ありがとうございます 神書 5-32  無限の調和が無限に無限に一杯!

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自分の心を深く深く掘り下げること


 何事も徹底しなければ、本物は掴めないのです。中途半端な・どっちつかずの・右往左往している生き方では、大事な時間を・貴重なチャンスを失ってしまうものです。移り変わる姿に囚われているようでは、浅い皮相的な生き方になってしまうのです。本物を・神さまをしっかりと掴む為には、与えられた『今・此処』を深く掘り下げなければならないのです。移り変わる表面の姿は、掴んだと思っても、直ぐに消え去るところの儚い・虚しいものばかりです。表面的な物や人に頼る心では、神さまを・本物を見出すことはできないのです。




 変化無常の移り変わる姿の奥に、常住不変・確固不動の実在をしっかりと捉えてこそ、本物を見出したと言えるのです。その為には五感六感で感じている、心の色眼鏡を通して見ている、表面の姿に惑わされてはならないのです。自分の心を深く深く掘り下げて、本心の直感力によって、神さまの全徳の無限の無限の輝きの正しい姿を、更にはその根源をしっかりと捉えようとしなければならないのです。




 汚れた色眼鏡を通して見た景色と、色眼鏡を外して見た景色とでは、雲泥の差があるのです。どちらが本物であるかは、誰にも明白なことです。これと同じことが、業想念の心という色眼鏡を通して見る場合と、色眼鏡を外して本心の直感力で見る場合とに当てはまるのです。




 本物を正しく見る為には、色眼鏡を外して見るか、色眼鏡を汚れの無い無色透明のものに変えて見る必要があるのです。色眼鏡を外して見るということは、五感六感の感覚を超越して、本心の直感力によって感受してゆくことです。その為には、自分の心を深く深く掘り下げて、新たに新たに新生してくる本心の心を、しっかりと捉えなければならないのです。新たなる本心の心には、宇宙のすべてが、無限に無限に輝いて見えるのです。次に色眼鏡を汚れの無い無色透明のものに変えて見るということは、心の中を大掃除して過去世から積み重ねて来た業想念のすべてを消し去って、五感六感の感覚を清浄なものに変えて見るということです。そうすれば五感六感で感じる姿にも、生命の輝きを強く強く感じることができるのです。




 いつまでも汚れた色眼鏡を通して見る姿に、一喜一憂しているのは、愚かなことです。一刻も早く本物の光輝いた姿を感受して、無限の無限の感謝・感動・歓喜の心に戻らなければ、大きな大きな損失を積み重ねているのです。自分の心の汚れを消し去ることを第一にしなければ、本当の幸せを・本物を掴むことはできないのです。




 謙虚な心で感謝行を、素直な心で報恩行を、一にも二にも実行することが、神さまの大きな加護を受ける為の秘訣です。要は感謝と奉仕の実行の程度に比例して、神さまの加護を受けて、自分の心の汚れを消し去ってもらえるのです。実行に生きることが、すべてのすべてなのです。