ありがとうございます 神書 7-42

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業想念を自分の心と掴む根本の錯覚から抜け出す


 本心の自分に戻り、本心の自覚を深め、本心を無限に無限に輝かせることが、真実の幸せ(無限の無限の幸せ)を体感体得することなのです。その為には業想念の心(五欲)を自分の心として掴む、根本の錯覚から抜け出すことが、先ず一番に必要なことなのです。神さまの御心から新生して来る、神さまの御心と一体の、本心の心こそが本当の自分の心なのです。しかし業想念の心を自分の心として掴んでいる限りは、本心の自分に戻ることはできないのです。業想念の心の奴隷となって、業想念の心に操られて、本心の自分を否定していては、本当の自分を見失うことになるのです。どうすれば業想念の心を捨てて、本心の心の自分に戻れるのか?最も重大な根本命題なのです。




 業想念の心の自分では、業想念の心を捨てて、本心の心に戻ることは不可能なのです。煙で煙りを払うようなもので、業想念の心の泥沼から抜け出すこともできないのです。それでは本心の自分に戻るのは、永遠に不可能かと言えば、そうでも無いのです。宇宙絶対神は最初から、業想念の泥沼に落ち込んだ時の為に、救いの手(守護の神霊)を差し延べて下さっているのです。守護の神霊に救いを求めて、その加護を受け入れれば、業想念の泥沼から抜け出て、本心の自分に戻ることができるのです。守護の神霊は、業想念の心を消し去り、本心の心を引き出す為に、常に待機して見守っているのです。だから本人が自分の自由意志で、業想念の心の泥んこ遊びから抜け出したい、と願うことが大事なのです。泥んこ遊びを楽しんでいる間は、本人の自由に任せているのです。自分自身が七難八苦の状態に陥って、初めて愚かな遊びから抜け出したいと願うものなのです。自分の思い通り・願い通りになっている間は、どんなに他に迷惑を掛けていても、止めようとはしないものなのです。




 業想念の心(五欲)を生きれば、必ず七難八苦の状態に陥るのだということを、肝に銘じておくことが大事なのです。そうすれば二度と同じ過ちを繰り返すことは無いのです。本心の自分をしっかりと生きようとすれば、必ず守護の神霊の加護が受けられるのです。守護の神霊は喜び勇んで、業想念の心を消し去り、本心の心を引き出して下さるのです。




 何事も徹底することが大事なのです。中途半端では駄目なのです。本心の心を生きるか、業想念の心を生きるか、自分自身がしっかりと定めなければならないのです。




 本心の心を生きたいという願いが、本当に真剣なものであれば、守護の神霊も身近に寄り添って、大きく助けて下さるのです。




 『私のいのちを神さまの御用にお使い下さい』という、本心の願いを前面に押し出せば、守護の神霊も全力を振るって、守りに護って下さるのです。後は、『ありがとうございます』と、ひたすら祈り続けて、すべてに全力を尽くすのです。