ありがとうございます 神書 6-12  無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

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虚栄心の業想念を消し去ること


 虚栄心の業想念を消し去ることが、一番難しいのです。自分自身が気付かなければ、消し去ろうともしないし、逆に増長させて、業想念を積み重ねることになるのです。本当の栄えとは、本心の自分を輝かせることです。一切の業想念を消し切って、本心の自分を無限に無限に輝かせることです。それ以外は、虚の栄えを喜ぶ、虚栄心の業想念なのです。本心の自分を無限に無限に輝かせる為には、新たなる今の一瞬を、無限の無限の感謝一筋に生き切ることです。過去の残像に囚われないで、神さまの新たなる全徳の無限の無限の輝きを、しっかりと感受し続けることです。




 本心の自分の無限の無限の輝きと比較すれば、どんな過去の足跡・残像も、無に等しいものなのです。肉体の自分・魂の自分が、どんなに素晴らしいからと言っても、自慢できるようなものでは無いのです。目くそ・鼻くそ・爪の垢が、自慢しているのと同じです。自慢すればするほど、程度の低さを露呈し、恥ずかしい限りです。




 自分を出したい・認められたい・褒められたい、自分の名を・働きを・足跡を・業績を残したい、等々の願いは、虚栄心から来るものなのです。何事も本当に必要最低限のもので満足できなければ、深い感謝が無ければ、一寸した贅沢な生き方をするだけで、虚栄心の奴隷に陥るものです。他と比較して、今の自分がどんなに素晴らしくても、それを自慢したい心では、本心の自分を見失うことになるのです。一瞬でも感謝を忘れ、本心の自分を見失った時は、虚栄心という業想念の奴隷なのです。必ず儚い・虚しい心に陥って、本当の心の安らぎを失ってしまうのです。




 神さまの所有(もの)を自分の所有(もの)と主張するのは、大きな虚栄心です。神さまの働きを自分の働きのように主張するのは、大きな虚栄心です。他の所有(もの)を・他の働きを、自分の所有(もの)・自分の働きのように主張するのは、大きな虚栄心です。虎の威を借る狐のような生き方は、二重三重の虚栄心の奴隷に陥っているのです。虚栄心の奴隷に陥っている時は、大きく業想念を積み重ねているのです。




 神さまが自分を通して、必要な物を他に与えているのに、自分が与えているのだと言えば、大きく業想念(借り)を積み重ねているのです。謙虚に感謝して、神さまの手足(パイプ役)になっていれば、大きな神さまの助けを受けることができたのに、二重の大損をしていることになるのです。更に自分以外の人がしていることなのに、自分がしているかのように恩きせがましく言えば、三重の大損をしているのです。自我の虚栄心の主張は、どこどこまでも業想念(借り・マイナス)を積み重ねるのです。一寸でも虚栄心が顔を出したら、徹底的に叩き潰し、消し去らなければならないのです。