ありがとうございます 神書 5-37   無限の調和が無限に無限に一杯!

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すべてを失ったと思う時


 すべてを失ったと思う時でも、神さまの愛だけは常に降り注がれているのです。神さまの絶対の愛だけは永遠に変わらないのです。人は神さまの愛に抱かれている自分に気付いた時に、初めて本当の幸せを感じるのです。




 神さまの愛は、自分から否定し・無視し・拒絶しない限りは、無限に無限に感受できるものです。神さまの愛を感受できている時は、どんな苦痛・苦難も平気で乗り越えることができるものです。神さまの愛は、一切の苦痛・悲しみを癒し、無限の無限の幸せ・喜び・安らぎを与えてくれるのです。




 神さまだけに信頼を置けば、常に神さまの愛は感受できるのです。




 神さま以外のものに頼るから、神さまに頼ることを忘れてしまうのです。この世の一切のものは、儚い・虚しいものばかりです。頼りにできるものは、何一つとして無いのです。一瞬後には消滅して、存在しないかも知れないものばかりです。どんなものも永続する保証は何一つとして無いのです。人も物も、親も金も、一瞬後には消滅して存在しないかも知れないのです。頼ってはならないものに頼るから、失望落胆することになるのです。




 信頼できるのは神さまだけなのです。神さまだけは、その信頼を裏切ることは無いのです。神さまだけを信じ、神さまだけに頼っていれば、無限の無限の幸せは完璧に保証されるのです。




 神さまから遠ざかり、神さまの愛を感受できないようにしているのは、すべて自分自身なのです。




 自分自身のマイナス思考が、神さまの愛を否定しているのです。どんな些細なマイナス思考であっても、それが積み重なれば、神さまの愛を否定する心に陥るのです。プラスだけを数え上げてゆく楽天主義、プラスに受け止めてゆく楽観主義こそが、神さまの愛を受け入れてゆく生き方なのです。




 人は本来、自分の心に神さまの全徳の無限の無限の輝きを受け入れて、それを自分の運命・境遇・環境・世界に投影して、心ゆくまで楽しむように、自由想像・創造の使命を与えられているのです。




 神さまから与えられる無限の無限の幸せを感謝の心で受けて、愛の心でこの世へ与え尽くしてゆくというのが、本来の自然な生き方なのです。




 川上から流れて来る清流を受けて、それを活用する生き方と、川下から汚れた水を苦労して運んで来て、それを再利用する生き方を比較して見れば、どちらがより幸せな生き方であるかは明白です。それと同じように神さまから無限の無限の幸せを受けて、それを他へ与え尽くす生き方と、この世から小さな幸せを掻き集めて、他に与えるほどの幸せが無い生き方と、どちらの生き方が幸せであるかは、明々白々です。




 だから先ず一番にしなければならないことは、正しいお祈りの練習です。練習を積み重ねることによって、神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受できるようになれば、その無限の無限の幸せは、永遠に保証されるのです。