ありがとうございます 神書 7-5

神書目次へ


絶対の今』と『久遠の今』を生きる生き方


 本心の心の『今を生きる』という生き方と、業想念の心の「今さえ良ければ」という生き方とは、全く正反対の生き方なのです。本心の心の自分は、すべての責任を自己に帰すのです。だから過去世のマイナス・借金・業想念を、自己の全責任の下に、一日も早く精算しようとするのです。その為には神さまの無限の無限のプラスを受ける必要があるのです。謙虚な謙虚な心でマイナスの極に立ち、素直な素直な心で神さまの助けを受け、大きく大きく喜ぶことによって、無限の無限の価値有るプラスを加えてゆこうとするのです。それが『絶対の今』『久遠の今』を生きる生き方なのです。その『今』の中には、すべての時間・すべての空間が存在するのです。神さまの最高表現が現前するのです。神さまの一瞬一瞬新たなる、全徳の無限の無限の輝きが一杯!なのです。本心の心の『今を生きる』というのは、神さまからの最高の生き方を、一瞬一瞬真剣に受け直すことなのです。瞬時にして、地獄を極楽に変貌させる生き方なのです。




 反対に業想念の心の自分は、無責任で狡いのです。借金取り(過去世の大恩人)が来ても、マイナスに見て逃げ回るだけです。目先のことだけを考えているのです。背に腹はかえられぬと、自我の欲望満足を優先させようとするのです。過去世のマイナス・借金・業想念を精算しようという気持ちが全く無いのです。だからどんどん雪だるま式に、マイナス・借金・業想念は、大きく殖え続けているのです。この世の借金ならば、踏み倒すことも可能です。しかし過去世の業想念の借金は、絶対に踏み倒せないのです。何処へ逃げても必ず、地獄の極苦が待ち受けているのです。人生はこの一生だけでは無いのです。永遠に続いてゆくのです。この一生を安楽に過ごせても、過去世の借金返しをしなければ、地獄へ行くしか無いのです。この一生が七難八苦の連続であっても、過去世の借金返しをすれば、極楽へ行けるのです。




 この世は魂を磨く為の場なのです。過去世の借金返しをする為の場なのです。過去世に積み重ねた無限の業想念を消し切る為の、本心の心を大きく輝かせる為の、修行の場なのです。業想念の心の自分では、過去世の借金の利息を返すことさえ不可能なのです。それでは永遠に地獄の極苦を受け続けなければならないのです。だから救済の神々の加護の下に、無限の借金を一時棚上げにして、借金返しのできる本心の心の自分を引き出す為の、真祈りの修行をさせていただいているのです。業想念の心を残せば、必ず地獄へ引き寄せられてゆくのです。本心の心の自分に戻って、神さまの助けを大きく受けて、無限の業想念を一日も早く消し切らなければ、安閑としていることはできないのです。今日一日で、どれだけの業想念の借金を返すことができたか、毎日毎日が真剣勝負なのです。