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今の一瞬一瞬に何を選んで生きるか


 今の一瞬一瞬に、何を選んで生きるかが、大事なのです。肉体の自分、魂の自分、本心の自分の、どの自分を選んで生きるかが、最初の分岐点になるのです。




 ①肉体の自分を選べば、動物的な生き方になるのです。本能のままに生きて、刹那の快楽に溺れて、儚い・虚しい一生を終えて、無に帰すのです。肉体の消滅によって、自分の意識は闇(無)の中に移行して、その意識もやがては消滅するのです。




 ②魂の自分を選べば、精神的な生き方になるのです。輪廻転生の世界に自分を置き、自分を磨く為に努力するのです。努力して立派になれば、極楽に住めるのです。怠けて堕落すれば、地獄に落ちて苦しむのです。努力に比例した結果が、厳然と与えられるのです。




 ③本心の自分を選べば、神さまの御心のままの生き方になるのです。感謝と報恩の真(まこと)を生きて、新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯の世界で、永遠無窮に遊楽できるのです。




 今の一瞬一瞬に、人生行路のどの道を行くか、その選択も非常に大事なのです。真理を学ぶということは、人生行路の地図の勉強です。大きく全体を見渡せる総図から、小さな部分の詳細な地図まで、種々様々な地図の勉強が必要です。もし地図が無ければ、未知の世界は想像も付かないのです。神さまの世界がどこに在って、どの道を行けば到達できるのか、真理を学ばなければ、知ることは絶対に不可能なのです。また正しい目的・目標に向かって進む為には、羅針盤やカーナビのようなものが必要です。それがお祈りです。常に神さまの叡智に導かれてこそ、正しい道を・安全な最短コースを歩めるのです。




 今の一瞬一瞬に、欲しいものと必要なものの、どちらを選ぶかということも、重要なポイントです。欲しいものを選べば、必ずマイナスへ転落してゆくのです。必要なものを選べば、必ずプラスへ向上してゆくのです。何故かと言えば、業想念の誘惑の波が感応して来た時に、欲しいという欲の心が引き出され、地獄の道に引きずり込まれるものだからです。また本当に必要なものというのは、神さまの御心と一致するので、必ずプラスへプラスへと、正しく極楽へ導かれるものだからです。




 人には完全な自由が与えられているのです。その自由権の行使によって、何でも選び、何でも受け取ることができるのです。本心の自分を選ぶのも自由なら、選ばないのも自由です。真理の勉強をするのも自由なら、しないのも自由です。祈るのも自由なら、祈らないのも自由です。欲しいものを手に入れて、マイナスへの道を歩むのも自由なら、必要なものを手に入れて、プラスへの道を歩むのも自由です。




 他に責任を転嫁して、益々マイナスへの道を加速するのも自由なら、全責任を自己に帰して、益々プラスへの道を加速するのも自由です。どんな自由の行使にも、常に全責任が伴うのです。