ありがとうございます 神書 7-10

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祈りの深さ 祈りに始まり、祈りに終わる


 神さまに自分をどれだけ捧げ尽くしているかどうかは、祈りの深さによって判別できるのです。




 祈り言葉というものは、神さまの救いの御手・如来の願船・光のエレベーターなのです。




 一心不乱に祈り言葉を唱えて、祈り言葉の他には何も無いという状態になれば、自分のすべてを神さまに捧げ尽くしているのです。ところが少しでも現実に執着していると、中々祈り言葉に精神集中できないものです。業想念の心が執着の心に感応して来て、様々な誘惑となって、心を乱して来るからです。心を現実から神さまへと向け変える為には、現実よりも神さまに、より大きな価値を見出す必要があるのです。しかし現実主義者にとっては、それは不可能に近いのです。無限の価値有る神さまを見出せるかどうかは、億分の一以下の確率の大きな賭けに思えるのです。宝くじに当たるよりも、難しいものに思えるのです。だから現実の掴みを放せないでいるのです。しかし現実への未練を断ち切る一大決意と勇気さえあれば、楽々と祈り言葉の中へ自分を投げ入れることができるのです。




 騙されるつもりで、騙されたつもりで、祈り言葉を一心に唱え続けてみれば、神さまを発見できるチャンスを掴めるのです。最初の一歩を踏み出せば、後はどんどん楽になってくるのです。その為にも餓え渇く者のように、真剣に真理を求め、本心の自分に戻ることに、無限の絶対価値を見出すことも大切です。本心の自分に戻りたいという切願が強ければ、業想念の心の誘惑に負けることは無いのです。




 神さまに自分を捧げ尽くすのは、古い自分を消し去ってもらう為なのです。過去世の古い自分が、順々に浮かび上がって来ては、現実の自分となって現れて来るのです。その自分を神さまに捧げ尽くし続けることによって、過去世の古い自分を消し切ることができるのです。過去世の古い自分を全部消し去れば、本心の自分が大きく輝き出て来るのです。古い自分(業想念の心)を消し去ることができるのは、神さまだけです。神さまの光を浴びることによって、業想念の心は消え去るのです。




 神さまの光を大きく浴びる為には、神さまの中へ飛び込むことです。神さまの御心の中へ飛び込むことです。




 一心不乱に祈り言葉を唱えることです。すべてを神さまに任せることです。感謝一筋に生きることです。




 神さまの為に、全力を尽くして奉仕することです。自分の心さえしっかりと神さまの方へ向いていたら、神さまの光を大きく浴びることができるのです。




 祈り言葉を一心に唱えて、神さまに深く感謝すれば、古い自分を神さまに捧げ尽くしたことになるのです。祈りを忘れている時は、古い自分を掴んだままで、未だ神さまに捧げていないのです。




 神さまへの絶対奉仕は、祈りに始まり、祈りに終わるのです。祈りに始まり、祈りに終わる一日こそが、最も充実した価値ある一日になるのです。