ありがとうございます 神書 6-36    無限の知恵が無限に無限に一杯!

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業想念の奴隷・操り人形


 心に業想念(想念感情)を蓄積すると、その奴隷に陥り易いのです。一瞬一瞬浮かび出る想念感情のままに動かされているのは、業想念の奴隷・操り人形に陥っているのです。それは渦巻く濁流や竜巻に翻弄されている木の葉のようなものです。そこには本当の自由は無いのです。想念感情を自由自在に支配できるのが、本当の自分です。更には感謝一筋に生きて、想念感情を消し去り、神さまの御心のままに生きるのが、本当の自分です。神さまの御心を自分の心として生きてこそ、本当の自由自在な生き方になるのです。




 思いに生きると、その思いが蓄積されて、その奴隷に陥るのです。思い通りに生きようとするのは、奴隷への道なのです。感謝に生きれば、思いが消し去られて、思いの縛りから解放されるのです。感謝一筋に生きようとするのは、自由自在への道なのです。感謝に生きて、神さまの御心と一体化してこそ、本当の自由自在な生き方に成るのです。自分の思い通りに成るということは、他の自由を縛り・奪うことに成るのです。これは感謝に生きて、神さまから調和した姿を受けるのとは、正反対の生き方です。思い通りに成った分だけ、他からの借りとなって、利息を付けて返さなければならなくなるのです。




 自分の思い通り・願い通りにするのは、借りに成るのです。他の思い通り・願い通りにするのは、貸しに成るのです。五欲(食欲・色欲・睡眠欲・財産欲・名誉欲)を満足させても、それが借りである限りは、必ず七難八苦の状態に陥るのです。またそれが貸しである場合も、他を七難八苦の状態に陥らせるのです。感謝一筋に生きて、神さまから必要なものを受けるのは、他との貸し借りでは無いのです。だからそこには調和が満ち渡るのです。思いは必ず、自他を縛るのです。感謝は必ず、自他を解放するのです。




 感謝(光)に生きれば、思い(闇)は消えるのです。感謝を忘れたら、思いが出て来るのです。感謝一筋に生きて、感謝三昧の境地に成れば、必ず新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!を感受するのです。「われ思う ゆえにわれ有り」も「人間は考える葦である」も、感謝を忘れた世迷い言であってはならないのです。思いの自分(雲)に囚われたら、無限の無限の輝いた自分(太陽)を見失うのです。感謝一筋に生きるのは、無限に無限に輝いた自分を、神さまから受け続けることなのです。




 青空に太陽のような心境を持続する為には、雲(思い)を消し去ることが必要です。どんな思いも、神さまの助けが無ければ、消し去ることは不可能です。『ありがとうございます』と感謝して、神さまの光を受け入れた程度に比例して、心に溜まった思いは消し去られるのです。また神さまへの奉仕に生きることによって、捧げたものに一緒にくっついていった思いは、すべて消し去ってもらえるのです。