ありがとうございます 神書 6-14  無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

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すべてをプラスにプラスに感受する法


 謙虚な本心の自分の立場に立てば、すべてをプラスに感受することができるものです。もしマイナスに感受するものが少しでも有ったら、反省し・お詫びして、高慢な心を消し去ってもらうことが必要なのです。本心の自分は常に、マイナスの極からプラスの極を仰ぎ見て、すべてをプラスにプラスに感受できるのです。本心の自分を無限に無限に輝かせようとするならば、本心の自分を真剣に生きなければ成らないのです。高慢な心の奴隷に陥っているのは、本心の自分の力を発揮しないで、怠けているからなのです。




 自分自身の怠慢の結果を、他人の所為にして、責任逃れをしていてはいけないのです。マイナスの極まで降りる努力をすれば、謙虚に謙虚に成れるのです。そうすればすべてを大きなプラスに感受できるのです。また感謝と報恩の心をしっかりと生きれば、すべてはプラスにプラスに置き換わって来るのです。どんなマイナスをプラスに置き換え、神さまの最高表現を現実化してゆくことが、本心の自分をしっかりと生きているかどうかの、バロメーターになるのです。




 謙虚になる努力を、マイナスをプラスに置き換える努力を、真剣に継続することによって、本心の自分は輝きを増して来るのです。何の努力もしないで、じっとしていたら、本心の自分は奥深く隠されてしまうのです。常に常に全力を出し尽くして、感謝と報恩の真を生きることが、本心の自分を引き出し、輝かせることになるのです。そうすれば神さまの最高表現を現実化して、それを味わえる自分に成れるのです。他に責任を転嫁する怠慢な生き方に陥ったら、危険信号なのです。




 日々瞬々刻々、本心の自分の自覚を深めてゆくことが、何よりも何よりも大事なことなのです。本心の自分を見失って、業想念の奴隷に陥ったら、無限の無限の損失なのです。神さまの愛を感受できない自分になってしまったら、無限の恐怖心で一杯になってしまうのです。無限の無限の幸せを実感できないというのは、未だプラスの状態です。でも無限の無限の恐怖心で一杯になったら、取り返しのつかないマイナスの状態です。




 何事も業想念の所為にしていては、大きな間違いです。本心の自分を生きないから、業想念が我が物顔で出て来るのです。本心の自分が輝かないから、業想念が顔を出すしか無いのです。光を灯さないから、闇が出て来るしか無いのです。




 本心の自分を生きるかどうかは、自分自身の問題なのです。他人に言われても、他人に強制されても、自分自身が本心の自分を生きようとしなければ、決して生きることはできないのです。自分自身が本心の自分を生きようとさえすれば、他の何ものも邪魔することは不可能なのです。どんな運命も、自分自身の自由意志による作品であって、自分自身の努力の結果なのです。