ありがとうございます 神書 5-10   無限の無限の調和が無限に無限に一杯!

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本心(神我)を引き出し輝かすこと


 本心(神我)を引き出し、輝かすことが、人生の真(まこと)の目的です。その他の目的・目標というものは、この真(まこと)の目的を実現する為の手段です。真(まこと)の目的と、手段としての仮の目的とを、ハッキリと区別しなければならないのです。そしてその真(まこと)の目的を達成する為に、この世のすべての目的・目標を活用してゆくのが、正しい生き方なのです。手段としての仮の目的・目標を、仮に達成できても、真(まこと)の目的を見失っていては、一時的の満足はあっても、儚い・虚しい気持ちに陥るものです。真(まこと)の目的を持たない人生は、暗闇の荒れ狂う海を、右往左往する小舟のようなものであって、真(まこと)の心の安らぎ・喜びを得ることは、不可能なのです。




 移り変わる姿に執着し囚われる心は、業想念の心です。一つの道において、着実に進歩・向上して、仮にその最高峰を究めたとしても、心が業想念の心のままでは、真(まこと)の心の幸せ・喜び・安らぎは決して得られないのです。他と比較して優越感に浸っても、その最高位を維持し続けても、他からどんな名声を博しても、自分の思い通りになったという、自己満足感があるだけです。業想念の心のままでは、「果たしてそれが一体何になるのか?」という儚い・虚しい思いに駆られるものなのです。




 人は本心を引き出し、輝かして、その本心の自覚を深めてこそ、真(まこと)の心の幸せ・喜び・安らぎを得ることができるのです。それは、移り変わる姿に囚われない、左右されないところの、常に幸せ・喜び・安らぎで一杯の不動心なのです。本心の自覚の深さに比例して、心の幸せ・喜び・安らぎが、無限に無限に大きく・深くなってくるのです。




 一つの道において最高の目標を立てて歩むのは、本心(神我)を引き出す為なのです。高い目標に挑戦してこそ、本心(無限力)を大きく引き出せるのです。それは力の限界を破ろうとする時に、本心の力が湧き出てくるからです。自分の心を観察すれば、業想念の心と本心の心の両方が存在していて、常にその両者の戦いであることに気付くはずです。

 



 業想念の心に負けると、虚栄心と執着心の奴隷となって、同じ一つの道を歩むにしても、優勝劣敗にこだわり、五欲の虜となって、益々業想念を積み重ねて、本心を覆い隠し、苦しみを大きくしてゆくものです。




 本心の心が勝てば、どんな困難にも・高い目標にも、喜びと感謝の心で挑戦して、それを本心を引き出す為の、最高の手段・課題として活用できるものです。そしてその進歩・向上・成功・勝利に比例して、本心が大きく引き出され、その本心の輝きに比例して、真(まこと)の心の幸せ・喜び・安らぎが無限に湧き出てくるようになるのです。本心の自分が業想念の心に打ち勝ち、本心を無限に大きく輝かせてゆくことが、人生の真(まこと)の目的であるのです。