ありがとうございます 神書 5-47   無限の調和が無限に無限に一杯!

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本心の心は既に救われている


業想念の心のままで、神さまを利用して御利益を得ようとする、御利益信仰・乞食信仰では、真実の救われを得ることは、永遠に不可能なのです。




 救う側に立った時に、救われるのです。救って欲しい、救われたいと幾ら願っても、救って欲しいという立場にしがみついている限りは、真実の救われは無いのです。救って欲しいという心は、業想念の心・求める心・不足の心です。みんなを救いたいという心は、本心の心・与える心・感謝の心です。業想念の心は、永遠に救われることは無いのです。七難八苦が影のように付き纏うのです。本心の心は、既に救われているのです。神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯なのです。真実の救われを得る為には、業想念の心にしがみつくのを止めて、本心の心の立場に戻れば良いのです。




 業想念の心のままで、神さまを利用して御利益を得ようとする、御利益信仰・乞食信仰では、真実の救われを得ることは、永遠に不可能なのです。業想念の心と本心の心の、どちらを自分の心として掴むかが、真実の救われの分岐点です。過去を掴み、部分に執着する業想念の心では、神さまが与え続けて下さっている『新たなる全徳の無限の無限の輝き』を感受することはできないのです。過去を放せば、新しいものを受け取ることができるのです。これだけが自分のものなのだと、部分を掴むのを止めれば、全体を自分のものとして受け取ることができるのです。本心の心をしっかりと掴んで、常に新たに、全体を自分のものとして受け入れてゆけば、真実の救われは成就するのです。




 神さまの中から、一瞬一瞬新たに、新生している本心の心は、他を救う働きをすることによって、現実に大きく輝き出て来るのです。他の本心を拝み出し、真理を伝え、愛他行を実践することによって、本心の心は現実に大きく成長するのです。本心の心の自覚を深めてゆく秘訣は、他を救う行を実践することにあるのです。本心の心の自覚が深まってから、他を救う働きをしようと思っていたら、永遠にそのチャンスは訪れて来ないのです。ちょうど赤ん坊が立てるようになってから、歩けるようになってから、走れるようになってから、身体を動かす練習を始めるのだと言うのと同じです。じっと動かずに待っていたとすれば、きっと一生涯寝た切りの状態になるはずです。




 赤ん坊は立てなくても、歩けなくても、一所懸命に身体を動かす練習をしているからこそ、立てるようにもなり、歩けるようにもなるのです。




 本心の自覚を深める為には、現実に本心を大きく輝かせる為には、種蒔かれた状態・赤ん坊の状態の本心の自分が、全力を出し尽くして、本心の自分を生きようと努力し続けることが必要不可欠なのです。本心の自分は、既に悟っている自分・祈っている自分・救われている自分です。本心の自分の既に救われている立場から、他を救う為に動き出せば、他を救う働きに比例して、本心の自分の既に救われているという実感が、大きく湧き上がって来るのです。