ありがとうございます 神書 8-17

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「この命を神さまに捧げます」という言葉」


 感謝一筋に生きるのは、マイナスの一言を使わない為です。




 恩返しの絶対奉仕に生きるのは、思いを消しさってもらう為です。




 真(まこと)の神さまに心を向け続けて、感謝一筋に生き続けたら、大きなプラスの光を浴び続けることができるのです。そこにはマイナスの言葉は近寄って来れないのです。




 「この命を神さまに捧げます」というのは、古い自分を死に切り、消し切る為です。




 「この命を神さまの御用にお使い下さい」というのは、無条件でハイと従う為です。




 過去の自分を掴んで、条件をつけて、言い訳をしているのは、神さまに古い自分を預けることにならないのです。神さまに預けた分だけ、古い自分を消し去って貰えるのです。神さまへの恩返しの絶対奉仕に生き続けたら、着実に・確実に、過去に積み重ねた思いを消し続けてもらえるのです。




 思いというのは、過去・過去世における借り・借金・負債なのです。自分の働き以上にもらった分は、他からの借り、即ち思いなのです。他人のお世話になった分は、他からの借り、即ち思いなのです。借りの多い人ほど、心に思いを一杯背負い込んでいるのです。借金は放置すれば、利息が付いて殖え続けるのです。思いも同じです。救済の神々が、思いを引き受けて消し去って下さるのは、高利の借金の肩代わりと同じで、大犠牲を払う大変なことなのです。何度も繰り返したら、自分が破産して、思いの奴隷に陥ってしまうのです。無限の徳(貯金)持った神さまでも、救いの対象を厳選してくるのです。救ってもらう側も、感謝一筋に恩返しの絶対奉仕に生きようとしなければ、救いの対象に選んでもらえる確率が少なくなってゆくのです。救う側にも選ぶ権利があるのです。




 謙虚な人、素直な人、真剣な人ほど、救いの対象に選んでもらい易いのです。




 思いの泥沼には、思いの亡者が無限に一杯、ひしめきあっているのです。一人でも多く引きずり込もうと、足を引っ張りに来るのです。折角救済の神々の涙ぐましい働きによって、思いの泥沼から引き上げてもらっても、今度は自分の自由意志を発揮して、思いの雲の世界から感謝の光の世界へ飛び込もうとしなければ、一寸の油断で思いの泥沼に転落してしまうのです。




 救済の神々の応援のある間だけが、救われの唯一のチャンスなのです。一気呵成に短期間に、すべての力を結集して、雲の上へ抜け出なければならないのです。それは思いの心・求める心をすべて捨て切って、感謝一筋・恩返し一筋の心になることです。




 自分中心の求める心を生きていては、思いの世界から抜け出ることは不可能です。自分の立場を捨て切って、恩返しだけに生きる心になれば、光の世界・思いの雲の上へ抜け出た心です。高い神さまの応援の時間は短いのです。短時間で一気に勝負を決着をつけなければ、高い神さまの応援は無くなってしまうのです。