ありがとうございます 神書 5-19  無限の調和が無限に無限に一杯!

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業想念の心を自分の心として掴む時


 業想念の心を自分の心として掴むから、七難八苦の状態に陥るのです。




 本心の心を自分の心として掴めば、既に無限の無限の幸せ一杯に生かされているのです。どこにも苦しみや悩みは無いのです。ただ幸せと喜びと安らぎが、湧き上がって来るのみなのです。明るく・謙虚に・素直に、すべてを神さまの現れと褒め讃え、感謝し、喜んでいれば、本心の自分を生きることができるのです。




 本心の自分を生きていれば、決して業想念の奴隷に陥ることも無いのです。




 光を灯せば、瞬時に、闇は消えるのです。




 本心の心を生きれば、業想念の心は消えるのです。感謝の心を生きれば、不平不満不足愚痴は消えるのです。




 喜びの心を生きれば、悲しみは消えるのです。




 賛嘆の心を生きれば、責め裁く必要は無くなるのです。




 生かされている自分であれば、生きる為の苦悩は無いのです。




 新たなる自分を生きれば、過去に縛られることは無いのです。




 与え尽くす心をしっかりと生きていたら、求める心に陥って苦しむことは無いのです。感謝一筋に生きていれば、考え悩むことは無くなるのです。




 本心の自分は、一切を神さまから、新たに受け直すことによって、光輝くのです。常に神さまだけを相手に生きているのです。神さまを忘れ・無視する時は、本心の自分は新生できないのです。心の奥に閉じ込められたままです。本心の自分を生きる為には、一瞬たりとも感謝を忘れてはならないのです。神さまから新たに受け直したもののみが、光輝いているのです。神さま以外から受けたものは、すべて過去の産物であり、業想念の付着したものばかりです。神さまから直接に、新たに受け直すことを忘れる時、付着した大きな業想念を背負うことになるのです。特に不労所得には、大きな業想念が付着してくるものです。その覚悟だけはしておく必要があるのです。




 神さまへの感謝報恩の心で、させていただく奉仕であれば、一切の報いを求める必要は無いのです。無報酬で喜んで働けば良いのです。もし自分の労働の対価として、報酬を受けるのであれば、自分の与えたものと同じ価値のものを、その報酬で返してもらえるという約束を、人と人との間でしたことになるのです。お金には絶対価値は無いのです。労働の対価の貸し借りの時の約束のようなものです。




 自分の与えた価値だけのものが、自分に与え返されてくるのです。もし自分の与えた以上のものを受ければ、その分は借りているのです。自分の与えたものの方が多ければ、その分は貸しているのです。因縁因果の法則によって、どんな貸し借りも厳然と精算されるのです。ただ借越の多い者には、業想念の縛り(早く返せという無理難題の要求)がきつくなってくるのです。その点では貸越の多い者の方が、業想念の縛りが少なくなるので、少しは楽な心の状態になるのです。