ありがとうございます 神書 5-21 無限の調和が無限に無限に一杯!
有徳の本物と偽物
徳が有ると言われている人にも、本物と偽物があるのです。
本物の徳の有る人とは、本心の輝いた人であり、一切を私物化しない人です。一瞬一瞬新たに、神さまの全徳の無限の無限の輝きを受け直して、無一物中無尽蔵の境涯に在る人です。
偽物の徳の有る人とは、自我の心で、自分はこれだけの善いことをしてきたのだと掴んでいる人です。過去において積み重ねて来た善業を、しっかりと掴んで離さない人です。自分のしたことに対して、何らかの報いを求める人です。このような人は、心の中にどれほど多くの善業を持ち、この世にどれほど多くの財産を持っていても、偽物の徳の有る人なのです。
本物の徳を持っている人は、他に対して神さまの光を与えるのであり、光によって悪業をも善業に変えることができるのです。
偽物の徳を持っている人は、何らかのお返しを求めて、善業を貸し与えるのであり、その善業も沢山集まれば悪業に変化するものです。
仏教の托鉢行は、布施の心(与える心)を起こさせて、仏の救済の光を受け易くさせる為のものです。この場合、托鉢の行者の心境によって、与える光の質と量に差異が生ずるのです。餓鬼道に落ちた母を救う為に、日蓮尊者の行った衆僧供養は、大勢の徳の有る僧達の光を受けて、大きな悪業を消し去ってもらう為のものです。
神さまの人類救済活動に協力するのは、奉仕の心(与える心)を実践することによって、神さまからの大きな光を受け易くする為のものです。吸うばかりでは、呼吸もストップしてしまうように、神さまの助けも受けることだけを考えていては、ストップしてしまうからです。
徳を積み重ねる為には、陰徳(人に知れないように施す恩徳)を積むことが大切です。
善いことをしても、顕彰されたら、その徳は帳消しになるのです。
大臣になって有頂天になっていたら、七代祟るほどの徳を失っていることにも気付かなくなるのです。
折角積み重ねた徳も、自分の幸せの為だけに使えば、どんどん消えてゆくのです。新たな徳を大きく積み重ねてゆかなければ、徳消えになるかも知れないのです。
徳を大きく積み重ねる為には、今ある徳を種蒔きに使えば、効果は大です。どんな種も食べてしまえば、消えて無くなるのです。種蒔きに使えば、大きく増殖させることができるのです。同じ種蒔きも、肥沃な土地に蒔けば、実りは多くなるのです。種蒔きの仕方によって、その成果には大きな差が生ずるものです。
陰徳を大きく積み重ねる一番の方法は、お祈りを実行して、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、心にしっかりと感受することです。
お祈りを正しく実行する為には、徳の力が必要なのです。自分の今持っている徳のすべてを、他のことに使わないで、お祈りの実行に集中することです。徳が殖えれば、益々お祈りし易くなるのです。