ありがとうございます 神書 7-51

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他の助けを受けて喜んでいるのが業想念の心


 自分を神さまに会わせてゆくことが、本心開発(悟り)の生き方なのです。自分に合わせてもらうだけでは、本心は輝いて来ないのです。肉体人間の生き方を見ていても、親が子供に合わせて助けるのは、子供が幼子の状態の時です。ある程度成長すれば、子供は親をお手本にして、自分を親に合わせてゆくことによって、立派に独り立ちできるのです。肉体人間としての生き方だけを見ても、何時まで経っても独り立ちできないのは、甘えて怠けているからで、非常に恥ずかしいことなのです。




 恩返しの為に・自立する為に・人助けの為に・三人前以上の努力をしてこそ、肉体人間としても立派なのです。それを逆にして、他から助けてもらうばかりでは、借り(業想念)を積み重ねるばかりで、本心の自分に戻ることができなくなるのです。




 他の助けを受けて喜んでいるのは、業想念の心なのです。




 他を助けて喜ぶのが、本心の心なのです。




 業想念の心を喜ばせても、業想念の心を増長させるだけです。益々本心の自分に戻れなくなるのです。




 肉体人間として生きるにしても、自分をより立派な人に合わせてゆくことによって、立派になれるのです。自分より立派な人をお手本にして、真剣に真似することによって、それに近づけるのです。心を向けることによって、波長を合わせ、その感化を受けることになるのです。真剣に努力すれば、どんな人間にでも成れるのです。目的・目標を定めて、真剣に努力することが、願望成就の秘訣なのです。ましてや本心の自分として生きて、本心の自分を大きく輝かせたいのであれば、自分を神さまに合わせてゆく、徹底した生き方が必要なのです。




 自分のすべてを神さまに捧げ尽くして、神さまをお手本にして、徹底した奉仕の生き方をすれば、本心は大きく輝いて来るのです。自分を神さまに合わせてゆくということは、救う側に・助ける側に、自分を置くということです。七難八苦を背負ったままで、自分の救われは後回しにして、他を助ける為に全力を振り絞れば、本心の自分が出て来て、救われた自分に成るのです。




 神さまに縋るということは、神さまにピッタリと寄り添うようにして、神さまと一緒に歩むことなのです。神さまの御心を現す為に、世界の平和・人類の幸せの為に、粉骨砕身して奉仕することなのです。救いに立てば、救われるのです。助けに立てば、助けられるのです。救って欲しい・助けて欲しいという心では、永遠に救われることは無いのです。既に救われている本心の自分を引き出すことが、本当の救われを手にすることになのです。本心の自分を生きて、自分を完全燃焼させて、真理の灯台となることが、真実に救われた自分に成ることなのです。本心の自分をどこかに置き忘れていては、いくら救われを捜し求めても、無駄な足掻き・徒労に終わるのです。