ありがとうございます真(まこと)の神書 6-13  無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

神書目次へ

神さまへの感謝と恩返しを忘れ・怠った結果


 七難八苦(業想念)を背負っているということは、恥ずかしいことなのです。何故ならそれは、神さまへの感謝と恩返しを、忘れ・怠った結果だからです。また何時までも七難八苦(業想念)を背負っていたら、それは神さまへの感謝と恩返しに、いのちがけで生きようとしていない、ということを証明しているのです。何故なら、いのちがけで感謝を深めたら、無限の無限の浄めの光を浴びて、浮かび出た業想念を、瞬時に消し去ってもらえるからです。またいのちがけで 恩返しに生きたら、背負っている 七難八苦(業想念)を、引き受けて・消し去って下さるからです。




 神さまの浄め・癒しの媒介(パイプ役)になる為には、先ず自分の心を完全に浄め尽くさなければならないのです。そして感謝を深めて、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、いつも実感できるようにならなければならないのです。そうでなければ他人の業想念(七難八苦)を振り替えて、消し去ることは不可能なのです。他人の業想念を被るということは、自分の過去世の借金の取り立てに会っただけです。業想念の波を感じるというのは、自分の心の中に、同じ業想念の波が存在するということなのです。真(まこと)の振り替えの業は、悟りを開いて、神さまだけを実感できるようになった時に、初めて可能なのです。




 高慢な心になって、他人の業想念を背負っているのだと、いい気になっていたら、大変な目に会うのです。自分の無限の業想念の上に、更に他人の業想念まで背負ったら、地獄への道を加速することになるのです。お祈りの場・奉仕の場に近づくことも邪魔されて、貴重な救われのチャンスを失ってしまうのです。謙虚に謙虚になって、いのちがけで神さまに縋らなければ、自分の業想念を少なくすることも不可能なのです。




 マイナス(業想念)を相手にしたら、マイナス(業想念)を自分の心の中に取り込むことになるのです。マイナス(業想念)に心を向けたら、マイナス(業想念)に同化してゆくのです。神さま(無限の無限のプラス)だけを相手にし、神さまだけに心を向け続けてこそ、業想念を消し去って、本心を輝かせることができるのです。徹底して、神さまへの感謝と奉仕に生きてこそ、無限の業想念も消し去られ、悟りが開けるのです。




 七難八苦(業想念)を背負うだけでは、何の役にも立たないのです。苦を背負ったままで良いから、神さまの中へ飛び込まなければならないのです。神さまの中へ飛び込むということは、いのちがけで感謝のお祈りをし、いのちがけで全力を尽くして奉仕することなのです。そうすればどんな七難八苦も業想念も消し去って下さるのです。苦を背負って働くことが、苦労なのです。働くことによって、本心が輝き、苦は楽に変ずるのです。苦労が大きければ大きいほど、早く大きな楽を手にすることができるのです。