ありがとうございます 神書 5-51  無限の調和が無限に無限に一杯!

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真実の奉仕は与える心の極致


 神さまへの奉仕に生きることによって、神さまの助けが受け易くなるのです。真実の奉仕は、与える心の極致です。与える心を生きるということは、極楽への道を歩んでいるのです。求める心を生きるということは、地獄への道を歩んでいるのです。何故なら与える心の奥には、プラスの信念が存在しているのです。求める心の奥には、マイナスの信念が存在しているのです。すべて自己の信念に波長の合うものを、感受することができるからです。プラスの信念は、プラスの言葉の蓄積によって養成されるのです。マイナスの信念は、マイナスの言葉の蓄積によって養成されるのです。先ずプラスの言葉を駆使して、自己の信念をプラスに置き換え、与える心を起こして、神さまの助けを大きく受け入れてゆくということが大事なのです。




 神さまの助けを求めるということと、神さまの助けを受けるということには、雲泥の差があるのです。幾ら神さまに助けを求めても、どんなに助けて!と叫び続けても、神さまの助けを受けることにはならないのです。神さまの助けを受ける為には、与える心を起こして、神さまに波長を合わせなければならないのです。仏教の托鉢行は、真理の光を与える為に、布施の心(与える心)を起こさせる為のものです。神社に参拝した時に、お賽銭を捧げるのは、与える心を起こす為です。更に一歩進んで、感謝の心・喜びの心で祈れば、大きな与える心を起こしたことになるのです。何故なら真の祈りは、無畏施(安らぎを与える)の施しであるからです。




 一口に奉仕と言っても、真実の真実の奉仕と練習の奉仕とでは、大きな開きがあるのです。真実の奉仕とは、神さまの御心に絶対帰一・絶対随順して、神さまの手足となって働くことです。神さまに自分のすべてを捧げ尽くして、神さまの御心のままに使っていただくことです。与える心に成り切って、世界の平和とみんなの幸せの為に、粉骨砕身して働くことです。そうすれば神さまのすべてを受けて、新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!となるのです。練習の奉仕には、種々の段階があるのです。言われた事しかできないようでは、奉仕の練習も下の下の段階です。神さまは何を必要としているか? 今何を最も必要としているか? を的確に汲み取って、言われる前に、先に先にと、能力を磨き・全力を尽くし・行き届いた働きをしてゆくことによって、奉仕の練習の段階も、上の段階に進むのです。奉仕の練習は、飽くまでも自分の為だけのものです。自分自身が神さまの助けを受け易くする為にしているのです。決して神さまの為にしているのでも、他の為にしているのでも無いのです。このことが判って、どこまでも謙虚にならなければ、真実の奉仕からは程遠いものになるのです。真実の奉仕は、神さまから与えてもらうだけで、自分から与えるものは微塵も無いからです。