ありがとうございます 神書 5-42   無限の調和が無限に無限に一杯!

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様々(さまざま)の縛りの中の自分



 皮相に囚われていては、真実は判らないものです。例えば西瓜とは、赤くて甘くて柔らかくて、とても美味しいものだと中身を指して言われても、皮相に囚われている人にとっては、固くて不味いものだという印象しか無いので、真相を信じて受け入れることができないのです。




 人間もこの世しか無い、この世がすべてなのだと思い込んでいるのは、西瓜の表皮だけがすべてなのだと思い込んでいるのと同じことなのです。最初から中身を否定して無視していては、真実を明らかにすることは不可能です。人間も自分自身を正しく知る為には、表皮に当たる肉体や魂を自分の全てであると思っている、その思いから離れなければならないのです。真実の人間・本当の自分・本心の自分は、神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯なのです。人は自分自身を何と思うかによって、雲泥万里の差のある生き方を選ぶことになるのです。




 自分を単なる肉体であると思えば、儚い・虚しい・刹那的な・衝動的な・利己的な・小さな・欲望満足の為の生き方になるのは、当然なのです。自分を魂であると思えば、過去・過去世に囚われ、未来のことを心配し、様々の縛りの中に自分を置くことになるのは、これまた当然の結果なのです。こんな小さな皮相的な生き方を選んでいては、本当の自分の、全徳の無限の無限の輝きで一杯という生き方からは、程遠いものになってしまうのも仕方の無いことです。




 人は常に宇宙絶対神から、新たなる全徳の無限の無限の輝きを与えられているのです。だから人は常に新たなる無限の無限の幸せ・喜び・安らぎで一杯という、本心の自分を生きなければならないのです。人は常に新たなる無限の無限の明るさ・おおらかさ・平安で一杯という、本心の自分を生きなければならないのです。人は常に新たなる無限の無限の美しさ・素晴らしさ・清らかさで一杯という、本心の自分を生きなければならないのです。人は常に新たなる無限の無限の能力・知恵・活力で一杯という、本心の自分を生きなければならないのです。人は常に新たなる無限の無限の謙虚・素直・愛で一杯という、本心の自分を生きなければならないのです。……




 新たなる無限の無限の幸せで一杯! と祈ることによって、宣言することによって、断言することによって、無限の無限の幸せで一杯の、本心の自分を生きることができるのです。新たなる無限の無限の喜びで一杯!と祈ることによって、宣言することによって、断言することによって、無限の無限の喜び一杯の、人生を歩むことができるのです。言葉によって、祈りによって、本心は開発され、全徳の無限の無限の輝きは、この世に花開き、実を結ぶのです。新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!と祈ることによって、本心の自分をしっかりと生き続けることができるのです。