ありがとうございます 神書 8-27

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感謝の祈りと恩返しの生き方


 「ありがとうございます」という祈り言葉を、心の奥深くで唱え続けることによって、感謝は必ず大きく深くなってゆくのです。しかしその深まり方は、人それぞれに千差万別なのです。神さまの助けは常に平等に降り注がれていても、その受け方に大きな違いがあるからです。本心の目覚めの程度や、思いの量と質の違いによって、神さまの助けの受け入れ方が、種々様々なのです。




 感謝が深くなるということは、神さまの絶対の愛に、無限の大御恩に気付くということです。気付きが、感謝の必須条件です。気付けば、感謝が湧き上がるのです。そして本当に有り難ければ、恩返しに生きる筈です。本当に感謝が深くなれば、絶対奉仕に生きる筈です。絶対奉仕に生きている筈です。だから神さまへの恩返しの絶対奉仕に、どれだけ真剣に生きているかによって、感謝の深さの程度が判別できるのです。恩返しに、絶対奉仕に生きてこそ、感謝は本物に成るのです。




 思いというのは、霧や煙や雲のようなものです。思いが一杯というのは、濃霧や黒煙や黒雲の状態です。視界が〇になって、何も見えないので、気付きが無いのです。思いが消えたら、視界が開けて、気付きが殖えて来るのです。心に溜まった思いを、どうすれば早く消し去れるか、真剣に取り組む必要があるのです。思いの心で思いを消し去ることは、煙で煙を消そうとするのと同じで、不可能なのです。どんな思いも、神さまに預けることによって、消し去ってもらえるのです。




 神さまへの恩返しに、絶対奉仕に生きることによって、自分の思いを大きく、神さまに預けることができるのです。神さまに預けた思いは、完全に消し去ってもらえるのです。自分の働いた分を他に与え尽くして、自分の思いを他に預ける方法は、消し去ってもらえるかどうかは未知数です。思いを消し去る力が無ければ、思いを身代わりに背負ってもらうだけです。どんな思いも神さまの光に触れて、消え去ってゆくのです。恩返しに、絶対奉仕に生きて、思いを神さまに預けて、消し去ってもらう方法と、祈りに祈って、神さまの光を受けて、消し去る方法とがあるのです。




 自力で思いを消し去るのは、至難の業です。


 他力にすがって、思いを消し去ってもらう方法が、恩返しの生き方です。


 本源の自分を呼び出し、思いを消し去ってもらう方法が、絶対力の生き方です。絶対奉仕だけに生きて、本源の自分に波を合わせ、本源の自分を引き出すのです。


 本源の自分が内から輝き出て来たら、すべての思いは速やかに消え去るのです。自分を神さまの御用に使ってもらうのが、神さまが内から輝き出て来て、大きく思いを消し去って下さる、一番の方法です。