ありがとうございます 神書 6-46


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心を向け続けたものに同化してゆく


 心を向け続けたものに、心は同化してゆくのです。


 心はその対象物に入り込もうとすると同時に、その対象物を心に取り込もうとするのです。そしてその対象物と一体化してゆくのです。それがマイナスのものであっても、プラスのものであっても、お構い無しなのです。無差別に一体化してゆくのです。




 だから何に心を向け続けるのか、自分自身でしっかりと定めることが大事なのです。信仰の対象物についても、同じことが言えるのです。何を対象にして、信仰しているのか? 自分の信仰の対象物を、はっきりさせることです。ぼんやりしたままでは、何も掴めないのです。自分のものにならないのです。




 正しい信仰・本物の信仰とは、一体どのような信仰なのか? 自分自身が本当に納得できる答えを、自分自身で捜し出し、見出すことが大切なのです。他から勧められた信仰は、未だ本当の自分の信仰では無いのです。




 他からどんな猛反対を受けても、いのちがけで最後まで続けられる信仰でなければ、自分が選び・定めた信仰とは言えないのです。他人の信仰を一寸真似しただけでは、自分の信仰では無いのです。




 いのちがけの信仰になってこそ、本当の自分の信仰なのです。いのちがけの信仰になれば、本心の自分が出て来て、本物か偽物か・正しいか間違っているか、必ず判別できるようになるのです。今自分のしている信仰が、どのような信仰であっても、正邪の判断が付くようになるのです。もし間違っていたら、その間違いに早く気付くのです。正しかったら、本物の信仰がぐんぐん深まるのです。




 人はそれぞれに、自分を幸せにしてくれそうなものを、信仰の対象にしているのです。お金が自分を幸せにしてくれると思っている人は、お金を拝んでいるのです。薬が病気を治してくれると思っている人は、薬を拝んでいるのです。効果のあると思えるものであれば、その対象は物でも、人でも、目に見えないものでも、何でも良いのです。人によって千差万別なのです。しかし本当に効果があるかどうか、正しい本物かどうかは、結果を見て判断するしか無いのです。いのちがけで・真剣に試してみれば、その結果が早く出て、判断が付くものです。




 業想念の心(五欲)では、本物を選定できないのです。だからその対象物には、本当の力や効果は無いのです。五欲の心自体も常にエスカレートして、決して満足は得られないのです。だから次から次へと移り変わってゆくだけです。




 本心の心で選定した対象物は、どんなものも本源(絶対神)と直結していて、一貫性のあるものです。





 絶対神(すべての本源)のみが、永遠に変わらない・一貫性のある・正しい・本物の・究極の・最高の信仰の対象物であり続けることができるのです。


 本心のみが、本物を選定できるのです。