ありがとうございます 神書 7-13

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本来の人間は元からいつも光輝いている


 業想念の思い・願いを持ったままで良いから、神さまの御心の中へ飛び込むことです。業想念の汚れを落とす為には、光の沐浴が必要なのです。そうすれば光輝いた本心の自分が新生してくるのです。泥んこ遊びを楽しんだ後は、シャワーを浴びたら、スッキリするようなものです。




 本当の・本質の・本来の人間は、元からいつも光輝いているのです。業想念の汚れを付着させなければ、そのままで美しく・清らかで・素晴らしいのです。現実に執着し、過去を掴むことによって、業想念という想念感情が生まれるのです。一瞬一瞬新たに新たに、神さまの最高表現を感受する自分であれば、業想念は絶対に生まれないのです。過去を掴むということは、吸った空気を吐き出さないで、溜め込んでいるのと同じです。直ぐに酸欠状態に陥って、苦しくなるのです。川の水も、淀めば腐るのです。




 神さま(絶対)から新生してくるものを、常に受け続けられる自分になれば良いのです。その為には『今』神さまから受けたものを味わったら、直ぐに心から放すことが大事なのです。受けたら放し、受けたら放し、その循環を速くするほど、心は光輝くのです。過去の残像・余韻を楽しんでいる間は、まだプラスの受け方なので、それほど悪いとは言えないのです。しかし過去を掴んで、マイナスに受けているとすれば、それは最悪の生き方です。直ぐに神さまの方へ心を向けて、新たなる全徳の無限の無限の輝きを、受けようとすることが大切です。




 神さまに心を向けて、神さまに感謝するということは、神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受することです。神さまの無限の無限の光のシャワーを浴びることです。どんな汚れ(過去世の無限の業想念)も、光のシャワーを浴びれば、綺麗になるのです。過去を掴み、過去を相手にし、過去を引きずる生き方は、業想念の奴隷に陥っているのです。神さまからの新たなる受け直しを忘れて、現実を生きているのは、過去を掴んだ生き方です。一瞬一瞬新たに新たに、神さまの現れとして現実を受け直せば、過去を掴まずに済むのです。




 常に神さまへの感謝一筋に生きることができたら、いつも無限の無限の光のシャワーを浴び続けることができるのです。自分の心を神さまに向け続けることによってのみ、神さまの光を大きく受けることができるのです。そして業想念の心が消し去られて、本心の心が大きく輝けば、いつも神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯になるのです。先ずは業想念の奴隷状態から、一日も早く脱却することです。そして本心の自分をしっかりと生きることです。マイナスの生き方から開放されて、プラスの生き方を自在にできてこそ、真実の自分を生きていることになるのです。あらゆる奴隷状態から脱却して、真の自由人になることこそが、何よりも何よりも大事なことなのです。