ありがとうございます 神書 5-11   無限の無限の調和が無限に無限に一杯!

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最高最大の中心者は宇宙の大神さま


 『至忠・至孝・至悌』とは、忠・孝・悌の最高の極致です。君に忠・親に孝・師に悌というのは、君・親・師に対して、真心から奉仕することです。君とは、中心者・責任者のことです。家庭にも、団体にも、社会にも、国家にも、宇宙にも、すべてに中心者・責任者が存在しているのです。




至忠

 中心が無くなれば、バラバラになって崩壊するのです。どんなものも中心があるので、一つの生命体として、全体の調和が保たれているのです。すべてのものの最高最大の中心者は、宇宙の大神さまです。宇宙の大神さまへの絶対奉仕が、至忠です。親とは、自分という存在の元になるものです。




至孝

 肉体の自分の親は、この世の肉体の両親です。魂の自分の親は、守護霊さまです。いのちの自分の親は、守護霊さまです。広義には宇宙のすべてが、自分の親です。すべての自分の真実の親は、宇宙の大神さまです。宇宙の大神さまへの絶対奉仕が、至孝です。




至悌

 師とは、自分を正しく導いてくれるもののことです。この世にもあの世にも、自分を正しく導いてくれるものは、沢山存在しているのです。すべての師を総括しているのが、宇宙の大神さまです。宇宙の大神さまへの絶対奉仕が、至悌です。従って、『至忠・至孝・至悌』とは、宇宙の大神さまへの絶対奉仕です。それが真実の悟りを深めてゆく為の実践道となるのです。宇宙の大神さまに対して、自分のすべてを捧げ尽くせば、神我一体となるのです。




 今の自分のすべてを神さまに捧げ尽くせば、神さまから新たなすべてを受け直すことができるのです。小さな自分(肉体我)を神さまに捧げ尽くせば、大きな自分(宇宙我)に生まれ変わるのです。古い自分を神さまに捧げ尽くせば、新しい自分になれるのです。過去のマイナスの姿を神さまにお任せすれば、プラスの善い姿に置き換えてもらえるのです。業想念の心(執着の心・五欲の心)を神さまに一任すれば、本心の心(安らぎの心)に戻れるのです。




 業想念の心とは、


 常に自己中心の利己的な心です。


 他人の幸せよりも、自分の幸せを先ず第一に考える心です。


 マイホーム主義的に小さな幸せを求める心です。


 そんな業想念の心で幾ら幸せを求めても、得られるものは本当の幸せでは無いのです。


 五欲の心をいくら満足させても、この一生がどんなに安泰そうに見えても、業想念を積み重ねるだけで終わっては、地獄に転落しないという保証はどこにも無いのです。


 業想念の奴隷に陥っている限りは、地獄に転落する時期を先送りにしてもらっているだけです。それでは真実の心の安らぎは決して得られないのです。


 真実の心の安らぎを得る為には、本心の自分に戻る為の正しい道をしっかりと歩むことです。それは小さな自分のことなど考えないで、神さまの為に生きること、全体の幸せの為に生きることなのです。