ありがとうございます 神書 6-8

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感謝する人・感謝される人


 感謝する人・感謝される人は、本心の心が輝くのです。感謝しない人・感謝されない人は、業想念の心が積み重なるのです。本心の心の輝いた人が、幸せな人なのです。業想念の心の積み重なった人が、七難八苦で一杯になって、不幸せな人なのです。人の幸不幸というものは、感謝があるかどうかで決まるのです。




 自分の立場をマイナスの極に置いて、謙虚に謙虚に成れる人は、感謝が自然に湧き出て来るのです。感謝を深める為には、自分のすべてを与え尽くして、空っぽの心になることが大事なのです。自分の物は何も無いという立場に立てば、謙虚に謙虚に成れるのです。自分の力は何も無いのだ、すべては神さまのお蔭なのだと思える人は、謙虚に感謝できるのです。自分の物は何も無いのだ、すべては神さまからの預かり物なのだと思える人は、謙虚に感謝できるのです。




 世の為・人の為に、プラスのことをしても、自分がしたのだと思えば、高慢になって、感謝できないのです。また自分がしたのだと、恩きせがましくなれば、誰からも感謝されないのです。感謝は本来、蔭で働く神さま・お陰様に対するものなのです。人の背後で・蔭で、本当の力を振るっているのは、神さまなのです。その神さまの働きを感じた時に、感謝の心が自然に起きるのです。




 自分の背後の神さまに向けられた感謝を、自分への感謝だと錯覚するところに、大きな間違いが生じるのです。神さまへの感謝を、自分が横取りすれば、泥棒と同じです。神さまへの感謝を、自分へ向けるように強要すれば、強盗と同じです。自分への感謝だと思っている人は、いつも泥棒や強盗をしていることになるのです。神さまから見放されたら、一瞬も存在できない自分なのだということに、一刻も早く気付かなければ、大きな罪を犯し続けていることになるのです。




 神さまから与えられたすべてのものは、それを正しく活用するようにと、預けられたものばかりです。自分の所有物にして、自分勝手に使ったり、溜め込むことは、大きな間違いなのです。必要なところへ与え尽くして、正しく循環させる義務を負っているのです。正しく循環させることを怠れば、世界全体を死滅へ導く、大きな罪を犯しているのです。必要なものが必要なところへ、正しく迅速に、循環流通することによって、極楽世界が実現するのです。神さまのものを、私物化するところに、根本の間違いがあるのです。それが個人であっても、団体であっても、国家であっても、同じなのです。執着して、私物化し、死蔵すれば、そこはゴミ溜めと化し、業想念で一杯に成るのです。すべてのものを活かし切るようにならなければ、感謝の深い自分には成れないのです。