ありがとうございます 神書 5-52   無限の調和が無限に無限に一杯!

神書目次へ


好き嫌いの感情と真実の愛の心



 好き嫌いの感情と真実の愛の心とは、全く正反対のものです。好きという感情は、自分にとってプラスに思えるものを与えてくれた、また与えてくれるものに対して、自然に起こる感情です。反対に嫌いという感情は、自分にとってマイナスに思えるものを与えてくれた、また与えてくれるものに対して、自然に起こる感情です。誰でも自分にとってプラスに思えるものを与えてくれたら、好意を抱くものです。その自分が業想念の心の自分であっても、本心の心の自分であっても、同じなのです。業想念の心の自分の時は、業想念の心でプラスに思えるものを与えてくれた時です。




 本心の心の自分の時は、本心の心でプラスに思えるものを与えてくれた時です。過去世からプラスに思えるものを、与え続けてくれた相手に対しては、好きという感情が、自然に湧き出てくるものです。これを裏から眺めると、好きな相手に対しては、大きな借りがあるということです。逆に言えば、もし相手から与えられるだけの一方通行であれば、相手からは嫌われているということです。




 好きな相手に対して、いつまでも乞食のように求めるばかりでは、きっと大嫌いだと言って拒絶されるか、無理難題を吹っ掛けられるようになるものです。好きな相手から嫌われることが多いのは、このような理由からです。好きな相手と結婚しても、仲良く助け合ってゆけないのは、求めるばかりで、借りを返すことを怠るからです。双方からプラスに思えるものを与え合えば、好き同士の仲良しになるのです。双方からマイナスに思えるものを与え合えば、嫌い同士の犬猿の仲になるのです。




 真実の愛の心とは、好き嫌いの感情を超えたものです。本心の心の自分から湧き出て来るものです。相手の本心が輝くように、一切の報いを求めずに、真実のプラスを与え続ける心です。人は本心の心の自分として、真実の愛の心を生きる時に、決して壊れることの無い、真実の幸せを掴むことができるのです。人は真実の愛の心を生きる時に、神さまの絶対の愛を感受することができるのです。




 神さまに愛されているという実感は、自分が他を真実に愛した時に湧き上がって来るのです。どのような愛の形態(恋愛・友愛・夫婦愛・親子愛・師弟愛・等々)であっても、真実に愛せる自分になる為に、愛する対象を絞って、真実に愛する練習をするのです。真実に愛する練習とは、相手を幸せにする為に、一切の報いを求めずに、与えて与えて与え尽くすことです。真実に一切の報いを求めずに、与え尽くす心に成れた時に、神さまの絶対の愛の御心と波長が合って、神さまの無限の無限の愛を実感することができるのです。求める業想念の心から、与え尽くす本心の心に戻る為に、人は真実に愛する練習をするのです。本心の心に戻れば、神さまの絶対の愛を感受して、無限の無限の幸せで一杯の自分に成れるからです。