ありがとうございます 神書 7-4

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救済の神々による無限の無限の助けが必要


 思いの泥沼に沈んで仮死状態に陥っていた自分が、太陽のような本源の自分に戻るまでには、救済の神々による無限の無限の助けが必要なのです。思いの泥沼の世界と思いの雲の世界とは、文字通り雲泥の違い・大きな差があるのです。思いの泥沼の世界から思いの雲の世界まで引き上げてもらうだけでも、無限の助けが必要なのです。自分の積み重ねた無限の思いを、身代わりに振り替えて背負ってもらわなければ、思いの泥沼からは抜け出せないのです。大犠牲精神の愛の心で救いに降り立つ救済の神々の苦労は、並大抵のものでは無いのです。本当に筆舌を超えた大変なものなのです。この無限の大恩に対する感謝が無ければ、本物の感謝にはならないのです。既に既に与えられ済みの無限の大恩に対して、恩返しの無限の感謝を捧げ続けてこそ、感謝は本物になってゆくのです。恩返しを忘れて、求める心を起こしては、神さまの助けを受け損なってしまうのです。




 思いの雲の世界に引き上げてもらったら、今度は雲の上の光の世界へ昇る準備を始めなければならないのです。




 思いの苦しい縛りから解放され、思いの黒雲から白雲に変化するようになると、思いの心にとっては、これ以上の幸せは無いという位に、有頂天になるのです。しかしここは未だ思いの世界であって、光の世界では無いのです。




 過去を掴み、肉体や魂の自分を生きているようでは、未だ思いの心を生きていることになるのです。新たに新たに光の自分を受け直さなければ、光の世界には昇れないのです。思いの心では光の世界へ昇れないのです。光の自分に、本物の感謝の心に成らなければ、光の世界には住めないのです。




 思いを消し去る為に、神さまの強烈な光が降り注ぐと、思いの沸騰現象が起こるものです。天の岩戸が開かれ、天照大御神が現れると、小さくは個人の、大きくは地球規模の、思いの沸騰現象が起こり、心が両極端に揺れ動くのです。ここで思いに生きるか、感謝に生きるか、どちらかを選ばなければならないのです。自分の思い通りに行きたい人は、思いの泥沼に転落してゆくのです。




 何事もすべて、過去を掴み、マイナスに観て、他に責任を転嫁するようでは、思いに生きることを選んだことになるのです。




 本当に感謝に生きることを選んだ人は、神さまに心を向けて、無限の無限のプラスを受け直すことに、全責任を持とうとするものです。




 真(まこと)に真(まこと)に光の自分から光源の自分に戻る為には、最高の自由意志の発揮が必要なのです。思いの奴隷状態では不可能なのです。だからこそ何を選ぶか、どちらを選んで来るか、とことん試されるのです。既に与えられている、新たに与えられている、神さまの最高表現・天照大御神さまに出会う為には、恩返しの感謝・本物の感謝を、自分の自由意志で選んで、絶対感謝の道を歩まなければならないのです。