見たら、太陽に汚れが付いているように見えるのです。このように考察してゆくと、一人一人は全く別個のものを、自分の思い通りに翻訳して、好き勝手な感じ方をしているのです。一人一人は全く別個の世界に居るのであって、共通性は全く無いのです。みんなそれぞれに、自分一人だけの世界に住んでいるのです。そして自分の思い通りに感じているだけなのです。思いのある間は、錯覚に生きているのです。思いが消えて無くなれば、その人だけの事実を感じるようになるのです。更に大きな自分になれたら、自分だけの真実を感じ始めるのです。




 人を見る場合も、肉体という表面・外見だけを見ていたら、正しい判断はできないのです。肉体という道具・器を動かしている、中身は一体何者かを見抜かなければならないのです。普通は肉体を動かしている中身が、絶えず変化しているのです。宇宙の大神が動かしているのか、本心が動かしているのか、守護神が動かしているのか、守護霊が動かしているのか、副守護神・副守護霊が動かしているのか、先祖霊が動かしているのか、背後霊が動かしているのか、憑依霊が動かしているのか、動物霊が動かしているのか、業想念が動かしているのか、他からの念力が動かしているのか、その他どんな力が動かしているのか、その中身の実体をしっかりと見抜かなければならないのです。肉体という一個の体に囚われて、漠然と同じように見ていたら、大きな間違いです。そこには真実や事実は全く無く、錯覚だけがあるのです。一人の肉体人間を通して現れる姿は、中身の入れ代わり・変化に従って、コロコロと大きく変化し続けているものなのです。