ありがとうございます 神書 5-54  無限の調和が無限に無限に一杯!

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絶対神は唯一無二の実在


 絶対神は唯一無二の実在です。絶対神は、人の評価とは無関係に、厳然と実在しているのです。絶対神を直接に把握することが、正しい宗教信仰です。絶対神を唯一無二の全体者として、その全体・全相・全貌を把握してこそ、正しい神観が得られるのです。部分に・枝葉に囚われていては、群盲象を評す例えのように、間違った神観に陥るものです。部分・枝葉は、全体・根幹から切り離されたら、死滅するのです。部分・枝葉を信ずる信仰は、死せる・力の無い・対立を生む・間違った信仰です。また絶対神についての、人の評価・言葉を信ずる信仰も、偽物の信仰です。




 絶対神を直接に信ずる信仰は、一切を包容し、一切を生かすものです。人の言葉を信ずる信仰は、対立を生み、争いを生ずるものです。宗派争い・宗教戦争は、偽物に惑わされ、本物を見失った結果です。偽物を否定するだけでは、未だ偽物を脱却することはできないのです。本物の信仰を体得してこそ、偽物をも生かせるのです。




 絶対(実在・光源・海)は、相対を超越し、かつ一瞬一瞬新たに、相対(現象・光線・波)を生み出しているのです。絶対は全体であり、相対はその部分・外表です。全体の中に、部分は存在しているのです。全体と部分は決して切り離すことはできないのです。絶対と相対とは決して切り離すことはできないのです。絶対神は全体であると同時に、その部分としての表現でもあるのです。




 絶対神をどの立場から眺めるかによって、その観方に違いが生ずるのです。




 絶対神を光源の中心としての働きと見る時に、カクリミ(隠身)と言うのです。




 相対の両極を組み合わせる働きとして見る時に、カゴリミ(仮凝身)と言うのです。




 光の極点からすべての表現を一大統一する働きとして見る時に、カガリミ(輝身)と言うのです。




 神通自在な光の流れの働きとして見る時に、カケリミ(翔身)と言うのです。




 愛の心で光の自由自在の動きを限定する働きとして見る時に、カギリミ(限身)と言うのです。




 いずれも立場を変えて絶対神を眺めた時の、絶対神の働きを言い表しているのです。約めて言えば全てカミとなるのです。




 絶対神の御心(全徳性・中心の働き)が、一切の相対の両極を完璧に組み合わせて、無限に小さいものから無限に大きいものに至るまで、全徳の無限の無限の輝きを持ったものとして、いのちの躍動している一大生命体、即ち全大宇宙と成っているのです。従って全大宇宙は、絶対神の身体であり、その外見・表情・装い・行動・表現です。全大宇宙のすべての部分は、絶対神の身体の部分であり、絶対神の御心を表現しているものです。絶対神はすべてのすべてであり、絶対神の他には何者も存在しないのです。