ありがとうございます 神書 5-1  無限の無限の調和が無限に無限に一杯!

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信仰の極致にある古神道


 信仰の極致にあるもの、それは古神道です。この場合の『古』とは、時間的に古い・昔のという意味ではないのです。言葉や教え以前の、言葉や教えになる前の、縦横無尽の神さまの働きを指しているのです。ここでいう古神道とは、唯一無二の宇宙絶対神による、時間・空間の未だ発せざる絶対の中から、真・善・美・聖を表現しょうとする、全大宇宙に満ち渡る創造・統一・進化・完成の為の、すべての神さまの働きを指しているのです。古神道こそは一切を摂取不捨し、全大宇宙のすべてを一大包容し、一大統一のもとに総括して大調和ならしめ、一即多・多即一という全一の真理を輝かす、大神さまの至慈至愛の働きを指し示しているのです。宗教・科学・芸術等々、すべては古神道より生まれたものであり、元より古神道に帰一し、古神道の部分を表現しているものです。すべての分野の神髄は、古神道の中にあり、大神さまの絶対の愛に帰結しているのです。





 古神道は、大神さまの全徳の無限の無限の輝きそのものです。無限の大光明をも吸収してしまうブラックホール的な、マイナス無限大の暗闇を素材(表現の原点)として、そこへ無限の無限の大光明を放射して、無限に小さい虚の光から無限に大きい実の光に到る、無限の無限の段階の光一元の表現を創造し続けているのです。古神道は、全大宇宙を、神一元! 真一元! 善一元! 美一元! 愛一元! 光一元!に、一大統一しているのです。そして人はその光一元の表現の中から、感謝の積み重ねに比例して、より大きな光を感受してゆくのです。感謝はその積み重ねに比例して、それぞれの奥から光を引き出すと共に、より大きな光を感じ取れる心を養うものなのです。





 神話『古事記』は、古神道の一つの道しるべです。我見を捨て、先入観を去り、至純・至誠の心をもって、深く正しく解釈できるならば、その中に秘められている、無限の価値有る真理を汲み取ることもできるのです。しかし我見にとらわれた、浅い解釈で満足していては、ダイヤモンドを磨かないで、原石のままで味わっているようなものです。浅い解釈から無限に深い解釈まで、千差万別の解釈を施すことができるところに、神話の神話たる所以があるのです。





 古神道の信仰を行ずる者は、大神さまの絶対の愛を信じ、すべてを大神さまの現れと礼拝して、すべてへの感謝を通じて、大神さまと一体化するのです。大神さまの御心のままに、無限の無限の幸せ一杯に生かされていることに、只々感謝の誠を捧げ尽くすのです。『今』の一瞬一瞬を、『褒め讃え・感謝し・喜ぶ』ことによって、本心の自分をしっかりと生きるのです。この生き方によって、一切の縛りから開放されて、自由自在になり、いつも無限の無限の幸せを感じることができるのです。