ありがとうございます 神書 8-25

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真(まこと)の自由は真(まこと)の平等


 人は皆誰一人の例外もなく、神さまから最高のプレゼントを与えられているのです。それは真(まこと)の自由と真(まこと)の平等です。このことに気付いた人が、真(まこと)の幸せ者なのです。真(まこと)の平等とは、神さまから、天照大御神としての自分を、虚実の無限の無限のチャンネルの番組を、一瞬一瞬新たに新たに、与えられているということです。真(まこと)の自由とは、自分の自由意志を発揮して、どの番組でも、自由自在に味わえるということです。




 神さまの絶対の愛を感受し、自由自在な自分を自覚すれば、常に最高の幸せを味わい続けることができるのです。この世の人も、自分が自由に選んだテレビ番組を、楽しんでいるのだという自覚があれば、どんな番組を見ていても、決して苦しむことは無いのです。そのように天照大御神としての自分が、この世という一つの番組を選んで、楽しんでいるのだと気付けば、どんな番組でも楽しく味わうことができるのです。




 先ずは天照大御神としての自分を、一瞬一瞬新たに新たに、受け直すことです。そうすれば自由自在な自分を生きることができるのです。そして無限の無限のチャンネルの番組の中から、どんな番組でも自由に選んで、自在に味わうことができるのです。天照大御神としての本源の自分を忘れたら、自由自在な自分を見失い、番組に囚われ、番組の中に嵌まり込んで、不自由な自分を掴んでしまうのです。自由な自分を忘れるから、自由が無いと錯覚するのです。不覚にも我を忘れた状態に陥っているだけのことなのです。




 この世の人も、天体望遠鏡を使って大宇宙を観測したり、顕微鏡を使ってミクロの世界を観察できるのです。どちらも楽しんでいる自分が自覚できていたら、幸せは決して崩れないのです。もし仮に楽しんでいる内に我を忘れてしまったら、見ている世界の姿に囚われて、本来幸せな自分を見失って、不幸な自分と錯覚する可能性は有るのです。移り変わるすべての姿を、神さまから新生してくる、光の流れとして、サラサラと眺められる自分であれば、執着して囚われることは無いのです。その為には、新たに受け直せる感謝の自分を、決して忘れてはならないのです。




 どんな番組でも、自分の自由意志で選んだものであれば、楽しめるのです。地獄番組でも、自分の自由意志で選べば、一つの番組として、楽しく眺められるのです。番組の違いによって、幸せが左右されるのでは無いのです。自分が自由意志を発揮しているかどうかによって、幸せは左右されるのです。常に最高の自由意志を発揮できる自分は、天照大御神としての本源の自分です。だから幸せが絶対に崩れないのです。感謝の真祈りを祈り続けるのは、この自由自在な自分を常に自覚する為なのです。




 『天照大御神 今ここに 在します。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます』