ありがとうございます 神書 8-16

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人は言葉通りの自分に成ってゆく


 人は自分の選んで使う言葉によって、言葉通りのものを神さまから受けて、言葉通りの自分に成ってゆくのです。人は神さまが与え続けて下さっている、無限の無限のチャンネルの放送番組の中から、どのチャンネルの番組を選んで、それを現実化し、自分の番組・世界・運命として体験し味わっても、それはどこまでも一人一人の自由選択の結果なのです。マイナスの言葉を使えば、マイナス番組に波長が合って、それが現実化してくるのです。マイナスの言葉は使えば使うほど、沢山のマイナスが現実化してきて、そのマイナスを見たり・聞いたりするだけで、さらに沢山のマイナスの言葉を使ったことになって、番組をマイナスへマイナスへ下げてゆくのです。環境に左右される弱い人にとっては、マイナスの悪循環になって、歯止めがきかなくなるのです。




 どんなマイナスもそれに慣れて強くなれば、平然としていられるのです。プラスの世界だけに生きて来た人は、マイナスの一言にも弱いものです。どんな大きなマイナスにも負けない自分に成る為には、色々なマイナスの体験も必要なのです。大きいマイナスの中で鍛え抜かれたら、どんなマイナスからも逃げようとはしないものです。平然とどんなマイナスも無視して、本当のプラス思考の生き方ができるのです。形の地獄の中でこそ、心に極楽を感受できたら本物です。




 病苦の中にあっても、無限健康を感受するのが、祈りの修行です。




 無限のマイナスの中に置かれても、無限のプラスを感受するのが、真(まこと)の感謝の修行です。





 どれだけ一点集中して、神さま(無限の無限のプラス)だけに、心を向け続けられるかが問われるのです。本当に神さまとの出会いを真剣に願っているならば、神さまだけに心を向け続けられるはずです。




 現実へ心を向け続けているのは、思いの心です。現実を相手にしないで、ただひたすら神さまだけに心を向け続けてゆくのが、真(まこと)の感謝の生き方です。五欲を満足させたい、思い通りに生きたいというのでは、思いの世界から抜け出ることは不可能です。神さまに出会いたい、神さまと一体化したい、真(まこと)の悟りを開きたいという誓願が無ければ、感謝の光の世界へ入ってゆけないのです。救済の神々が思いを消し、光を与えてくれている間に、感謝一筋の自分になってゆかなければ、中途半端な生き方では、思いの泥沼に沈んでゆくのです。




 マイナスの一言で、人の意識は思いの中へ吸い込まれてゆくのです。




 無限の無限のプラスの言葉で、人の意識は感謝の光の中へ入ってゆけるのです。




 常に常に無限の無限のプラスの言葉を駆使し続けたら、マイナスの一言を選ばなくて済むのです。そして思いの雲の世界から、感謝の光の世界へ抜け出て、本当の感謝一筋の自分に成れるのです。