ありがとうございます 神書 7-18

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祈り続けることが本心開発の道



 正しく祈ることが、神さまへの絶対奉仕なのです。神さまの御心を感受して、正しく祈るということは、神さまのことだけを、一途に思い続けているのです。神さまを愛するということは、神さまを一途に思い続けることなのです。だから正しく祈るということは、神さまを愛することなのです。神さまを愛することによって、神さまの無限の無限の大愛を感じ取れるのです。真実の愛は、一切の報いを求めないで、自分のすべてを捧げ尽くすのです。愛することによって、神さまとの交流が行われ、融合一体化するのです。そして神さまの御心が自分の心となり、神さまの働きが自分の行いとなって、現実化してくるのです。




 正しく祈り続けることが、本心の自分を生きていることになるのです。祈ることによって、本心の自分は輝き出て来るのです。祈り続けることが、本心開発の道なのです。祈りの無い人生は、本心の自分を見失った、無に等しい人生です。本心の自分・真実の自分を見失ったら、業想念の心の奴隷に陥るのです。業想念の心の奴隷は、七難八苦の人生を歩むしか無いのです。業想念の心を自分の主人として、いつまで仕え続けても、決して幸せにはなれないのです。業想念の心を弁護する生き方は、神さまに敵対しているのです。神さまの護り・助けを拒絶しているのです。




 本心の自分・真実の自分を、しっかりと生きることが、大事なのです。本心の自分をしっかりと生きていれば、神さまは常に、優しい観音さまのような姿で、現実化してくるのです。業想念の心の奴隷になって生きていると、その業想念の心を消し去る為に、神さまは常に、厳しい不動明王のような姿で、現実化してくるのです。




 業想念の心・求める心を生きている時に、環境に現れる優しい姿は、甘い誘惑の落とし穴でしか無いのです。本心開発を目指す者は、甘い姿に惑わされてはいけないのです。厳しい姿の中にこそ、神さまの深い愛を見出して、プラスにプラスに、感謝一筋に生きることが大切なのです。




 本心の自分を生きてこそ、真(まこと)の生き甲斐のある人生を送れるのです。本心の自分を生きるということは、プラスの言葉を駆使することです。本心の自分を生きる為には、プラスの言葉を駆使しなければならないのです。現実(環境)から影響されて、マイナスの言葉を使ってしまうということは、本心の自分を生きようとしていないからです。本心の自分は、プラスの言葉を駆使することによって、現実を自在に支配できるのです。本心の自分がプラスの言葉を駆使するのを、邪魔するものは何も無いのです。




 自分が決意すれば、必ず容易にできるのです。本末転倒して、何時までも自縄自縛しているのは、哀れというよりも、愚かで恥ずかしいことなのです。