ありがとうございます 神書 6-15  無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

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本心の心の自分は無限の無限の幸せそのもの


 本心の心の自分に戻れば、無限の無限の幸せで一杯になるのです。


 業想念の心の自分に成れば、無限の無限の七難八苦で一杯になるのです。


 本心の心の自分は、常に無限の無限の幸せで一杯なのです。無限の無限の幸せそのものなのです。


 業想念の心の自分は、常に無限の無限の七難八苦で一杯なのです。無限の無限の七難八苦そのものなのです。自分がどちらの心を選んで、どちらの心に成るかによって、決定されるのです。




 本心の心の自分は、幸せに波長が合って、幸せを引き寄せ、幸せを感受するのです。業想念の心の自分は七難八苦に波長が合って、七難八苦を引き寄せ、七難八苦を感受するのです。何事もすべて、波長の合うものだけを感受するのです。波長の合わないものは、決して感受できないのです。本心の心の自分は、何時いかなる時も、幸せ一杯なのです。業想念の心の自分は、何時いかなる時も、七難八苦で一杯なのです。




 本心の心の自分とは、すべてを神さまから、新たに新たに受け直す自分です。業想念の心の自分とは、過去のものに執着し、掴み、離さない自分です。新しいものほど、新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯なのです。古いものほど、その輝きが消え去るのです。古いものにしがみついていたら、新しいものを受け損なうことになるのです。




 神さまに対して、古いものをお返しして、新しいものを受け直すのが、本心の生き方です。神さまに対して、古いものを返さないで、新しいものも受け直さないのが、業想念の生き方です。どちらの生き方も、自分自身が選んでいるのです。常に新鮮な空気を呼吸して、幸せを味わうのも自由なら、呼吸を止めて、苦しがるのも自由なのと同じです。




 神さまへの感謝と報恩に生きるのが、幸せ一杯の本心の自分の生き方です。それを忘れて生きるのが、苦しみ一杯の業想念の自分の生き方です。呼吸は本来、意識しなくても、自然にできるものです。自然にしているものです。それをわざわざ意識して、力んで、努力してするものでは無いのです。神さまへの感謝と報恩も、自然にできるものなのです。それを無理やりストップさせているのが、業想念の生き方なのです。




 最も自然な生き方に戻れば、本心の自分を生きることができるのです。ちょっと感謝の心を起こし、ちょっと報恩の心を起こせば、後は自然に本心の生き方になるのです。過去の長い期間を、無理な不自然な生き方をして来たから、それを変えるのは難しいというのは、道理に合わない屁理屈です。長い時間呼吸を止めていたから、呼吸せずにはおれなくなって、呼吸してしまうものです。それと同じように、神さまへの感謝と報恩の生き方を、長い間して来なかったら、堰を切ったように、今までの苦しみから逃れる為に、神さまへの感謝と報恩の生き方に、自然に戻るのが本当なのです。