ありがとうございます 神書 7-45

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与えられた一瞬のチャンスに守護神霊の加護を


 与える心を生きる者は、益々多くを与えられ、奪う心を生きる者は、益々多くを奪われるのです。本心の心を生きる者は、益々本心が輝き、業想念の心を生きる者は、益々業想念が厚く積み重なるのです。これは厳然たる宇宙の法則なのです。だから本心の心を生きて、本心の心を輝かせたいのであれば、本心の心を徹底して生きなければならないのです。業想念の心を一切相手にしないで、完全に無視して、本心の心だけを生き続けなければならないのです。




 これを中途半端にすると、本心を輝かせることは、永遠に不可能なのです。自分のすべてを、本心開発に一点集中しなければ、本心の自分に戻ることもできないのです。業想念の心の奴隷状態から抜け出す為には、並大抵の努力では無理なのです。渦巻く濁流に翻弄されている木の葉が、そこから抜け出す為には、与えられた一瞬のチャンスを活かして、救い上げてもらうしか方法は無いのです。業想念の心の奴隷に陥った自分が、本心の心の自分に戻る為には、与えられた今の一瞬のチャンスに、守護の神霊の大きな加護を受けて、救い上げてもらわなければならないのです。




 業想念の心の世界に執着していては、本心の自分に戻ることは、絶対不可能なのです。業想念の心の世界への未練を、一切断ち切らなければ、業想念の渦巻く濁流に、直ぐに飲み込まれてしまうのです。そうすると表面に浮かび出るチャンスは、二度と訪れて来ないかも知れないのです。本心の自分に戻るチャンスは、もっともっと少ないものなのです。本当に本心の自分に戻りたいと願っても、自分のいのち(すべて)を、守護の神霊に託さなければ、救い上げてもらうことはできないのです。『今』の一瞬一瞬を、いのちがけの真剣な心で、『ありがとうございます』と感謝し続けてこそ、守護の神霊の助けを受けることができるのです。




 外界(運命)が善くなることを願う心では、外界への未練を断ち切ることは難しいのです。外界への未練を断ち切る為には、本心開発への一大決意と大勇猛心が必要なのです。誰でも外界への未練を一度は断ち切って、真祈りの修行に没頭しなければ、本心の自分に戻ることは難しいのです。中途半端な心は、何時まで経っても、業想念の心のままです。自分にとって最も大事な『いのち』を捧げ尽くし続けてこそ、新しい『いのち』の自分を与えられて、本心の自分に戻ることができるのです。自分の『いのち』を神さまに捧げ尽くし続けるということは、今の一瞬一瞬を、『ありがとうございます』と感謝一筋に生きることなのです。神さま(無限の無限のプラス)に心を向け続けることなのです。新たなる全徳の無限の無限の輝きに、ひたすらに心を向け続けることなのです。湧き上がる無限の無限の感謝が、本心の自分なのです。