ありがとうございます 神書 5-27    無限の調和が無限に無限に一杯!

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神さまはすべてのすべて


 神さまはすべてのすべてです。だから何をマイナスに見ても、誰を責め裁いても、結局は神さまをマイナスに見て、神さまを責め裁いていることになるのです。


 神さまを悪者扱いしていては、神さまの助けを受ける資格は無いのです。このことをしっかりと肝に銘じておかなければならないのです。



 マイナスに見るのは、自分が高慢だからです。高慢な心では、神さまの助けを受ける資格は無いのです。その高慢な心を守ろうとしている限りは、自分の方から神さまの助けを遠ざけてゆくものです。何故なら神さまの助けというものは、先ずその高慢な心を叩き潰し、消し去ろうとしてくるからです。謙虚な謙虚な本心の心に戻らなければ、神さまの本当の助けは受けられないのです。謙虚な本心の心に戻る為には、地獄のどん底に落とされても、仕方の無い自分であることに気付かなければならないのです。今までにどれほど悪逆非道な生き方をしてきたかを、しっかりと反省しなければならないのです。



 すべては神さまの所有であるのに、自分の所有として少しでも所有しているとしたら、それは神さまから無断で盗み取ったものなのです。


 空気を吸い、水を飲み、食事をしているとしたら、大きな殺生の罪を犯し続けているのです。贅沢な生活をしているとすれば、どれだけ多くのものを犠牲にしているか、想像を絶するものがあるのです。



 マイナスの言葉を使い、マイナスに思って来たその罪は、無限に無限に大きいものなのです。地獄のどん底に永遠に閉じ込められても、文句一つ言えないだけの悪逆非道な生き方を、誰もが皆してきているのです。謙虚に感謝して、報恩の誠を尽くす、本心の自分に戻らなければ、大悪人のままで終わるのです。



 その厳然たる事実から目を逸らし、自己弁解している限りは、何の反省も・お詫びも・償いも無いので、神さまの助けを受けることはできないのです。神さまの助けを受けることができなければ、謙虚な本心の心に戻ることは不可能です。


 本心の心に戻る為には、自分の積み重ねて来た業想念のすべてを、神さまに消し去って貰わなければならないからです。元より本心の自分は、一切の罪を犯すことは無いので、地獄に落ちて苦しむことも無いのです。


 本心の自分は、常に神さまに素直です。だから仮に地獄行きを命ぜられても、無限の喜びをもってその役割を果たすことができるのです。



 本心の自分は、神さまの御心を現すことを目的としているのです。神さまの御心を現す為に、その一切の責任を自分に帰して、努力に努力を重ねてゆくのです。


 一人でも不幸な人が居たら、それは自分の責任なのだと深く反省して、その人を幸せにする為に、全力を尽くすのです。


 自分の心の割合が、本心が一パーセントで、業想念が九九パーセントであっても、その一パーセントの本心の心をしっかりと生きて、神さまへの絶対奉仕の道を歩まなければならないのです。