ありがとうございます 神書 7-15

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神我一体と成る為には


 神我一体と成る為には、自分のすべてを、神さまに捧げ尽くし続けることが必要です。何故なら神さまは常に一方的に、無限の無限のプラスを与え続けているのです。もし自分と神さまとの間に、循環・交流が無いとすれば、その責任は自分の方に有るのです。自分が求めて、受けるだけでは、神さまと自分との交流はストップするのです。呼吸と同じなのです。吸うだけでは、呼吸はストップするのです。吐くことによって、新たに吸えるのです。神さまに対して、自分を与え尽くすことによって、その虚を埋めるように、神さまの方から、自分に必要なものが流れ入って来るのです。それを繰り返すことによって、循環が始まり、神さまと自分との交流が行われるのです。その交流が密になって、一つに溶け合って、融合一体化することによって、神我一体と成るのです。




 神さまと自分との交流は、縦の交流です。人と自分との交流は、横の交流です。どちらの交流も、相互に与え尽くし合うことによって、融合一体化してゆくのです。神さまとの交流も、人との交流も、自分のすべてを与え尽くしてゆくのでなければ、本当の交流はできないのです。自分の一部を与えるだけでは、全体の循環は起こらないのです。表面の一部分だけの入れ換えはできても、全体を動かすことはできないのです。全体の循環が起こらなければ、神さまとの交流は絶対に不可能なのです。




 真実の悟りへの道・至忠至孝至悌の道・絶対奉仕の道は、自分のすべてを、宇宙絶対神に捧げ尽くしてゆくのです。そしてその循環を速くして、交流を密にして、古い業想念の自分を消し去り、新しい本心の自分に戻ろうとするのです。感謝一筋の道・全託の道は、神さまに自分のすべてを捧げ尽くしているのです。自分のいのち・心・時間を、神さまに捧げ尽くしているのです。だから自然に神さまの方から、自分に必用なすべてが、豊かに流れ入って来るのです。神さまとの交流に比例して、本心の自分はその輝きを増して来るのです。




 業想念の心の奴隷に陥ると、神さまとの縦の交流は不可能なのです。業想念の心は、神さまとの交流を、極度に嫌うのです。消し去られるのを恐れて、避けようとするのです。だから人との横の交流によって、少しずつ業想念を消し去って、本心の目覚めを促進してもらうことが必要なのです。世の為・人の為に、少しでも自分を与えることによって、直接・間接的に、本心開発の為の助けを受けることができるのです。人との交流の場合も、自分をできるだけ多く与えてゆくということが、業想念の縛り・邪魔を少なくしてゆくことになるのです。業想念の心(求める心)に負けないで、本心の心(与える心)を奮い起こしてゆくことが、神我一体と成る為の秘訣なのです。