ありがとうございます 神書 6-53

神書目次へ


本物の神さまを相手にするには命懸けで


 真(まこと)の信仰でなければ、本当のお蔭は受けられないのです。偽りの間違った信仰や真似事の中途半端な信仰では、逆に自分自身を傷つけてしまうものです。本当に威力ある名刀を手にする為には、真剣さが必要なのです。無限億万ボルトの電気を扱う時には、それなりの心構えが必要なのです。本物の神さまを相手にするには、命懸けでなければならないのです。玩具の刀を振り回しても、快刀乱麻を断つが如き威力は無いのです。偽神さまをどんなに信仰しても、本当の悟りを開くことも、真実の救われを得ることも不可能です。本当の神さまを相手にするようにならなければ、真(まこと)の安心立命は得られないのです。




 本当の神さまとは、唯一無二の・絶対統一の・至慈至愛の・尊厳無比の・全智全能の神でなければならないのです。それは宇宙絶対統一神・天照大御神です。新たなる全徳の無限の無限の輝きとなって、無限億万分の一秒という一瞬一瞬に、一大光源の相象の姿で現れる神です。絶対統一・絶対他力・絶対救護の神です。この本物の神さまを受け入れさえすれば、誰でも無条件で救われるのです。既に悟っている自分、既に救われている自分、既に無限の無限の幸せで一杯の自分に気付くのです。




 清浄な空気が無限に有っても、その空気を吸えなければ、無いのと同じです。吸えなくなる根本原因は、一度吸った空気を吐き出さないからです。神さまは、生かす力は、宇宙一杯に満ち渡っているのです。それなのに神さまを感じ取れないのは、人の側に責任が有るのです。神さまへの感謝を忘れ、怠っているからなのです。先ず生かされていることへの感謝が有れば、必然的に報恩の心が湧き上がって来るものです。その感謝と報恩の繰り返しによって、神さまとの循環交流が密になり、神我一体の自覚が深まって来るのです。至忠至孝至悌、神さまへの絶対奉仕が、悟りへの唯一無二の易行道なのです。




 太陽が輝いていても、背を向け、眼を閉じていては、暗闇と同じです。地獄の苦しみというのは、神さまに背を向け、心の目を閉じて、神さまのいのちを呼吸しないで、もがき苦しんでいるようなものです。極楽に居ながら、極楽に気付かないのが、地獄なのです。光源を見つめている時には、一切の闇は無いのです。光源から目をそらす時に、光と闇が見えるのです。光源に背を向けた時に、闇が大きく広がるのです。




 光を灯せば、闇は消えるのです。本心の心・神心・光の心を生きれば、業想念・欲心・闇の心は消えるのです。感謝と報恩の心を、積極的に・前向きに生きさえすれば、極楽世界は現前するのです。真剣になれば、真(まこと)の神を信仰するようになるのです。真(まこと)の神を信仰するようになれば、無限に無限に有り難くなって、自分のすべて(いのち)を捧げ尽くして、喜んで喜んで奉仕するようになるのです。