ありがとうございます 神書 7-14

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本心の自分を最高最大に褒め讃える


 本心の自分を最高最大に褒め讃えることによって、本心の自分を呼び出すことができるのです。最高最大の褒め言葉こそが、真実の祈り言葉なのです。本心の自分を最高最大に褒め讃えることは、本心の立場に立って、真実の祈り言葉を駆使していることになるのです。即ち真実の祈りを祈っていることになるのです。新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯の、本心の自分のことだけを思うのが、真実の祈りになるのです。祈り・生宣り・意乗りとは、本心の自分・いのちの自分が、最高最大の祈り言葉を駆使して、自分の運命・世界を、最高最大に創造することなのです。人は常に自分自身が何であるかを、言葉で宣言することによって、自己表現しているのです、




 現実(過去)に執着し、囚われることは、真実の祈りから遠ざかることになるのです。肉体の自分や魂の自分を自分自身として掴むことは、本心の自分の立場から遠のくことになるのです。本心の自分こそが真実の自分なのだと断言し続けることによってのみ、本心の自分の座に戻れるのです。本心の自分の座に戻るということが、すべての縛りから開放されて、既に悟っている自分に成ることなのです。自分とは何か? 本当の自分とは何か? この命題こそが、何時の時代にも、最も大切な根本命題になっているのです。




 本当の自分を捜し出すということが、人生における最初の課題です。本当の自分を探し出せたら、正しい人生の目的も判り、生き甲斐のある人生を送ることができるのです。本当の自分を発見するまでは、羅針盤無しの人生航路を進むしか、仕方が無いのです。肉体人間が自分であると思い込んでいたら、必ず死滅・消滅するのだという、儚い・虚しい・寂しい思いに駆られることになるのです。五欲の奴隷になって、刹那の快楽に溺れ、七難八苦に見舞われることになるのです。そして運命だから仕方が無いと、投げやりな生き方になってしまうものです。また魂が自分であると思っていると、過去世のマイナスを引きずることになるものです。過去世に積み重ねて来た業想念(マイナス)に脅え戦くことになるのです。




 自分を何と思って生きているかは、その人が何を相手にして生きているかによって、判別できるのです。肉体人間を相手にして生きている人は、自分自身を肉体人間と思っているのです。魂の人間を相手にして生きている人は、自分自身を魂であると思っているのです。神さま(本心の人間)を相手にして生きている人は、自分自身を本心の人間と思っているのです。神さまを相手に生きられる自分に成る為には、徹底して本心の自分だけを思い続けなければならないのです。新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯と、自分自身を褒め讃え続けなければならないのです。