ありがとうございます 神書 7-16

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五欲を満足させても幸せは感じられない




 業想念の心に厚く覆われると、本心の心は隠されてしまうのです。そうなると業想念の心が自分の心なのだと錯覚してしまうのです。そして業想念の心の奴隷となって操られていても、そのことに気付かなくなるのです。業想念の心を自分の心として生きることに、何の疑問も感じなくなってしまうのです。五欲(財産欲・名誉欲・色欲・食欲・睡眠欲)を満足させることが、自分を幸せにすることなのだと思い違えてしまうのです。ところが五欲を満足させても、幸せは感じられないのです。益々求める心はエスカレートして、心の渇きは酷くなるばかりです。




 業想念の心・五欲の心・煩悩の心というものは、本来七難八苦の心なので、満足させればさせるほど、苦しみは大きくなるのです。塩水を飲めば飲むほど、渇きが酷くなるようなものです。火に油を注げば注ぐほど、益々燃え盛るようなものです。幸せを掴もうとしても、どうしても掴めないのです。ちょうど靴の上から掻いても、足の痒みが取れないようなものです。




 業想念の心の奴隷状態に陥っている時は、自分ではどうしようも無いのです。業想念の心が少なくなって、本心の心の自分が出て来るまでは、運命の奴隷のままです。どんなに足掻いても、運命のままに流されてゆくのです。業想念の心の自分では、運命を改善してゆくことはできないのです。業想念に操られて、運命を悪くしてゆくだけなのです。浮かび出て来る業想念の心(七難八苦の心・五欲の心・煩悩の心)を、自分の力では消し去ることができないのです。




 多くの縁者に業想念を振り替えてもらい、七難八苦の嵐に見舞われ、守護の神霊の浄めの働きによって、大きく業想念を取り去ってもらった時に、本心の心の自分がチラッと顔を出すのです。その時が、本心の心の自分に気付く、唯一のチャンスなのです。本心の心の自分に気付いたら、しっかりと本心の心の自分を生きようとしなければ、また本心の心の自分は隠されてしまうのです。しっかりと本心の心の自分を生きようとする時にのみ、神さまの助けを大きく受けることができるのです。神さまの助けを大きく受けることによって、本心の心の自分を生き易くなって来るのです。




 本心の心の自分に気付いたら、しっかりと掴んで離さないことです。本心の心と業想念の心の区別をしっかりと付けて、その違いをはっきりさせることが大切です。本心の心とは何か、具体的に掴むことが必要なのです。自分自身の手で、その答えを発見することが大事なのです。苦労して発見した答えは、自分の身に付くのです。必ず実行し易くなるのです。本心の自分をしっかりと生き続ける為には、苦労は買ってでも、先にしておくのがベストなのです。