ありがとうございます 神書 6-1  無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

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真(まこと)の中心は、天照大御神


 真(まこと)の中心は、天照大御神です。全大宇宙のすべてのすべてに、新たなる全徳の無限の無限の輝きを、永遠無窮に与え続けることのできるのは、天照大御神御一神のみなのです。その天照大御神の御稜威(みいづ)の輝くところが、それぞれの中心となるのです。




 ①一切の責任を自己に帰すところに、




 ②大犠牲精神を発揮するところに、天照大御神は最優先して、助けに降りて下さるのです。その天照大御神の助けを、感謝を深くして受けることによって、すべての問題は根本から解決されるのです。すべての問題を解決して、調和をもたらすのが、それぞれの中心の役目なのです。




 天照大御神から、一瞬一瞬新たに、全徳の無限の無限の輝きを感受して、無限に無限に輝いている本心の自分であっても、真(まこと)の中心にはなれないのです。天照大御神の助けが無ければ、自分自身は全く無に等しいからです。真(まこと)に無限に無限に輝いている本心の自覚があればあるほど、無限に無限に謙虚になるしか無いのです。ただただ天照大御神の御稜威(みいづ)を讃えるのみなのです。




 自分は偉いのだと微塵でも思ったら、真(まこと)の天照大御神を無視しているのです。過去を掴み、比較上の世界に自分を置いて、いかに優越感に浸ろうとも、それは本心の自分から遠ざかるだけです。過去を掴む個我の自分と比較すれば、本心の自分は無限に無限に偉大なのです。その本心の自分よりも、天照大御神は更に無限に無限に偉大なのです。だから自慢すればするほど、上に立てば立つほど、自己の程度の低さを、喧伝していることになるのです。




 無限に無限に謙虚なところへ、天照大御神は降り立って下さるのです。そしてそこがそれぞれの中心となるのです。無我無心無欲のところへ、感謝の深いところへ、天照大御神が降り立って、そこを大きく光輝かせて下さるのです。真に尊敬と信頼が向けられているのは、あくまでも天照大御神に対してなのです。そのことを微塵でも忘れたら、本心の感謝一筋の生き方から外れてしまうのです。本心の自分は常に常に、天照大御神への徹底感謝に生きるのみなのです。




 肉体の自分が偉いのでは無いのです。魂の自分が偉いのでは無いのです。本心の自分が偉いのでは無いのです。天照大御神のみが、無限に無限に偉大なだけです。




 惟神道では、天照大御神の御稜威を讃え、感謝するのみです。天照大御神への感謝に始まり、感謝に終わるだけです。




天照大御神の全徳の無限の無限の輝きを、しっかりと認めるだけです。無限に無限に高く・広く・深く、感謝三昧の境地を極めてゆくだけです。感謝の真祈りによって、天照大御神を拝受することが、真実の無限の無限の幸せなのです。