一大奇蹟の
ありがとうございます護摩



奇 蹟
(神などが示す、常識では起こるとは考えられない、不思議な出来事。)
には、

一大奇蹟
大奇蹟
奇蹟
ミニ奇蹟
ミニミニ奇蹟


があるのです。

ありがとうございます護摩には すべての奇蹟が揃っているのです。



ありがとうございます護摩は
 虚の世界の神仏の浄めを受ける護摩では無いのです。
    真(まこと)の神さまの無限に無限に偉大な清めを受ける護摩です。
 浄め(虚のマイナスを虚のプラスに変える)と
 清め(本質を現し、真(まこと)のプラスに置き換える)の違いは無限に無限に大きいのです。
 真(まこと)の『ありがとうございます』を捧げ尽す程度に比例して、清めの助けを大きく受け取ることができるのです。

 真(まこと)の『ありがとうございます』を無限に無限に一杯!捧げ尽す為に、入れ子構造的相乗効果によって、祈りを無限倍の祈りに変えるのが、真(まこと)のありがとうございます護摩なのです。
 それによって短期間に本心の自分に戻れるのです。

 真(まこと)の神さまの偉大なる護りが、本当の意味で真実に降り注ぐようになって来たのです。
 求める心で、受ける心で、どんなに真剣に受け取ろうとしても、受け取れるのは無限分の1の護りです。
 与え尽す心になってこそ、神さまの側に立ってこそ、真(まこと)の神さまの偉大なる護りは、必要に応じて、大きく流れ入るのです。

「ありがとうございます」を捧げる目的が、
真(まこと)の神さまの偉大なる護りを受ける為ではなく、
真(まこと)の神さまの偉大なる護りを与え尽す為に、
 というように変化したのです。

 それによって、働きが無限倍に成って来たのです。

 どんなプレゼントも感謝してこそ受け取れるのです。
感謝を忘れたら、せっかくのプレゼントも返さなければならないのです。

 無限のプレゼントを受け取る為には、無限の感謝が必要です。
 虚の世界のプレゼントでも、すべてを受け取る為には、無限の無限の感謝が必要なのです。
 ましてや真(まこと)の神さまから、真(まこと)のプレゼントを無限に無限に一杯!受け取る為には、真(まこと)の無限の無限の感謝を捧げる必要があるのです。

 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分と受け直して、本心の自分に戻る為には、無限の無限の真(まこと)の感謝が必要なのです。

 無限の無限の感謝は、自分一人では捧げることは不可能です。
 すべての感謝を総動員して、一つの大きい感謝にして捧げなければ、無限の無限の感謝にはならないのです。

 みんなの支えが助けが絶対に必要なのです。

 本心の自分に戻る為には、
みんなと心を一つにして、
みんなで支え合って、
無限の無限の感謝を捧げてゆくことが必要不可欠なのです。

 ありがとうございます護摩は、すべての祈りを総結集して、無限の無限の感謝として、捧げる為のものなのです。
 同じ祈りが誰と一緒に祈るかによって、大きく変化するのです。

 ① 自分一人で祈っているという人は、自分一人の祈りです。

 ② この世の人が集まって心を一つにして祈っているという人は、その人数の相乗効果の祈りです。

 ③ 一人一人の背後でも一緒に祈ってくれているという人は、働きを認めた分だけ、その相乗効果は大きくなります。
(守護の神霊と一緒に、ご先祖さまと一緒に、救済の神々と一緒に、様々な縁者と一緒に、・・・・・等々)

 ④ ゴマ木に祈りを込めて総結集する場合には、種々様々な一緒に祈ってくれている祈りをも加えて、入れ子構造的相乗効果の祈りに近づいてゆくのです。
  祈りを捧げる程度に比例して、与える量が多いほど、マイナスを消し去ってもらう量も、プラスを与えてもらう量も大きくなるのです。奇蹟が大奇蹟が
  続出するのです。

 ⑤ 捧げて受ける生き方から、与え尽す生き方に変わったときは、みんなと一緒に祈るという、本心の自分の祈りは、常に全体の祈りに支えられた祈りに
  なって、無限倍の祈り、無限の祈りになるのです。

 ⑥ 真(まこと)の神さまと一緒に祈るという、本心の自分の祈りは、常に無限の無限倍、無限の無限の祈りになるのです。
  一大奇蹟が続出するのです。


 真(まこと)の神さまの側に立った、与え尽す祈りは、一言のありがとうございますが、同時に無限のありがとうございます、無限の無限のありがとうございますに成るのです。



ありがとうございます護摩の変遷

第  1回目 2002年(平成14年)  6月15日 24回目   2010年(平成22年)  4月 4日
 2回目  12月23日 25回目     8月 1日
 3回目  2003年(平成15年) 12月23日 26回目    12月23日
 4回目  2004年(平成16年)  6月12日 27回目   2011年(平成23年)  4月 3日
 5回目  8月 8日 28回目     8月 7日
 6回目 2005年(平成17年)   元 旦 29回目  12月23日
 7回目  5月21日 30回目   2012年(平成24年)  4月 1日
 8回目  8月 7日 31回目  8月 5日
 9回目 12月23日 32回目 12月23日
10回目 2006年(平成18年)  3月 5日 33回目   2013年(平成25年)  4月 7日
11回目  5月 7日
12回目  8月 6日
13回目 10月 1日
14回目 12月23日
15回目 2007年(平成19年)  4月 1日
16回目  8月 5日
17回目 12月23日
18回目 2008年(平成20年)  4月 6日
19回目  8月 3日
20回目 12月23日
21回目 2009年(平成21年)  4月 5日
22回目  8月 2日
23回目 12月23日
2002年(平成14年)6月15日に、
 第1回目の「ありがとうございます護摩」が焚かれ、回を重ねる毎に、中身が大きく変化してきました。

 ① マイナスを消してもらう 業想念を浄めてもらう
 ② プラスを与えてもらう プラスの心に変えてもらう
 ③ 天の岩戸を開いてもらう
 第8回目の2005年(平成17年)8月7日に、
天の岩戸が開かれ、天照大御神は無色透明の光の太柱となって降りて下さったのです。

 神さまが人に合わせて、虚の世界へ救いの手を差し伸べ、光を加減し、助けて下さっても、虚の世界から抜け出ることはできないのです。

 天照大御神の無色透明の光が、一人一人の本心の自覚となって蘇えってくれば、自分の幸せを祈る小さな生き方から、世界のみんなの幸せを祈る大きな生き方に変化するのです。
 即ち業想念の心の生き方から、本心の心の生き方へと大きく正反対の生き方に変わるのです。

第16回目の2007年(平成19年8月5日)には、
 入れ子構造の天照大御神が無限の無限の大光源となって降りて下さったのです。
天の岩戸が大きく大きく開かれたのです。

 それで本心の自分に戻り、本心の自分を生きる人が殖え始めたのです。
 業想念の心の自分から本心の心の自分に戻るという、驚天動地の一大奇蹟が続出するようになったのです。
 光の太柱の中を、光のエレベーターが、頻繁に昇り降りし、本心の自覚に戻る人が、どんどん殖え続けているのです。

ありがとうございます。無限のありがとうございます。
無限の無限のありがとうございます。

第18回目の2008年(平成20年)4月6日(日)には、
 澄み清まった野外ステージにおいて、無色透明の円光の柱が降り立ち、本当に抜けるような青空の下で、感謝の真祈りの護摩焚き祈りの会が行われました。
 今回からは長年にわたって感謝の真祈りを祈り続けて下さった方々の切望に応えて、各自の意識を引き上げる為に、光のエレベーターが降り立ち、その扉を開けて待って下さるようになったのです。
 本来ならば無限の階層を突き抜けて昇らなければならないのに、光のエレベーターの扉一枚の壁を抜けるだけで、各自の意識を感謝の世界へ、更には絶対感謝の世界へと、瞬間移動で引き上げて下さるのです。

 自分の意識を感謝の世界に引き上げてもらえた人は、感謝の祈りが湧くように出て来るのです。
 自分の意識を絶対感謝の世界に引き上げてもらえた人は、絶対感謝の祈りが湧くように出て来るのです。


これからの地球人類の生き方にとって一番大事なことは、
『言葉選び』です。

 自分の選んだ言葉通りに、すべては成ってゆくのです。
 過去のすべてを棚上げにしてもらって、今新たに選んで使う言葉が、何よりも大事に成って来るのです。

 神さまからの光のシャワーを大きく浴びる為には、神さまへ心を向け続けることが必要なのです。神さまへ心を向けるということは、無限大の外遙か彼方へ心を向けるということです。


第22回目の2009年(平成21年)8月3日には、
 入れ子構造の天照大御神が、天地を貫く大きな光の太柱となって、無限の次元の沢山の縁者を、真(まこと)の神さまの真実の世界へと引き上げて下さったのです。
 虚の世界から真実の世界へと助け上げてもらった喜びは、筆舌を超えた無限に大きな喜びです。
 神さまの御心が自分の中に入って来ると、本当のプラス思考の自分に、本心の自分に自然に変化してゆくのです。

 ここに「ありがとうございます護摩」は、すべての人を虚の世界から真実の世界へ引き戻す為の、大きな働きをする『一大神事』になったのです。

 最初のマイナスを消し去ってもらったり、プラスを与えてもらったり、願いを叶えてもらったり、というような小さな働きから、天の岩戸を開く為の神事となり、天照大御神を、入れ子構造の大きな天照大御神を、お迎えする大神事となって来たのです。
 そのお蔭で一人一人の本心が目醒め、本心の自分に戻り、本心の自分をしっかりと生きるようになって来たのです。

護摩焚きの写真は、肉眼では見えない不思議なすがたが一杯写ります。

 ① 最初の頃は光の玉(エネルギー体)、たまゆらが一杯です。
 ② 大きい光体が降りて来る。
 ③ 大きい光体が沢山降りて来る。
 ④ 同心円的な大光体が降りて来る。
 ⑤ 色彩が赤から黄へ青へ紫へと変化して来る。
 ⑥ 透明感のあるものに変化して来る。
 ⑦ 同心円的輝きの一番外には、無限に大きい、無限に明るい、無限に強烈な、透明感のある輝きが感じられるものになって来る。




護摩木に書く言葉も変化しています。
① ありがとうございます
+ 願い事が一杯!

② ありがとうございます
+ 感謝・お礼が一杯!

③ ありがとうございます

「天照大御神 今ここに在します」
「新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!」

④ ありがとうございます

「無限の無限の天照大御神 今ここに在します」
「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」

⑤ ありがとうございます

「真(まこと)の神さまは一大循環の相象で厳然と今ここに在します」
「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」

「新たなる無限の無限の(プラス・調和・幸せ・喜び・安らぎ・愛・知恵・能力・護り・支え・明るさ・素晴らしさ・謙虚さ・素直さ・・・・・)が無限に無限に一杯!
(具体的に徳性を一杯!) 」
 感謝の真祈りを祈ることが、
  一番の神さまのお手伝い、最高最大のお手伝いになるのです。

 感謝の真祈りを祈ることが、
  闇・マイナス・思いを消し去り、
  光・プラス・感謝を加えることになるのです。

 一人一人が置かれた場で、感謝の真祈りを祈り続けることも尊いことなのですが、その祈りを総結集して、相乗効果的な大きい力を発揮してゆくということも、更に必要な、もっともっと尊い祈り方なのです。

 その意味から、定期的に感謝の真祈りを祈る人が、一堂に会して、心を一つにして真剣に祈るということは、何よりも大事な無限の価値ある働きをすることになるのです。

 ただ同じときに一つの場に、みんなが集まるということは、いろいろな制約があるのです。
 そこでゴマ木に託して、祈りの場に参加するということになれば、無理なく自然に、感謝の真祈りを祈りたい人は、誰でも自由に参加できるのです。

 感謝の真祈りをゴマ木に込めて、ゴマ木を自己の分身として、祈りの場に参加させることによって、遠くに居て祈っていても、同じ場で祈っているのと同じ効果が得られるのです。





 感謝の真祈りを祈ること、感謝の真祈りをゴマ木に込めて奉納することは、真(まこと)の神さまへの最高の恩返しの絶対奉仕の行に成るのです。

 絶対感謝の道に入門し、真(まこと)の神さまへ弟子入りするための条件は、
感謝の真祈りを真剣に祈り続けることと、
自分のすべてを神さまに捧げ尽して
恩返しの絶対奉仕に生きることです。

 真(まこと)の神さまへ弟子入りすれば、常に完璧な護りを受け続けることができるのです。

 虚無の世界(思いの世界)から真実の世界(感謝の世界)に抜け出る為には、真(まこと)の神さまの偉大な助けを受けることが必要です。
 その為には真(まこと)の神さまへの恩返しの行が必要不可欠です。
 恩返しの程度に比例して、神さまの助けは受けられるのです。

 自分のいのちを捧げるということは、
自分の時間を神さまの願い・必要としていることに使うことです。

真(まこと)の神さまが今一番必要として願っていることは、

感謝の真祈りを真剣に祈り続け、
その祈りをゴマ木に託して総結集し、
偉大なる相乗効果を発揮して、
一人でも多くの縁者を、
思いの世界(虚無の世界)から感謝の世界(真実の世界)へ
助け上げることです。

 ありがとうございます護摩の中身の変化は、受ける側の変化なのです。
与える側の神さまは、常に一貫して変わらないのです。

 真(まこと)の神さまからのプレゼントは常に、

『新たなる無限の無限の天照大御神 今ここに在します。
新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!』
という一大循環の相象として、
入れ子構造的に・重層構造的に・ところてん式に・全方向から、一大瀑布となって降り注いでいるのです。

 受ける側がどれだけ受けられるかの違いなのです。
小さい自分は小さく受けるのです。大きい自分に成れば、大きく受けられるのです。
 自分自身を大きくしてゆくことが、一番大事なのです。

 自分を大きくしてゆく為の一番の秘訣は、過去の小さな自分を神さまにお返しして、新しい大きな自分を受け直すことです。
 感謝一筋に恩返しの絶対奉仕に生きれば、過去の小さな自分を神さまに預けて消し去ってもらえるのです。
 すべてを与え尽くして空っぽの自分になれば、無限倍にして与え返される新しい自分を、大きく受け入れることができるのです。
 過去を掴めば、小さな自分に成ってゆくのです。
 過去を放せば、大きな自分に成ってゆくのです。

 真(まこと)の神さまの世界・真実の世界に住める自分は、真(まこと)の神さまへの感謝一筋に、恩返しの絶対奉仕に生きる自分です。

 恩返しの絶対奉仕に生きれば、絶対の中心に向かって、どんどん大きな自分に成ってゆくのです。恩返しの絶対奉仕を忘れたら、虚の世界を下へ転がり落ちて、小さな自分に成ってゆくのです。

 自分のすべてを捧げ尽くして、恩返しの絶対奉仕に生きる、与え尽くす生き方は、無限倍にして与え返される、一番得な生き方なのです。
反対に求める・奪う・借りを増やす生き方は、無限倍にして奪い取られる、一番損な生き方なのです。

 与える心を生き続けたら、必ず神さまの世界に戻れるのです。
 求める心を生き続けたら、必ず地獄のどん底へ落ちてゆくのです。
 プラスの言葉を選ぶ人は、プラスを与え、与える心を生きているのです。
 マイナスの言葉を選ぶ人は、マイナスを与え、求める心を生きているのです。

 『ありがとうございます護摩』は、大きな自分に成る為の、神さまの世界に戻る為の、最高のチャンスを与えてもらっているのです。
総責任者・全責任者の立場に立って、大きく与え尽くす貴重なチャンスなのです。

 無限の天照大御神をお迎えする、歓迎式典の総責任者が自分である、という強い信念・自覚をもって参加することが、神さまからの贈り物を大きく受ける為に、一番大事なのです。

 みんなが総責任者の立場に立てば、重層構造的な素晴らしい歓迎式典に成るのです。

 ありがとうございます






真(まこと)の神さま、ありがとうございますの神さまは、
『新たなる無限の無限の天照大御神今ここに在します。
新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!』

という一大循環のすがたと成って、厳然と今ここに在しますのです。

 その神さまが天の岩戸を開き、光の太柱となって降り立ち、恩返しの順流の光の流れを加減して、その中へ入り易いように調節し、迎え入れて下さるのです。
 感謝の真祈りを真剣に祈り続け、真(まこと)の恩返し一筋に生きようとする人を、虚の世界から真実の世界へと救い上げて下さるのです。
 
 「ありがとうございます護摩」は、真(まこと)の神さまを褒め称え、深く感謝し、喜びを最大限に表現して、真(まこと)の神さまとの一体感を深めてゆく為の、古今東西未曾有の、真(まこと)の恩返し一筋に生きる為の一大神事です。
 
 一大循環の流れのままに、
 神さまから受けたものを神さまにお返しするのが、
 真(まこと)の恩返しです。
 
 神さまからの贈り物を、微塵も掴まない、微塵も自分のものにしないということが、永遠無窮に新たな贈り物を受け続ける為の秘訣です。
 
 神さまからの贈り物を掴んで、自分のものにした時から、流れが停滞してゆくのです。新たな受け直しができなくなってゆくのです。
 そして過去の残像を、思いを積み重ねて、虚の世界に陥ってゆくのです。
 
 
 
 虚の世界は、真(まこと)の神さまから遠ざかってゆく、マイナスへの流れ・逆流の世界です。努力を怠り、惰性に流されたら、地獄のどん底へ滝のように落ちてゆくのです。
 
 過去のすべてを、新たなすべてを、真(まこと)の神さまにお返ししてゆく、真(まこと)の恩返し一筋の生き方のみが、逆流から抜け出て、順流の中へ入ってゆく唯一無二の道です。

すべて100パーセント神さまのお蔭で、

 真(まこと)の恩返しに生きる・生きようとする自分に変えて下さるのです。




第24回目の2010年(平成22年)4月4日の護摩焚きは、
 巨大な無色透明の光の渦巻きが、思いの逆流を恩返しの順流に変えて下さったのです。
真(まこと)の恩返しに生きる自分に変えて下さったのです。

 一大順流の流れが・無限倍の光の流れが、常に後押しして、真実の世界へと押し上げて下さるのです。


真(まこと)の恩返し一筋の生き方に成れば、
常に真(まこと)の神さまの無限の無限の護りで一杯!です。


真(まこと)の神さまは、厳然と今ここに在します。
真(まこと)の神さまは、一大循環の相象(すがた)となって、
一大循環の相象(すがた)で、厳然と今ここに在します。
新たなる無限の無限の入れ子構造の天照大御神 今ここに在します。
新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!

 この一大循環の真実の相象(すがた)を、一瞬一瞬新たに感受するのが、真(まこと)の『ありがとうございます』の真義なのです。

 『ありがとうございます』護摩は、
真(まこと)の神さまに対して、『ありがとうございます』をひたすら捧げ続けて、今回(平成23年8月7日)で28回目です。

 『ありがとうございます』を捧げることによって、真(まこと)の神さまとの交流をさせていただいたのです。真(まこと)の神さまは、私たちの捧げる『ありがとうございます』に対して、より大きい・深い・本物の『ありがとうございます』を与え続けてくださったのです。

 真(まこと)の恩返しの心で、『ありがとうございます』を捧げることによって、入れ子構造的無限倍の、より大きく・深い・真(まこと)の『ありがとうございます』の真祈りを伝授して下さったのです。

 真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)を信じられたら、
    『定義』の『ありがとうございます』です。

 無限大の完璧な光源・天照大御神の、表現としての無限のチャンネルを感受できたら、
    『真義』の『ありがとうございます』です。

 天照大御神を直接感受できたら、
『本義』の『ありがとうございます』です。
 入れ子構造の天照大御神を感受できたら、
『奥義』の『ありがとうございます』です。
 絶対の中心を把握できたら、
『秘奥義』の『ありがとうございます』です。

① 御利益を得る為から始まって、
② 思いを消し去る為、
③ 天の岩戸を開く為、
④ 天照大神大御神の表現を感受する為、
  ⑤ 天照大御神に出会う為、
⑥ 入れ子構造の天照大御神に出会う為、
⑦ 真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)を感受する為、
⑧ 真(まこと)の神さまに出会う為、
⑨ 真(まこと)の神さまの自覚に戻る為、
⑩ 真(まこと)の神さまそのものに戻る為、

というように、『ありがとうございます』護摩の目的は大きく変化して来たのです。

 『ありがとうございます』をひたすら捧げ続けて来た目的は、
真(まこと)の神さまとの一体感を、真(まこと)の神さまの自覚を無限に無限に深め、真(まこと)の神さまに戻る為だったのです。
真(まこと)の自分に目覚める時が来たのです。
真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分です。

真(まこと)の神さまは、始めも無く、終わりも無く、永遠無窮の真(まこと)の存在です。
真(まこと)の神さまには、一切の対立が無いのです、一切の差別が無いのです。
真(まこと)の神さまは元始めから完璧な一つです。
真(まこと)の神さまには完全な一体感だけが在るのです。
真(まこと)の神さまは、絶対の中心から、必要なものを的確に与え尽くすという、一大循環の相象となって、厳然と今ここに在しますのです。
真(まこと)の神さまは、全体に対して、必要なものを・必要な時に・必要な所へ・必要なだけを、最高の状態で、的確に与え尽くすという、愛の働きによって、一大循環の完璧な一つに成っているのです。

 真(まこと)の神さまは、全体を入れ子構造的に大きく支え、本当に必要なものだけを的確に、与えて・与えて・与え尽くしているのです。最高の与え方です。微塵も隙間の無いように、瞬時に、愛で愛の贈り物で埋めつくして来るのです。
 すべてのすべてが、与え尽くし合いによって、完璧な一つに成っているのです。
 無限のものと、無限のスピードで、無限の交流をして、全体が完全に一体化しているのです。静止した一つでは無いのです。
無限のスピードで真(まこと)の愛が循環する、新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という、完璧な一つの玉体です。

 真(まこと)の自分は、真(まこと)の神さまを生きるのです。
 真(まこと)の自分は、真(まこと)の神さまの自覚をもって生きるのです。
 真(まこと)の自分は、新たに新たに生きるのです。
 真(まこと)の自分は、与えて・与えて・与え尽くすだけに生きるのです。
 真(まこと)の自分は、真(まこと)の愛の一体感を生きるのです。
 真(まこと)の自分は、自由自在に生きるのです。


真(まこと)の自分は、全体を支え・助け・護る為だけに生きるのです。
真(まこと)の自分は、
  湧き上がる無限の無限の無条件の幸せ・喜び・安らぎで一杯!です。
真(まこと)の自分は、
  言葉通りに、真(まこと)の神さまを・一大循環の相象を受け直すだけです。


 目から鱗が剥がれ落ちるように、思いの色眼鏡が外れる時が来たのです。
過去を掴むすべての思いが消し去られ、思いの色眼鏡を通して見る虚の姿が消え去るのです。


 真(まこと)の神さまが、真実の世界が、正しく見えるように成るのです。


真(まこと)の神さまだけ! 真(まこと)の真実だけ! 真(まこと)の輝きだけ!
真(まこと)のプラスだけ! 真(まこと)の感謝だけ! 真(まこと)の恩返しだけ!
真(まこと)の絶対奉仕だけ! 真(まこと)の全託だけ! 真(まこと)の神徳だけ!
真(まこと)の神縁だけ! 真(まこと)の調和だけ!
真(まこと)の一大循環の相象だけ!

真(まこと)の神さまの真(まこと)の偉大なる護りに対して、

最高最大に『褒め称え・感謝し・喜ぶ』だけという、純粋な真(まこと)の護摩焚きです。

 虚の世界における人の心境を10段階に分けると、
①地獄 ②餓飢 ③畜生 ④修羅 ⑤人間 ⑥天上 ⑦声聞 ⑧縁覚 ⑨菩薩 ⑩仏 になるのです。

 この中で①~⑥は、過去をつかんで想念感情を積み重ねる世界です。

マイナスの言葉、思いを無限に一杯積み重ねたら、地獄です。
求める心を貪る心を無限に一杯積み重ねたら、餓飢です。
理性の無い欲望のままに生きるのが、畜生です。
競争して打ち勝ちたいのが、修羅です。
ギブアンドテイクの思い通りにしたいのが、人間です。
求める心の少なくなったのが、天上です。

 ⑦~⑩は、過去をつかまない世界です。想念感情を消し続ける世界です。

新たに新たに真理の言葉を受け直すのが、声聞です。
 真理の言葉は光となって、少しずつ思いを消し去ってくれるのです。
因縁因果の理を覚ったら、縁覚です。
 想いが少なくなれば気付くようになるのです。
与え尽す心を生きるのが、菩薩です。
 祈りによって思いを消し去ろうとするのです。
小さい殻から抜け出て、自由自在になったら、仏です。
 すべての思いを消し切ったら、すべての枠・殻が消えるのです。

 虚の世界はすべて、思いの色眼鏡を通して見る世界です。
 思いが少なくなって来ると、色眼鏡に付着している、思いの質と量の区別ができるようになるのです。そうなると自分の見ているのは、色眼鏡に付着している、思いを見ているのだと気付き始めるのです。
 周りに見えるどんなマイナスも、自分の色眼鏡に付着しているマイナスの思いなのだと、自覚するようになるのです。
 そうなれば縁覚の心境に到達したのです。
 色眼鏡に付着した汚れ(思い)を消し去る為に、祈り始めたら菩薩です。
 汚れが多いと視野が狭くなるのです。汚れが少なくなると視野が広がるのです。視野が広がって大きくなったら、大菩薩です。
 色眼鏡の汚れがスッカリ無くなったら、仏です。

 地獄の人の色眼鏡は、厚いタールのような汚れで真っ黒なのです。愛の大天使が大勢の愛の天使を引き連れて、色眼鏡の汚れを拭いてあげようとすると、それがえんま大王や鬼のすがたに見えるのです。
 湯舟に入れて洗ってあげようとすると、熱鉄の何千度というゆで釜に見えるのです。

 餓飢の人は熱砂の砂漠を、一滴の水を求めて、何万年以上もさまよい続けているような状態です。愛の天使がどんなご馳走を持って行っても、熱い炎にしか感じられないのです。
 積み重ねたマイナスの思いを消し去ってもらう以外に、救われの道は無いのです。縁者の祈りによって、光を与え続けてもらうしか方法は無いのです。

 お釈迦さまの弟子の目蓮尊者が、自分の母親が餓飢道に落ちて苦しんでいるのを見て、どうすれば救うことができるのかをお釈迦さまに尋ねたら、お祈りのできる大勢のお坊さんを供養して、その力を借りなさいと教えているのです。お釈迦さまの強烈な大きい光で救うことは可能であっても、その時の苦痛は大きいのです。それよりも大勢の柔らかい様々な光のシャワーを浴びせることによって、業想念を消し去ってもらうほうが、はるかにその苦痛は少なくなるのです。
 
 だからこそ、大勢の人の祈りを総結集して、与えてゆくのが、苦痛少なく救いあげる一番の方法なのです。
 真(まこと)の神さまの強烈な光を直接に浴びせたら、耐え難い苦痛を伴うのです。
 真(まこと)の神さまの光をみんなを通して柔らかい光に変えて、それを一つに束ねて大きい光を与えてゆくということが、地獄や餓飢道に落ちている人を救う為には必要なのです。

護摩木を書くということ

 日々瞬々刻々、真祈りを祈って護摩木に「ありがとうございます」と書き加えていくことで、沢山の祈りが護摩木に込められます。

 自分一人だけが書いているわけではなく、背後の大勢の神々さまや縁者が、護摩木を書かせて下さり、一緒に祈りを込めて下さっています。

 縁者というのは、現世での親類・知人・友人だけではありません。
あの世の過去世からの縁者だけではなく、守護霊や守護神、救済の神々さまも縁者であり、すべてを含めると数十万人以上になるのです。

 たった1枚の護摩木に、数え切れないほど大勢の方々の祈りが込められるのです。

 また護摩木を介して、縁者の分も思いも全部一ヶ所に引き寄せて、一挙に消してもらい、大きな光を送ってもらうことによって、みんなの本心がどんどん目覚めるようになってゆきます。
そのようにして全ての縁者を介して、世界中の隅々にまで光りが振りまかれてゆきます。

 ですから護摩木を書く人は、神さまの光を受けて、みんなに光を通すという大切な役目を果たします。

 真祈りを祈り、護摩木を書くということは、一番大切な神さまへの、最大・最高の恩返しであり、お手伝いになるのです。






祈りの相乗効果

 真祈りを祈る人が一堂に会して、心を一つに真剣に祈る時、入れ子構造的無限倍の相乗効果が生まれて、大奇蹟を起こす大きな力となって、全世界へ、全方向へと拡大されて、放射されます。

 一万人の真祈りを結集すれば、その強烈な光によって、みんなの本心が加速度的に目覚めてゆき、みんなが神様への恩返し、お手伝いに生きるようになるのです。
 そうなれば、たちまち地球に完全な平和と調和が訪れるのです。
 真祈りを祈る人が少なくとも一万人必要です。


祈り人の養成

 神さまが祈り人を育てる

 人はそれぞれに違う波長を持っているので、それぞれに波長の合う縁者同志で繋がっています。すべての世界、すべての人々を救うためには、様々な波長を持つみなさん一人一人が、神さまの光を通す媒介として必要なのです。
 神さまは真祈りを祈る人を育て上げて、その人を通して波長の合うすべての縁者に、光を注いで救い上げてゆかれます。
 真祈りを祈る人を通して、すべての人々が真(まこと)の神さまにまで一つに繋がれば、世界中すみずみにまで光が生き届き、みんなが救われて、完全な平和が実現するのです。

 ですから神さまは一人でも多くの方々が護摩に参加して下さることを切に願っておられるのです。

  護摩焚きは祈り人を養成する場

 ありがとうございます護摩は、祈り人を養成する為の場です。
 沢山の高級神霊が結集し、清め(浄め)の光が、大光明燦然と降り注いでいるのです。
 業想念を消し去って(浄め)、感謝の心を引き出して(清め)、
本心=真(まこと)の神さま=真(まこと)の自分の自覚を与えてくれるのです。

 神さまへの感謝と奉仕が、祈り人養成の為の柱になるのです。

 ありがとうございます護摩は、神さまに奉仕して、本心開発という、大きな助けを受ける為の場なのです。

 1日も早く、一人でも多く、祈り人を生み出し続けてゆくことが、神さまの一番の願いなのです。
 その為に必要な種々様々なことを、真剣に奉仕して果たしてゆくことが、今最も大切なことなのです。
 世界を平和にする為に、感謝の真祈りに生きる祈り人が、本当に必要とされているのです。

 自分のすべてを与え尽くす、真剣な心で祈ることが、奉仕の祈りになるのです。祈りで奉仕する為には、もっともっと真剣にならなければならないのです。









本当の神さまのお手伝いとは

 神様の立場に立って、神さまのごとくに、神さまに代わって真(まこと)のプラスを与えに与え尽くしてゆくというのが、これからの真(まこと)の生き方です。

 地球の平和を、万類の幸せを実現することが、神さまの願いです。
 みんなが真祈りを祈れるようになることは、神さまの一番の願いです。その願いを実現する為に、全力を尽くしてお手伝いするということは、神さまへの最高の恩返しであり、最高のお手伝いになるのです。

 神さまのお手伝いに生きられる人は、すでに大きく救われているのです。神さまのお手伝いに生きる人を殖やしてゆくということは、大きく救われた人を、無限に幸せな人を殖やしてゆくことなのです。
神さまの御用に使ってもらえた人が、大きく輝き、無限の幸せが湧き出てくるのです。

 神さまは1人でも多くの人に、神さまのお手伝いに生きる喜びを、本当の無限の無限の喜びを味わって欲しいのです。

 真(まこと)の神さまの世界では、新たなる無限の無限の最高のプラスを、与え尽しあい、捧げ尽しあい、本当に支え合って、みんなが一つになっているのです。

 神さまと一緒に、みんなと一緒に支え合い、与え尽しあい、喜びを分かち合いながら、神さまのお手伝いの輪を広げてゆくこと、神さまのお手伝いのチャンスを一人でも多くの人に与えてゆくことが大事なのです。






ひな型の投影

 宇宙の仕組み・構造は、無限に小さなものから無限に大きなものまで、相似形の姿をとった入れ子構造なのです。
 そして世界で一番光の強い所が、救済の入れ子構造の中心・ひな型となるのです。

 その役目は、
  1.理想の姿を中心の強い光によって外界へ投影すること
  2.外界の姿をひな型に逆移入して、中心の強い光で浄める(マイナスを消し去る)ことです。

 ひな型の中心から出る光は、不透明な光では、まだまだ本物ではないのです。透明感のある光になって、さらに、無色透明の強烈な光になったときが本物です。
 真祈りを、ただひたすらに祈り続けていれば、必ず無色透明の光が輝き出てくるのです。

 真祈りを祈りに祈るところが、真(まこと)のひな型となるのです。
 真祈りを祈る人が殖えて、ひな型が大きくなるほど、力のある大きな働きができるのです。
 真祈りを祈りに祈る人が、無色透明の光を放射する人が、1万人以上になれば、最高理想のひな型の完成です。そうなれば、地球人類の浄めも、地球の完成もすぐに実現するのです。

 地球人類のための、ひな型作りのお手伝いをする人は、真祈りを祈りに祈って、真(まこと)の神さまとしての自覚を深めてゆくことが大きな役目なのです。





 神さまの世界の支え合い、与え尽し合いが、本当の理想のお手本であり、ひな型です。支え合い、与え尽し合う姿をひな型にして、大きな光で放射して投影し、全世界に広げるのです。

 みんなが仲よく支えあって、一つの大きい働きになっている相象をもってきたら、護摩焚きの大きい光が、それを世界に広げるのです。支え合い、本当のプラスの与え尽くし合いになったら、世界はすぐに平和になるのです。

 真祈りを祈れる人が、ひな型作りに参加して下されば、真祈りを祈れる人が加速度的に増えるのです。
 世界中に神さまへの感謝と奉仕に生きる人を増やす為にも、一人でも多くの人が、「ありがとうございます護摩」に参加して下さることを切願しています。






護摩の開催日

4月・8月・12月の第一日曜日(予定)

諸事情により予告なく変更になる場合が
ありますので、事前にお問い合わせください。




奉 納

 これからのありがとうございます護摩の奉納は、
 護摩焚きの変化にともない、神さまに捧げ尽くす奉納から、神さまの側に立って、支え合い・助け合いの相象をとった、真(まこと)のプラスを無限に無限に一杯!与え尽してゆくという真(まこと)の奉納に変化します。

 種々様々な理想のひな型を用意して、護摩焚きの大きな光で世界に投影してゆくことが必要です。

  例えば、

① 屋台で食事を奉納すれば、
餓飢状態にある人々を潤すことができるのです。

② 演武を奉納すれば、
争いを治め、戦争をしている国が平和になるのです。

③ 本物の演芸を奉納すれば、
見るだけ・聞くだけで、世界の人々の心が澄み清まるのです。

④ プラスの歌や踊りを奉納すれば、
世界が喜びの讃歌を歌い、喜びの舞踏を踊り、湧き上がる喜びで一杯に成るのです。

⑤ 綺麗な・可愛らしい花を奉納すれば、
心をなごませ、幸せ一杯になるのです。
⑥ プラスの表現を奉納すれば、
すべてのものが調和し、無限の無限の輝きが一杯に成るのです。

⑦ 真(まこと)の祈りを奉納すれば、
入れ子構造的無限倍の祈りが世界に広がり、真(まこと)の祈りを捧げ尽す祈り人が殖えてゆくのです。

⑧ 贈り物・プレゼントを用意すれば、
世界中の人々に贈り物が届くようになるのです。





 本当に必要な最高のものを、的確に与え尽してゆくという真(まこと)の神さまの愛の働き・一大循環の相象を発伸してゆきたいと思います。
 内容を常に、新たに新たに変化させ、世界に発伸したい本物を奉納してゆきましょう!

 真(まこと)の神さまと一体の自分になって、適材適所に総責任者として、大きく全体を支え、全体から支えられ、助け合う真(まこと)のお手伝いをさせていただきましょう!








護摩焚き体験談
( 多くの体験談を送っていただきありがとうございます。割愛させて頂いている部分もあります。ご了承ください。)

○ ありがとうございます護摩に出会う前の私は、本当の自分を求めて求めて、本物の神さまを求めて求めて、さまよい続けていました。
 その頃の私は、この肉体に真っ黒なネバネバしたタールのようなものに覆われているような感覚で毎日を生きていました。暗く重たいマイナスの思いです。これをどうにかして取り去りたい。輝く自分になりたい。本当の自分に戻りたい。でも手段も判らず、もがき苦しんでいました。
 ありがとうございます護摩に出会い、ありがとうございます、と何回も唱え、護摩木を書いている内に、少しずつ、自分の周りにあったものが、ほころび始めました。今まで何をしても消えなかったものが消え出したのです。

 ありがとうございます護摩に参加した時には、ただただ訳も判らず涙が滝のように溢れ出し、とどまる所を知りません。
 そして、心の底からえも言われぬ喜び、感謝が湧き上がってきたのです。それは本当に不思議な体験でした。こんな私でも、多くの人に支えられ、多くの神さまに導かれ、愛され生かされていた、ということに気づかされた一瞬でした。
 ありがとうございます護摩に参加した後、私の周りを覆っていたものはすっかり消え去り、身軽になりました。そして更に、ふつふつと喜びや、幸せや、愛が湧き上がり、何とも言えない幸福感に包まれる時を持つようになりました。
 今は、与えて与えて与え尽くす自分に早く戻り、真(まこと)の神さまへの恩返しができるよう、ありがとうございます護摩に参加させて頂きます。


○ 護摩に参加し始めてから約10年間、本当に涙が出るほど辛いことが沢山あった。「なぜ自分ばかりがこんな目に?」と思っていたが、それは短期間にカルマの返済をさせてもらったのだと気付くようになった。


○ 自分が過去世で積み上げてきた想念を表層意識に昇らせて見せてもらった。あまりの凄まじさに、気が遠くなりそうだった。一人の分だけでこれだけ凄まじいのだから、世界全人類のカルマを集めたら、とんでもない量だろうと思った。
この世界を平和にするには、このような場で大きく清めてもらうことが、絶対に必要だと感じた。
○ 護摩焚き終了後、周囲で起こっていることが、まるで別世界のように感じられ、スローモーションのように見えた。
周囲で騒いでいる大声も全く耳に入らない程静寂の世界に入ってしまいました。半日ほど続きました。


○ 以前は自分が無気力で無能で何をやってもダメだと思っていましたが、お祈りをすると、不思議とやる気や楽しむ氣持ちが湧いてきて、体中にエネルギーがみなぎるようになりました。
そう続けていくうち、なんにでも挑戦してみるようになり、色々な方面での能力が飛躍的に向上しました。
自分に対する過小評価と自己限定がはがれ落ちて、本来の自分は何だってできるんだという気付きが起きました。自信が持てるようになった。
そして今は本当の自分は「神であり全知全能な存在なのでは?」と思います。


○ 護摩焚きには何度となく参加させていただいています。
必ず携帯電話のカメラやデジカメでメラメラ燃え上がる炎を映します。夜に焚く護摩の時には決まって美しい紫や青の不思議な光が映るのです。形も天
 から一筋の光となって一直線に降りてきたかと思うと、今度は円を描いていたり、本当に清々しく面白い体験です。
肉眼では見えないのにカメラでは動画も静止画にも映るのがとても不思議で「ありがとうございます」の神さまそのものなのだと実感させてもらいます。
 
 当初は護摩の日が近づいてきたら慌てて一週間くらいかけて毎日一時間程度書きしたためていったのです。
 しかし今は、護摩の日に関係なく、とにかく毎日毎日、その日に唱えた「ありがとうございます」を全部乗っける「ありがとうございます」を就寝前にいくつかの護摩木に書いています。それがとても楽しくて一日の終わりの良い時間となりお祈りの締めくくりとなっています。本当に感謝一杯です。
 
 最近「新たなる」新しい、そして「無限の無限の」無限だけでも限りなく大きく不思議であるのに、無限×無限なんだ、何て凄いんだ、そして無限の無限の愛・喜び・幸せが、さらに無限に無限に一杯、何と凄いこれは宇宙そのもの、いや宇宙以上に凄い、これが神というものか、そしてそれを唱えささていただけるなんて、なんと幸せなことなんだ。言葉通りに宇宙大の、いやもっと大きな幸せや喜びをいただいているんだと感じられる時間がやってくるようになりました。
 
「真(まこと)の神さまは一大循環の相象で・・・厳然と今ここに・・・」そう今ここに在します、いらっしゃるんだ、そうここが神さまの懐なんだ、そして私が真(まこと)の神さまそのもの、というそこはかとない感覚がやってくるようになったのです。これ以上の幸せも喜びも存在するはずがない、こんなすごい真言を唱えられる、それが幸せというものだとわかったのです。そんな感覚と共に今日も護摩木に5つの「ありがとうございます」を書かせていただきました。
   幸せ、本当に幸せです。このご恩返しをするために、これからの命を力いっぱい使っていただこうと決意しています。
 新たなる無限の無限の感謝が無限に無限に一杯、ありがとうございます。


○ あまりのシンプルさにびっくり。又、護摩焚きに必要なのは見た目の格好良さや、作法ではないことを知りました。
参加することによって、神さまと直接つながる、ということを確信しました。
最初の頃は、自分の願いばかりの求める護摩焚きだったのですが、これまでに沢山の思いを消して頂き、ただただ、真(まこと)の神さまにありがとうございます
 を捧げる自分に成長させて頂いています。


○ 心が軽くなりました。ありがとうございます。


○ 真剣に祈っては書きためた護摩木を奉納した。
護摩中、涙が溢れた。神さまは私が気付こうと気付くまいと、護りに護り、導いてくれていることに気づいた。ただただ、ひたすらに恩返しに徹したい。
真(まこと)の恩返しが出来る自分でありたいと思った。


○ 初めて、先生にお会いした時、まったくさざ波のない静かな水面がイメージとして顕れました。そして、ずっと求めてきた師はこの方しかない、と直感したのです。
それから、定期的に通うようになりましたが、始めの頃は、体力的にも精神的にも、奉仕作業が辛くてたまらなく、逃げ出したい思いに駆られていまし
たが、護摩焚きの度にそんな思いも消して頂き、助け、導いて頂き、さらに護って、教えて頂いて10年経った現在では、奉仕作業させて頂くことの有り難さと大切さを心から感じています。これからは、神さまの側に立って一大循環の流れの中に入って神さまに使って頂きながら恩返しさせて頂く決意です。


○ 普段の仕事でも奉仕作業でも、明らかに自分の力だけではなく、蔭からサポート頂いているというのがわかります。
  神さまが自分を通して働いて下さっていると実感することが多くなりました。ありがたいです。


○ 先生にご縁を頂き、言葉でその人の現実を作っているので、運命は決まっていない、誰でも今すぐに変われるという凄いことを教えて頂きました。
  真(まこと)の神さまと出会え、真実の幸せ・喜び・愛・感謝を知りました。これからは真(まこと)の神さまのお手伝いに生きます。


○ 何ヶ月も続いた病気で、人に会うこともあまりなく、現実に目を向ける状態からはなれて、先生のお話CDと祈り言葉のみの生活が続いた。お陰様で、真実の世界がとても身近に感じることが出来た。これも、神様の深い深い愛の証だと思うことができる。


○ 以前の私は、見た目には何ひとつ不自由なく暮らしていましたが、いいようのない虚無感が心に巣くっており、数々のセミナー、タイのお坊さんを訪ねたり、宗教に入団したりしました。でも心の奥で「何かが違う」と呟くのです。そんな時、護摩焚きに参加させて頂いたのですが、お祈りされている先生の姿を拝見した時、私の師は「ありがとうございます先生だ!」と直感して涙が止まらなくなりました。
そして、お祈りをしていると心にひっかかっていたものがスーッと消えて真っ白になったような清々しさを感じ宇宙と一体になれたような不思議な感覚
 になりました。それからもずっと毎日幸せ一杯の自分に生まれ変わったのです。


○ 参加させて頂き次第に、"神は愛なり"を確信できるようになりました。私たちがいかに神さまに愛されてきたか、どれ程完璧な護りの中で生かされてきたかに気付きました。又、先生の姿を通して、見えない世界では大歓喜で湧き立っていることを感じました。

○ 護摩焚き当日から強い痛みと共に高熱が続き、数日間入院したのですが、治った頃には有り難くて、とても喜べました。
  先生からも「護摩焚きの大きな光によって、過去のマイナスを大きく消してもらった」と教えて頂きました。


○ 護摩木を書いている時に大きな気づきを沢山頂きました。
どれ程神さまの導き、護りが大きなものかを実感し、身体が感謝の気持ちでうちふるえ、波が溢れました。


○ 少し以前、小冊子を配布しに行った時のことです。
ある神社が霊的に大きな意味があると人に聞いたので一人で細い道を車で分け入って、目的の神社を探し当てました。拝殿に小冊子を数十冊置いて、ご
 自由にお持ち帰りくださいとメモ書きをし、そして拝殿に上がって前に座り、ありがとうございますのお祈りを始めました。
その途端にマイナス(気持ち悪い恐ろしいような目に見えないもの)が四方八方から矢のように襲いかかってきました。神社なので人々が願をかけたり
した思いが溜まっていたのでしょうか。恐ろしいので隙を見せないようにして、ありがとうございますのお祈りを初めて20~30分位経った頃には、マイナスの矢は全く感じなくなりました。神さまが消して下さったことをはっきり感じられた貴重な体験でした。


○ 護摩焚き・お祈りの変化・体験
1.「ありがとうございます」を言っているだけで生きている人がいるという話しを初めて耳にした時、不思議に思って疑った。
2.初めて「ありがとうございます」だけを護摩木に書いて燃やしたら、ありがとうございます炎が上がるかもね?という話を聞いた時、おもしろそう
   だと思ったけど、ただそれだけ...
3.10回記念「親王祭」の時に護摩焚きがあると聞いたけど、夜中だったので参加しなかった。
4.神社で絵馬の横に護摩木が売っているのを見たことがあったけど、買ってまで願い事を書くことがなかったので、ただそれだけだった。
5.初めてステージでありがとう護摩焚きを見た時、密教のいろいろなしきたりをしていたので傍観者になっていた。
6.友だちが毎朝お寺に行って護摩焚きをしているというので、一度だけ参加した(無料だった?)いろいろな作法があって僧侶が忙しそうに見えた。
7.護摩木の書き方が「誰とも話もせず、一氣に一面ありがとうございますで埋め尽くす」という方法を楽しんで書いた。
8.護摩木の書き方が「10回ありがとうございますを言って、1回書く」という方法に変わって、すごい速さでありがとうございますを心の中で唱える
   ようになった。
9.ありがとうございます護摩焚きを先生が行うようになった時、護摩木を火の中に投げ入れさせてもらえて、嬉しく参加できた。
10.他の宗教の集まり(大祭)の時はいつでも快晴なのに、ありがとうございます護摩焚きは「雨」になることが、ありがとうございます神さまと他の
   神さまとの違いだと思っていた。(本物の神さまは厳しいという意識が身についたきっかけ?)
  11.ありがとうございます護摩焚きのステージがすがすがしいような...氣持ちがいいのが感じられるようになってきて、参加するのが楽しみになって
   来た。
  12.護摩木の書き方が「天照大神今ここに在します...」に変わって、天照大神さまという光の螺旋が見えたらいいなぁという興味が出てきた。
  13.入れ子構造に興味が出てきたら、ガードレールや車を通して入れ子構造を空想したり理解できるようになった。
  14.虚の神さまが存在している話を聞いた時、初めは理解できなかったけど興味は持てた。
  15.真実の世界と虚の世界の区別・真(まこと)の神さまと虚の神さま・真実の話と虚の話をサニワにすることに興味が出てきた。
  16.言葉通りに体調が反応したり、感情や出来事が現れることを実感するようになった。
  17.奉仕作業に参加することによって、自分では知らなかった...体力や力などすべての面で「自分は劣っている」と理解して、卑下したり悲観したり
   していたけど、一生懸命ありがとうございますと心の中でいうことを目的にしたら、作業への参加を続けられた。
  18.自分は働く習慣が身についていないという事実に氣がついたけど、そのお蔭で、肉体を動かしてくれているのは100%神さまだということが実感
   できた。
  19.「総責任者になる」という話を勉強会で聞いて、日常の生活の中で、自分なりの理解している総責任者の真似をしようとすると同時に、総責任者
   とは?総責任者だったらどうするか?などを常に意識するようになった。
  20.護摩焚きの時に「天照大御神さまが下りてくれた」と聞いて、次の護摩焚きの日までに書く護摩木の枚数を増やすようになった。
  21.山の奉仕作業でテープ巻きというのをさせてもらった時に、それが螺旋構造の循環の姿を現していたので、初めて山の作業が楽しいと感じた。
  22.自分の呼び名をどんどん変えるたびに新しい自分になっていく実感をした。
  23.「重層構造で天照大御神さまが下りてきてくれる」という護摩焚きを楽しみにして、その後表面の・平面の重層構造だけど空想するようになった。
  24.徐々に、天照大御神さまの重なり合う姿を、密集している光の明るさを想像するようになった。
  25.重層構造の天照大御神さまが奥に入れ子構造になっているという先生のお話が聞こえるようになった時、真(まこと)の神さまの凄さを感じた。
  26.重層構造の次の天照大御神さまは、どんな姿で下りてくるのか?すごく楽しみに護摩焚きの日を心待ちするようになった。
  27.護摩木の書き方が「真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)で厳然と今ここに在します...」に変わったのが、意味がわからなかったけど、変化・
   深化している感じがして嬉しかった。
  
  
○ その他
※ 真実の世界と虚の世界の違いがはっきりしてきた。
※ 真(まこと)の神さまと真(まこと)の神さまの相象が違うことをわからせてもらった。
※ 一大循環の相象の中に入ることを意識するようになった。
※ 入れ子構造の一段大きくなるごとに、本物の次元の変化・違いがあることを知った。同時に、自分の見えている世界のすべてが同次元であること
 を理解した。
※ 一瞬ごとに思いの心を選ぶか、感謝の心を選ぶか選択することを意識できるようになった。
※ 一瞬ごとに過去の話をしているのか、今新たに真(まこと)の神さまを選ぼうとするのか...自分の言葉を区別する心が出てきた。
※ 毎回護摩焚きの前は、真実を選びたい心と反対の虚の世界を掴んで離せない心が大波を立てて、その葛藤で悩み苦しむことが多いけど、護摩焚き
 を越えると必ず葛藤する心が消えている。
※ 護摩焚きを越えるごとに、真実の世界の言葉(本当のプラス言葉)が選びやすくなる。
※ 護摩焚きの前でも、だんだんとマイナスの波がたたずに毎日を過ごせるようになってきているので、思いを消してもらっていることを実感している。
※ ひとつの出来事に心を奪われることがあっても、言葉選びができるようになってきたら、掴んでいる言葉が手放せるので瞬間に思いが消える体験を
 させてもらっている。
※ 真(まこと)のプラス言葉が選べるようになってきたら、出来事・耳にした言葉などすべて真(まこと)の神さまのお蔭だと解釈しやすくなった。
※ 「100%真(まこと)の神さまのお蔭」の中身が、表面に現れる見えること・聞こえること・出来事だけではなく、心の奥深く・何億年分のすべての言葉を変化
 させること・思いを消してくれていることなど、目に見えない真(まこと)の神さまの働きに氣づかせてもらえるように変えてもらっていることが実感できた。
※ 一大循環の中で入れ子構造の(光源の)天照大御神さまたちがしてくれている働きに興味を持った。
※ 光源の天照大御神さまと、末端の最小単位の天照大御神さまの作り出してくれている番組(光)の違いを聞きわけることができた。
※ 番組という言葉の中身が、相と象と模型のそれぞれが無限にあることをわからせてもらった。
※ 真実の世界の中でも、実在する本物とそれを表現しているものとの違いがあることが想像できた。
※ 虚の自分の頭でものを考えると(有限の発想)、すべてを固定して・物質化して・時間の経過を掴んたものが浮かび出てくることが実感できた。
真実の考え方はすべてが無限で・動いている・変化している・今だけのものだということが、はっきり分けられるようになった。
※ 虚の自分で生きていると「求める心」になって、本心の自分で生きようとすると「我を消そうとする心」が働くことを体験した。
※ 永遠の自分を受け入れることに抵抗を感じた時があったけど、「本心の自分の16項目」を一日中繰り返し聞いて、お祈りする時に必ず唱えるよう
 にしていたら、永遠に生き続けて・今のような体験勉強を続けていくことが生きることだと受け入れられるようになった。
※ 勉強とは「真(まこと)の神さまへの信を強めていくために用意してもらっている課題をクリアしていくこと」だと理解したら、言葉選びの訓練が楽しくなっ
 た。
※ 与えることを意識しながら日常生活を過ごしていたら、求める心がたくさん浮かび上がってきて、与える心と求める心の区別がつくようになった。
※ 自分の努力で心が変化していると思いがちだったけど、本当はすべて真(まこと)の神さまへの恩返しのお手伝いをしている守護霊・守護神(共に複数の副守
 護霊・神を含む)さま・救済の神さま・虚の世界の高級神霊さま・真実の世界の入れ子構造の天照大神さまが真(まこと)の神さまの御心にそって働いてくれて
 いたお蔭ということを実感した。けど、すぐに虚栄心で「自分の力だ!」といいたくなってしまうから、「100%真(まこと)の神さまのお蔭だけ!」という言葉
 を繰り返す言葉選びをする必要があった。
※ 虚栄心と戦うことができるのも、真(まこと)の神さまの支えがあるから「落ちないからできるのだ」ということがわかった。
※ 「全体を見る」とか「最後までやる」ということで責任をとる練習をしてきたと思っていたけど、「全体とか最後」をどこまでと決めるかが自由で
 それはどこまでも大きくもできるけど、まずは「自分で決める習慣を身につける」ことが必要だということを教えてもらった。
※ 本心の自分で生きるまねごとをしようとするだけでも、言葉の中の言葉までも言葉選びの訓練が必要なことを実感した。
※ 一大循環の中で過ごすために必要な訓練の細かさ・厳しさ・真剣さを知れば知るほど、真(まこと)の神さまが譲歩してくれている優しさを実感できる。
 (恩返しの生き方に切り替えることを望めるのも、実行できるのも、真(まこと)の神さま直々の助けが真横に入ってきている今だけのチャンスだということ
 を身に染みて感じる)
※ 虚の世界での何億年もの間、自分の使う言葉で世界をどんどん大きく作り出して・どんどんはまって、さまよっていたことが実感できるようになっ
 た。
※ 自分の言葉で作り出した暗黒の闇(桎梏の自覚はあるような氣もするけど、まだまだ明るいよといわれそうで...現時点では言い切れないので...)
の中にいた自分が、どうやって神さまの光を見つけて・それに向かって歩き始められたのかが、すべて神々さまの具体的な働きのお蔭だったというお話を受け入れられたことで納得した。
※ 着々と毎日真(まこと)の神さまが課題をくれて、クリアさせてくれて、本心の目覚め・自覚から、本心で生きる練習をさせてくれて、このまま真(まこと)の神さまの
 自覚まで後押ししてくれることを確信している。
※ 真実の世界に生きるために、一時期は虚の世界を完全無視する練習をさせてくれて、さらに、真(まこと)の神さまの立場からのお祈りの練習を課題にしてく
 れることで、不動明王という言葉の理解ができた。
※ 与える立場に立つ練習(言葉選び)をしていたら、全択するという感覚が味わえるようになってきた。
※ 真(まこと)の神さまの立場に立って与えるありがとうございますに変わってから、気づいたことを言葉にしている時の話の内容や言葉遣いが変化してきてい
 る。
※ 自分の記憶の中に過去世でのあらゆる神さまが存在していることを自覚させてもらった時、初めて「ホントの・真実の・本物の・最高の・真(まこと)の神
 さま」という言葉の意味とその言葉を繰り返すことの必要性を実感した。
※ 護摩焚きの日の必要性・価値は高まっても、以前のような「そこから神さまの光を・助けを求める」氣持ちはなくなって、淡々とその日を迎え、
 日常と変わらずその時間を過ごすようになった。
※ 神さまに波を合わせてもらう段階から、神さまに波を合わせようと意識する生き方(言葉選び)をすることによって、神さまへの求める氣持ちが
 いつの間にか消えていた。
※ 神さまの御心を先生の言動から観察して・あれこれ絶対奉仕の基準を試してみて...真(まこと)の神さまを自分がどうとらえているかに氣づかせてもらった。
※ 真(まこと)の神さまを真(まこと)のプラスだけ・無限に無限に愛深い・的確に与え尽すだけの愛の存在だと受け入れることができた時、厳しいと感じていた真(まこと)の神
 さまの真剣さが優しさに変わった。
※ 真(まこと)の神さまの働きを具体的に実感する心に比例して、ありがとうございますの言葉の価値がどこまでも高まる。
※ ありがとうございますが感謝・受け身の言葉から、実在する(止まることなく流れ続けて循環する)真(まこと)の神さまの働きへと変化してきている。
(循環の実感が、まだ現在は薄いことが今感じられた)
※ 「一寸の間違いもなく助けられてきている自分」を実感した時、虚の世界のすべてが消える(問題が解決する)という確信がもてた。
※ 真(まこと)の神さまの立場に立ったお祈りを言葉にするようになった時だからこそ「虚の世界の問題」に意識を向けて、的確な答えの出し方の勉強・練習を
 させてくれる真(まこと)の神さまの「必要なだけの的確な愛の与え方」に感動できた。
※ 「必要なだけが十分の一!?」というお話に、すごく興味を持った。それを常に意識するようにした。
※ 初めは頭で判断する「必要なだけ」だったのが、だんだんと「これが必要なだけなのかな?」という感覚が出てきて、このまま全択してありがとう
 ございますになり切れた時に「必要なだけになっている」のだろうという感じになってきていて、余計なことを考えなくなってきている。
  ※ この世的に人様にマイナスに受け取られるのではないかな?と思う自分の振る舞い...以前なら自己否定の思考をたどるような出来事があっても、
  感情が動かないという不思議な感覚になってきている。
 ※ 感情が動かない(波が立っていない感じ)ことが「プラスが流れているだけ」という言葉で納得できた。
 ※ 霊力というものをマイナスに見ていた自分に氣がついて、本当は、本物の神霊力が必要だったことを受け入れることができた。そしたら、五感六感の
  存在だけでなく、真実の世界のすべて・虚の世界のすべての存在を自分の中に持つ真(まこと)の神さまの感覚を空想するようになった。
 ※ 真(まこと)の神さまは「真実の世界の実在するものを受け入れていないことがそもそもの問題だ!」ということにつながる為に虚の世界を真剣に見つめる機会
  を作ってくれた。この手順に感動できた。
 ※ 虚の世界のあらゆる問題を具体的に書き出して、あらゆる波に合わせる答えを探す体験をさせてくれたことで、自分の波の許容範囲が大幅に広がった。
  (知らない・見ない・わからないから関わらない...という分野に興味を持って取り組めたことが奇跡...神さまのお蔭)
 ※ 言葉で「真実の世界のすべて・虚の世界のすべてへ...このすべてのすべてに与えつくすありがとうございます」といっていたのが、問題意識を持つこ
  とで具体的な働き・実践に変化した。
 ※ これから本当の・奥の真(まこと)の神さまのお手伝いの勉強に入ることが楽しみになった。
 ※ 肉体を使って動かしてもらっている現実の出来事と、真(まこと)の神さまのこれからの計画?がつながっていると感じられて、本物のお祈りの必要性・大切さ
  を実感させてもらっている。(大奇跡はおきる!)
 ※ 真(まこと)の神さまになりきって、本物のお祈りをすることが一番の楽しみになっている。
 ※ 今一番興味のあることは、真(まこと)の神さまの本物の力であって、これを見たいから・感じたいから本氣でお祈りに徹しようと心が定まった。
(一大奇跡への道だと確信してる)
 ※ 信仰心もなく、この世的にも楽しみのなかった自分が、ありがとうございますを心でいい続けてこれたのも、永遠に生きても楽しそうだと信じられる
 ようになったのも、護摩焚きのお蔭です!


○ 8年位前の参加しはじめの頃は、御利益的な求める心があったと思いますが、その後、毎回護摩焚きに参加させて頂くにつれて、次第に偉大なる尊厳極
 まりない真(まこと)の神さまの真実の相象に気づかせて頂くようになりました。
  真(まこと)の神さまの絶対なる愛の深さにも感涙の涙が溢れます。これからは、真(まこと)の神さまへの真(まこと)の恩返しと真(まこと)の絶対奉仕に生きることを誓います。
○ 初めは、嫌なことが起こった時に心を落ち着かせようと護摩木を書いていました。しかし、書いているうちに夢中になり、時間も随分と過ぎて、気がつ
 けば清々しい気持ちになっていました。
  護摩焚きに参加させて頂いた時も、「ありがとうございます」をただひたすら唱えていますが、そのうちに心は真っ白で何の思いもなくなり、無になりま
 す。炎が全てを昇天させてくれるかのようです。とても心地よくすっきりして生まれ変わったようです。


○ 数10年間、親を恨んでいましたが、その心の苦しみは死んだほうが良かったと、どれ程思った事かという位でした。
  それが、参加させて頂いているうちに、気がつけば消えていたのです。


○ 3年前、職場の人間関係に疲れ、心身共にボロボロになり、自分の気持ちをコントロールすることが出来なくなり、何でもいいから縋りたかった、
 何かを求めていました。そんな時、護摩焚きに参加させて頂きました。沢山の護摩木が焚かれているのを見た時に、なぜか心がホーッとした思いは覚えていますが、皆の幸せにつながると教えて頂き、「あぁ私の求めていたのはこの真(まこと)の神さま、ありがとうございますだったんだ」ってワクワクしました。
  今は真(まこと)の神さまに出会えるきっかけを作ってくれた職場の方にも心から感謝できる自分がいます。


○ 数日前、イライラ気持ちが落ち着かなかった。終了後、すっかり落ち着いていた。これも驚き、有り難いことです。


○ 初めて護摩焚きに参加させて頂いた時、内容はまったくわからないのに遠足に行く子供のように胸は高鳴りワクワクして参加させて頂いた事を思い出し
 ます。ありがとう村に到着して車から降りた途端、都会の空気とはまったく違い清々しく、また懐かしさを感じ、思わず涙が出そうになりました。

  当日は雨が降っていて、この雨の中で本当に火は消えないのだろうかと心配しましたが、力強く高々と燃える炎を見て「神さま!神さまなんや!」と子
 供が母親の元にやっと帰ってきた時のような感動を覚え、なぜそういう気持ちになったのか不思議でした。
 その頃の私は「神さまって何ですか?」と言う感じでしたが、今思うとちゃんと奥の奥では全てを知っていて、神さまは絶妙なタイミングで、護摩焚きに参加させて頂いたのだと思います。護摩焚きが終わる頃には雨も上がり、木々の葉に付いている雨の滴はキラキラといろんな色に輝きその美しさは今でも忘れません。ありがとうございます。
○ 護摩木を書くことで、自分にとって最も嫌いな人の良いところを沢山見つける事ができた。それ迄、その人へ心を向ける事は、とても苦しく、死にたい
気持ちにすらなったのに、泣きながらでも、ついに出来たのだ。さらに、その良いところを手紙に書いた。そうしているうちにこれ迄と違い、感謝を込めてその人に接する事ができるようになった。護摩木を書いて護摩焚きに参加することによって、お祈りの力を信じることが出来るようになりました。
  全てがプラス、絶対的プラスの愛の世界で生きられるようになりました。


○ 護摩焚きが近づくにつれて、心の中に過去の苦しかった事や悲しかったこと、後悔・未練・妬み・憎しみ・怒り等のたくさんの否定的感情が次から次か
 ら浮かんで来て、心がいっぱいになって苦しい事がよくありました。
  そんな状態で人に会ったりすると人の後ろに黒い塊が見えたりして辛くなり、人に会うのも避けるようになりました。

  私はたいていいつも護摩が行われている間は、ステージから4キロ程離れたありがとう村に残って、ひとりポツンと座っていました。
  護摩が始まる頃になると、シーンという静寂とホワッとした静かなやさしい空気がやってきてそれに包まれました。
  それがやって来ると心の中にいっぱいだった苦しみがパッと消えて、すごく安らかな満たされた気持ちになるのです。
  護摩が終わって帰って来る人々を眺めると、黒い塊は全く見えなくなっていました。皆キラキラと光りに包まれているように見えました。
  それどころか皆さんの背後の存在がもの凄く喜んでいて、その波が私の心に移ってきたので私の心も喜び一杯になりました。

  毎回の護摩の度に、慈悲深い神さまが私の心の内側から光を流し込んで働きかけて、溜まった汚れを表に出しそれを清め続け、消し続けてくださってい
 たのだと、9年という長い年月を通してようやく理解することができました。とても地道で忍耐を要する長い長い日々でした。
  しかし2012年の12月の護摩で私の心境に大きな変化がありました。
  それまでただ辛いだけであった気持ちが全く出てこないで喜びが心の奥底からパーッと溢れ出てくるのです。
  「神として生きよう」心の中からそんな言葉が湧き上がってきました。「神なる自分を生きるんだ」本当にそう思いました。今もそうです、
  以来何を見ても聞いてもさほど気にならなくなったのでとても楽になりました。


○ 護摩木を書くようになってから、どんなに辛くても、神さまがおそばにいる。神さまを求めて彷徨う生き方ではなく、神さまが感じられるような生き方
 がしたいと思うようになりました。


○ 祈りの時間が増え、一日一万回以上唱えることができるようになりました。


○ 言葉の現実化を確信できるようになりました。しかもすぐに実現します。


○ 長年、悩んでいた苦手な上司との人間関係が良くなり、その方から仕事面の協力、サポートを沢山頂けるようになりました。
  又、公私両面で、良い方との出会いが増えました。


○ とても健康になり、貧血が完治したり、疲労を感じなくなったり、睡眠時間が短くても元気でいられ、又、自分だけでなく父の胃ガンも完治しました。


○ 自分の性格が生まれ変わったのです。誰にでも思いやりを持てるようになったり、いつも周りの方からサポートして頂いていると気付けるようになり感
 謝をしています。又、両親との関係もスムーズになり、上手くコミュニケーションをとれるようになりました。

○ 村に初めて行ったのは、二年前の夏の護摩焚きでした。前年の夏は「ありがとうございます」を全く知らずに、その時の自分の苦しい人生を、「なんで自
 分がこうなるの?」と起こったことの責任を、他人に向ける気持ちばかりで過ごしていました。
  その一年後にはこの護摩焚き会場で想いを巡らせ、深夜、護摩焚きが始まり、先生が見守っている中を大勢の方たちに交じって護摩木を投げ入れ、その
 大きな炎を近くで眺めていると、自分の混沌とした想いが、炎に燃え、消されていくような感覚になっていました。
  ありがとうと出会うほんの少し前までの自分とは違い、何か整理がついたような気持ちにさせていただきました。
  「ありがとうございます」に出会えた御縁に心から感謝しています。
○ 長年引きこもりだった妹が仕事に行くようになった。


○ 宗教的なものを大嫌いな父が、玄関にありがとうございますの祈願柱をだまって置くようになった。


○ 「ありがとうございます」と一言唱えるだけで、頭のてっぺんからつま先までに霊気が走る。


○ 護摩木を書かず会場にも行かずとも、護摩焚きのことを心に思っただけで光に包まれ、喜びに満たされる。


○ 絶対に許すことができないと思っていた両親に対して理解と思いやり、感謝の気持ちが湧いてきた。


○ 何に対しても批判的で否定的なものの見方していたのが、とても前向きに楽天的に明るく考えられるようになった。


○ まじめで根暗だったけど、冗談を言って人を笑わすことができるようになった。


○ 怠けて働かない人や身勝手な人を見ると、以前はすぐ腹を立てていたが、今は「神さまの分身が私の身代わりにマイナスの姿をとってくれて、浄めてい
 ただいている姿であり、神の深い愛の働きに、ただありがたいばかりだ」と思うようになった。


○ 他人のマイナスの姿を見ても冷静に自分の姿を見ているだけだということがよく分かるようになり、心をすぐ切り替えて「すべて真(まこと)の神さま」と言える
 ようになった。


○ 自分が他人にどう思われるか、どう扱われるか、身の回りの出来事で心が煩わされることが無くなり、一人でいても人といても、幸せを感じる。
  何があってもすぐに「神さま、ありがとうございます」と唱えて楽しく上機嫌でいられるようになった。


○ 苦労したり、がんばったりしなくても、必要な物や助けが、必要な時にいとも簡単にすばやく得られるようになった。与えられるものがすべて自分にと
 って最適、最良、最高のものに感じられて全く不満が出てこない。すべての出来事に神の愛のはからいを感じるようになった。


○ 8年程前、護摩焚きに参加させていただいた最初の頃は、参加するとこの世的に良い事が起こるのではないか(いい結婚ができる)、悪いこと(病気・事
 故・怪我)が起こらないように・・・という気持ちで参加させていただいたように今振り返って思います。
  しかし毎回護摩焚きに参加させていただく回数が増えていくにつれて、知らず知らずのうちに、偉大なる尊厳極まりない、真(まこと)の神さまの真実の相象に気
 づかせていただくようになってきました。
    
  真(まこと)の神さまは何億年も前から、すべての人を救済して幸せにしたいという真剣な願いでずっとずっと待ち続けてくださっていました。
  目に見えない奥の奥でずっとずっと助け続けてくださっていました。
そしてこの護摩焚きの段階をおって、私達の波を高め続けて開催してくださっていることにも気づかせていただきました。何という大恩籠でしょうか!真(まこと)の神さまの絶対なる極まることのない愛の深さを感じ、感涙の涙が溢れます。

  真(まこと)の神さまの真剣な願いに気づかさせていただいた今、真(まこと)の神さまの無限の無限の深い愛の御心に包み込まれて生かされていただいている今、真(まこと)の神さ
 まへの真(まこと)の恩返しと真(まこと)の絶対奉仕に生きますことを誓います。


○ 仕事に関しては「ありがとうございます」を祈ってすると、考えなくてもアイディアがパッパと幾つも浮かんできて、完成図がパッと頭の中に見える。
  今まで全く経験ない困難な仕事でも、それに熟達した知恵、知識、技術、力量を持った別次元の存在からいろいろなサポートが来て、いっしょに働いて
 いる気配があり、いとも簡単にできてしまう、失敗はほとんどなく、失敗しても、楽しいとしか感じなくなった。怖れや気苦労をすることがなくなった。


○ ありがとう村にて護摩焚き開催中、上空に同時に数十機のUFOが出現し、空中で停止したまま点滅していた。その場にいた何人かが一緒に目撃した。


○ "神は愛なり"を信じられるようになった。神さまにいかに愛されていたか、完璧な護りの中で生かされているということに気付いた。
  護摩の日先生が滂沱の涙を流されていたので、見えない世界では大歓喜で湧き立っているだろうなぁと実感した。


○ 数年前の護摩焚きの事ですが、当日から強い痛みと共に高熱40度位が数日続き、腎盂腎炎になって数日間入院したのですが、治った頃には有難くとて
 も喜べました。先生からも「護摩焚きの大きな光によって過去のマイナスを大きく消してもらった」と教えて頂きました。


○ 護摩焚きを境に変化を感じる事は少ないものの、数年間というスタンスで自分の心を改めて観てみれば、何と大奇跡ばかり頂いていることか!と驚くば
 かりです。体験した事から、数十年間親を恨んでいましたが、その心の苦しみは死んだほうが良かったとどれ程思った事かという位でした。
  その苦しみが無くなっていたのです! これこそ大奇跡だと感謝してもしきれない位です。


○ お祈りがしやすくなった。借金が沢山ある。返さねばという気持ちになった。


○ 護摩木を書いている時に今までの神さまの導き・護りがとても大きなもので、有難いという思いが身体中に広がって感謝一杯になり涙が溢れてきました。


○ 初めて護摩木を手にした時はイライラしたり落ち込んだり等、嫌なことがあると心を落ち着かせようとして祈り書いていたように思います。
  しかし護摩木に向かうと夢中で祈りながら書いています。気が付くと時間が随分と過ぎ、清々しい気持ちになっています。
  護摩焚きでは「ありがとうございます」をただひたすら唱えています。心は真っ白で何の思いもありません、無です。
  護摩木を焚いている炎が、ありがとうございますが、天に昇っていくように感じます。とても心地よくすっきりして、生まれ変わったようです。
  ありがとうございます。


○ 初めて参加したのは、転職の事で悩んでいる頃だった。
  先生のお話を聞いている中で閃きが湧いてきたり、さまざまな不安が消え去って、純粋にこの職業で神さまへの恩返しに生きようという決意が湧いてき
 た。その後、勇気を出して未知の職種にチャレンジしている。不慣れな事もあるものの、良い仲間に出会えて楽しく仕事をしている毎日です。


○ 護摩焚きの最中に、UFOが沢山飛んでいるのが見えた。
  護摩焚き後の参加者のオーラが、参加前と明らかに変化しているのが分かる。キラキラして透明になっている。
  自分は参加しなかったが、参加者と会っただけで光を貰ったような気がした。


○ 何回目かの護摩焚きの時、すごくすごく長い何億年とまでは実感できませんが、真(まこと)の神さまから、助け続け導き続けて頂いてきたことを感じました。


○ 「真(まこと)の自分」と言っていたら、「今ここに・・・」が言いやすくなって、心の変化、真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)の自分だけになってきた。


○ 真(まこと)の神さまを求める生き方から、神さまを感じていきたいというようになった。


○ 護摩焚きに初めて参加させて頂いた時、多くの祈りを肌で感じたことを思い出しました。すごく感激して、涙が出ました。


○ 護摩焚きは、遙か彼方の天空から・真上から、光を巡らせてくれる感覚がある。
  とにかく、いつも終わった時、「今日も、護摩焚きに参加させてもらってよかった」という安堵感がある。
  村から帰るたびに、弟のお嫁さんの状態が良くなっているという時期があった。


○ 護摩焚きの時、自分の幻覚かもしれませんが、山の周りを沢山の神さま・霊人たちが、四方八方からどんどん集まってきて、大きな光の太柱から、光を
 受けに来ていたような気がする。


○ 護摩木を書くようになってから、どんなに辛くても、神さまがおそばにいる。神さまを求めて彷徨う生き方ではなく、神さまが感じられるような生き方
 がしたいと思うようになりました。


○ 連日、日帰り出張などをしても、疲れる事がなくなりました。


○ 私の貧血治療が、病院に通院なく完治しました。私の父の胃癌が完治しました。私の体重が生まれて初めて7kg増えました。睡眠時間が短くても体は健
 康になりました。
○ 私の職場・周りの方の仕事の効率が上がりました。周りの苦手なお客様・同僚が退職しました。10年ぶりに苦手なお客様と再会、現在はスムーズな良い
 関係になりました。


○ いつも周りの方から気づきをいただいて感謝をしています。


○ 必要なものが必要な時に手に入るようになりました。


○ 両親から頻繁に連絡が入り、コミュニケーションが良くなりました。誰にでも思いやりを持てるようになりました。性格が生まれ変わりました。


○ 目標が次々に決まりました。


○ 我を無くすことで、神通力が注がれることがよくあると思われます。例えば、友人が増したり、歌う場が増えたりすることがよくあります。護摩焚きと
 は、神通力を感じる場なのかもしれませんね。


○ 初めてありがとう村に来て、お祈りの部屋でお祈りをさせていただいた時に、自然と涙が溢れてきました。
  ありがとう村に向かっている時、特に村に近づいた時(山を登っている時)にパワーがみなぎって、力が湧いてくる感じがする。
  自分の父が亡くなって葬式の次の日にありがとう村に来させてもらって、勉強会で先生のお話を聴かせていただいている時に号泣した。感覚的には嬉し
 泣きのような感覚だった、たぶん父が喜んでいるのではないか!?と直感した。


○ 毎回毎回、護摩の10日前くらいになると、急に体調が悪くなったり、精神的にも最悪になった。霊感が強くなり、憑依現象も激しくなってきて、もう
 我慢の限界だと思ったが、すっかり良くなっている。何が起こっているのか分からないが、すごく不思議な現象です。


○ 私は護摩焚きにも参加したことはありませんが、護摩木へ、無限の無限の幸せが無限に無限に一杯!と書くことで、自分自身、幸せだと思います。

○ 本来の目的と思っていたことが違って、本当の目的に向かえるようになった。


○ 初めは、自分が楽になりたくて、マイナスを消してもらえると思って参加していました。そうすることで、もっと祈れる自分、人の為に祈れる自分にな
 れると思ってました。
  回を重ねるごとに、自分の為より、人の為に、行動出来る自分に、まずは、人の為に祈ろうと思うようになってきました。
  物質的にも、物が欲しいことが減ったし、人に与えられることはなんだろうと考えるようになりました。今まで、当たり前に思っていたことに感謝でき
 るようになりました。


○ 感謝して感謝して、毎日神さまに無限の無限のお祈りを祈らせて頂き、一日の仕事に入らせて頂いておりますと、現場に向かう途中で、車ごと崖から転
落する事故に見舞われましても、従業員の方々は(5人乗っておりました)誰一人、怪我もなく、車がひっくり返った状態で全員無事に助け出されました(冬道の為スリップした事故でした)。
  皆さん全員現場に向かい、1日の仕事を勤めさせて頂きました。このようなことは言葉で言い尽くせぬぐらい体験させて頂いております。
  未熟な未熟な私ですが、先生の仰る様に、先に先々に、神様に感謝して何事も始めさせて頂くことが、大事な事と改めて気付かせて頂きました。
  本当にありがたいことと心より感謝申し上げます。
  村へ通わせていただいておりますことも、神さまのお導きのお蔭と喜び一杯でございます。
  ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
○ 職場である学校の子供達が荒れていたが、全国の学校に神書が送られて来た際、職場である学校にも届いた頃から不思議と子供達が落ち着いて来た。


○ 一番最初は何の為に護摩焚きの参加するのかも、護摩木にどんな意味があるのかも分かりませんでした。何かとても有難い神聖なものだとは思うけれど、
 護摩焚きに行って何をすればいいのかも分からず、言われるままにただ護摩木を書いている、ただ参加しているだけのような感覚でした。
  けれど護摩焚きの回数を重ね、その度に先生のお話を聞かせて頂き、また毎週の勉強会で膨大な先生のお話、神さまの言葉を聞かせて頂くことで、決し
 て自分が何かをどうこうしたからというのではなく、護摩焚きという神さまの行事や、先生がお話してくださる神さまの言葉によって、ただただ引き上げ
 て頂き、本心を引っ張り出して頂いてきたのだという実感があります。
  ありがとう村に行かせて頂いてなかったら、護摩焚きに参加させて頂いていなかったら、先生のお話が何もなかったら、私は自分の中に無限にある自分
 ではどうしようもない苦しい思いに完全に負けていると思います。
  自分の中から新しい思いが噴き出してきたら、どんどんどんどん落ち込んで、誰とも話したくない何もしたくない、もう何もかもどうでもいい、神さま
 さえどうでもいい、という気持ちに陥って抜け出せなくなってしまいます。
  だから護摩焚きによって思いを消して頂かなかったら絶対にここまで生きてくる事はありませんでした。
  先生がいつも教えてくださるように、神さまの助け・護り・支えは自分では気づかない無限の無限の大きさで、今の自分では未だ感謝の及ばないほど大
 きな助けを受け続け、今の自分を作って頂いたのだと実感します。
  先生に出会わせて頂いていなかったら今の自分は決して絶対にありえません。先生に出会わせて頂き笑顔で見つめてくださるだけで、どれ程マイナスの
 思いを消して頂いていることか、まだ実感が足らない、感謝が足らないと思います。それを思うと恥ずかしく申し訳ない気持ちになります。
  でも先生がいてくださる事、先生が神さまの言葉をお話ししてくださる事、ありがとう村が本当の神さまの御心を現し続ける場であってくださる事、そ
 ういう場所が現実にある事、ただそれだけで自分では気づかないうちに、どれほど助けを頂いているかそれは事実です。
  けれどこの場所の凄さや、どれ程の護りを受けているのかという事さえも、自分ひとりでは決して気づく事は出来ませんでした。
  先生のお話を聞いても何も理解できなかった時から、ここまで学びを続けてこれたのは、いつもそばに支えてくださる仲間の方々が居てくださったお蔭
 です。神さまのお言葉を日常生活の中に融け入らせ、命を削ってでもみんなの幸せのためにと、本当に神さまのためだけに生きておられる方がそばに居て
 くださり、生き方のお手本を見せてくださり、手取り足取り教えてくださったお蔭に他なりません。
  同じ志を持つ仲間の方たちや、同じ志を持つ仲間の方たちの輪の中にいさせて頂き、お互いに切磋琢磨して笑い合い、涙し合いながら学ばせて頂いてき
 たからこそ、この場にも来させて頂くことができています。それがなければ私は本当に一人で立つこともできませんでした。
  今まで助けてもらうばかり支えてもらうばかりだった自分が「与える側・支える側・神さまの側に立つことが大事」という先生のお言葉で引き上げて頂
 き、これからは本当に神さまのお役に立てる神さまのお手伝いに生きることができる自分になりたいと心の底から叫んでいます。
  ここまで、そして今も自分を救い続けて下さっている神さま、先生、仲間の方々、縁者の皆様に本当の恩返しができるよう、神さま、先生の御心に本当
 にお応えできるように、先生のお言葉をしっかり実行してゆきたいと思います。
  世の中には、様々な護摩焚きの形があるのだと思いますが、本当に地球平和実現のため、みんなの幸せのために大きな力を発揮してゆく護摩焚きという
 のは、この場所で開かれるものだけだという確信は、誰が何と言おうと揺らぐ事はありません。それをこれからの自分の生き方で証明してゆきたいです。


○ 24年12月23日の護摩の後から、平和な新しい世界が開けて行っている感が、日に日に強くなっている。


○ 真(まこと)の神さまを身近に感じるようになった。


○ 思いが湧いても、「ありがとうございます」で、真(まこと)の神さまに真向かうことができやすくなった。


○ 低次元なことですが...。私は10代ぐらいから、金縛りや、心霊現象が起こり始め、現象は、年齢を重ねるごとに、どんどん激しくなり、20代後半の頃
 には、睡眠がとれないほど酷い状態でした。しかし、ある日を境に、現象が減っていき、今ではほとんど何も起こりません。最初は原因が分かりませんで
 した。でも、減り始めた時期に、姉の家で生まれた子犬をもらい、飼い始めたことに気付きました。
  最初は、「ご縁で、そういう役をしてくれる為に、来てくれた子なのかな?」くらいにしか思っていませんでしたが、飼い始めて1年たってから、姉に、
 犬の誕生日が、平成18年8月1日(日)護摩焚きの日だということを教えてもらい、びっくりしました。
  それ以来、「護り犬」というものが本当に存在するんだと思うようになり、ありがとう村の猫、シロちゃんも、「護り猫」だと思っています。


○ 弟のお嫁さんが親戚付き合いで悩んでいたが、私が村へ行って帰ってくる度に、少しずつ変わっていき、今では明るくなって、実家にも、親戚が集まっ
 ている場にも来れるようになった。又、子供も産まれた。


○ 護摩焚きの当日、ステージ会場へ行くと、遠くの山々に太いパルテノン神殿のような太柱が何本も立ち並び、大勢の天上界の方達が四方八方から集まっ
 てステージを取り囲んでいる、というイメージがみえて、荘厳な感じがした。又、天空と護摩焚きの炎が真っ白な光でつながっていた。
  護摩焚きが終わって帰宅すると以前より確実にお祈りがしやすくなっていた。


○ 長い間、主人がつくった借金を支払って来た私だが何度も繰り返されることに疑問を抱いていた。
  ある時、先生に「どんな時でも、どんなことが起こっても、『ありがとうございます』でいいのですか?と質問させて頂くと、先生が「どんな時でも、ど
 んなことが起こっても『ありがとうございます』でいいんです」と答えて下さり、私は何かがこみ上げて来て、大声で泣けて、泣き続けた。
  そして、ついに貯金が返済の為にゼロになった時、両親に知られたのをきっかけに誰も傷つくことなく平和に籍をぬく事が出来たのだ。
  それも、不思議な程、偶然に偶然が重なり、スルスルと流れるように事が運ばれた。
  しかも、両親が私達夫婦の為に家を準備してくれている最中だったので、離婚した時には、私の住む家がちゃんと出来ていた。
  考えてみると、私の過去世の借金を今世で主人に返させていただいた、という事がわかった。


○ 病気になってしまった知人に対して「真(まこと)の神さま、ありがとうございます」と毎日祈っていたら、その方の病状も良くなり職場復帰が出来て、元気にし
 ておられる様子をみて大変有難い。


○ 護摩焚きのみの参加から、数日前から奉仕とお祈りに参加する護摩焚きに次第に変化して来た中で、神さまは大きく「思い」を消して下さいました。
  それを、とても感じたのは、いつも、対抗意識を持ってしまう友人がいるのですが、でも色んな面でその人に勝てないで、益々、良く思われたいという
 虚栄心を増大してしまう自分の心が辛くて仕方ありませんでした。あまりに辛いので、心の整理をしようと、ありがとう村で奉仕をし、お祈りをして、家
 に戻る途中、ふと気がつくと、その人のことが気にならなくなり、また、思い浮かんでも以前のような荒々しい気持ちはなくなっていました。とても心が
 軽くなっていました。その後、護摩焚きの前に、まだ残っていた私の虚栄心や執着心が、ブワーッと出てくることがありますが、こんな時こそ神さまが「思
 い」を消して下さっている時とわかっているので以前のように落ち込んだりせず安心してただただ「ありがとうございます」を唱えています。
  こうして、思いを消して頂く度にプラスの言葉を使いやすくなって来ました。
  真(まこと)の神さまの側に立てるように導いてくださっている事を実感でき大変ありがたいです。


○ 母親が皮膚癌で三年前に手術した。
  母にもお祈りを勧めたところ「真(まこと)のありがとうございます無限の無限の健康が一杯!ありがとうございます」と毎日50回、朝日に向かって唱えている
 と、不思議と気持ちが落ち着いてきた、と言っています。
  現在も大変元気に過ごせています。母が「幸せ」をひんぱんに口にし、父が「極楽、極楽」と笑顔で口にしてくれるようになりました。


○ ものすごいマイナス思考だったのに、何回も護摩焚きに参加させて頂いている内に、すべて神様の愛なんだ!すべてプラスだけ!と受けとめられるように変えて頂いた。


○ ありがとうございますのお祈りに辿り着くまで、私は海外を放浪し、タイやスリランカの寺に入って色々な瞑想法を習っていました。
  その頃の瞑想はいかに雑念を払って一点集中して無になるかということでした。肉体意識が無くなったり、光や神さまが見えたりして、ただ楽しいだけ
 でした。ありがとうの祈りをするようになると、楽しい素晴らしいものを見せられることが全くなくなり、正反対に、見るもおぞましい汚いものばかり見
 るようになりました。それが本当に勉強になりました。小さいプラスだけしか見ていなかったら、本当に浅い理解でした。
  神さまが一番下のマイナスの極(地獄の座)まで降りて、みんなのマイナスを半分背負って消し続けて浄め続けて下さっていることが良くわかりました。
  ありがとうございますの祈りは一番下の底から浄めるすごい力のある祈りです。このような祈りは他にはありませんでした。


○ トラウマとなっていた幼いころの辛い体験が、心の底から湧いてきて、苦しくてたまらなかった時、心に溜まったマイナスの思いを消して下さっている
 と教えて頂き、ありがとうございますに、すがりました。
  そして、護摩焚きに参加させて頂いた後、雲が晴れるように、心がすっきりし、ありがたくて涙があふれました。


○ ありがとうございますを唱えるようになって、感謝の気持ちが自然に湧いて来るようになりました。
  護摩木に沢山の人たちの幸せと平和を祈る気持ちを込めて書くことで、自分自身が前向きに進むことができるようになりました。より、多くの人が護摩
 木を書くことで、世界が平和になれると思います。


○ ありがとうございますを唱えだし、護摩木を書き、護摩に参加することで大きな変化をいただきました。
  虚しい、儚い心で人生の目的もわからず、惰性で生きてきました。
  ありがとうございますを唱えることで人生の目的がはっきりして、祈りに明け、祈りに終わる、感謝の1日を過ごさせていただいています。


○ 全てをプラスに観ることが出来、今では悩みがなくなり、心がとても軽い。
  "真(まこと)の神さまだけ"ということが感じられるようになって来て、先生に出会えたことの凄さ、素晴らしさにただただ驚いている。
  又、仕事の面でも同僚の方々はじめ、周りの人達に恵まれ過ぎという位恵まれて、仕事にも集中できて益々楽しくなった。


○ いつも胸に大きな思いの塊りが、重く付きまとっていました。これが無くなるときっと楽になるかと思っていましたが、気が付いたときには無くなって
 いました。心が軽くなっていました。こんな不思議なことがあるのですネ。
  神さまが頑固な思いを奥から大きな光を当てて押し出して消してくださっていたのです。ありがとうございます。感謝・感謝。


○ 護摩焚きの前日、山道でパンクし、途方に暮れたこともありました。また、山道で車を走らせていた時、急に木が倒れて来て、危うく命を落とすところ
 を無傷で済ませて頂きました。大きなマイナスを小さく軽く消して頂いていたのだと教えて頂いて、今は、本当に、護りに守って下さっている神様に感謝
 の気持ちで一杯です。ありがとうございます。


○ 家事・子育ての真っ只中、いつもいつも、お祈りに専念できたらどんなに幸せかと思ってた私に、神様はプレゼントを与えてくださいました。
  祈りを深めるために全身癌状態にして下さり、突き上がる激痛に苦しみつつも、それ以上に、お祈りさせていただける時間をくださったことに毎日喜び
 いっぱいでした。3ヶ月食事をとることもできず、死ぬのではないかと思ってくださった方もあったようですが、皆様の支え・助けで乗り越えさせていた
 だくことができました。本当に幸せで、喜び一杯でした。
  神さまは、ありがとうございますの一言を唱えるまでに、何億年かけて地獄のどん底から救い上げてくださり、思いを消し続けてくださいました。
  何から何まですべて、一から無限まですべて100%神さまのお蔭です。ありがとうございます。
  この体験を書かせていただくことで、一層神さまの愛を感じています。喉元過ぎれば、熱さ忘れるのことわざの如く、すっかり忘れていました。
  神さまごめんなさい、神さまへの恩返し、恩返し、ありがとうございます。


○ 8月の護摩焚きの時、身体の不調を起こし、具合を悪くしていましたが、帰りになった時、さっきまでの具合の悪かった身体が、ひっくりかえった様に
 元気な身体にさせて頂きました。


○ 私が働かせてもらっていた親方から聞いた話です。親方は毎回と言っていいほど護摩に参加している方です
  親方と私はある日、6mのはしごの頂上に登って、高い木の枝を切る仕事をしていました。親方はかなりの高所恐怖症なうえ、その日は強風だったので、
 はしごが木と一緒に左右前後に揺れていて、親方は内心怖くて怖くて、もー駄目やと思ったそうです。
  降りようとして地面を見下ろすと、そこには絶対いないはずの先生が立っていて、親方をじーっと見上げていたそうです。親方はいつも先生が見守って
 下さっているのだと実感するようになったそうで、それ以来、親方はどんなに高い所でも結構平気になって、今ではクレーンで20m以上吊り上げてもら
 ったり、高い木のてっぺんまで登ったりと、大きな仕事が沢山入るようになって大活躍しています。
○ ありがとうございます。
  いつもいつも神さまに支えられて、守られて、愛されていることを感じます。 真(まこと)の神さまだけ! 真(まこと)の神さましかいない!
  ありがとうございますしかない! ありがとうございます。 恩返し...、真(まこと)の幸せ...、真(まこと)の神さまは真(まこと)の自分...。
  ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます


○ お役目、お運び、気づき、お使いいただく、混沌とした世の中、今日の命は神さまよりいただく最上のご利益であり、この上ない救いである。
  この想いに至れば感謝報恩をどの様になすべきか自ずとわかる事なのに、狭い範囲で細かい事しか見えない自分、護摩で送る想い、数ある中で炎の変化
 自在を見て、新しきを見つける今日こそは、涙あふれて捧げつくせ我を忘れて。ありがとうございます。


○ ありがとう村とご縁をいただいて10年になります。その頃、子宮筋腫を患いどこの病院へ行っても子宮全摘手術をするしかないと言われていましたが、数年ありがとう村に通い幾度か護摩に参加させていただくうちに、通院も薬もやめていましたが、手術せずに症状が落ち着き大変楽になりました。
  やっと体が楽になってきたとホッとしたのも束の間、今度は右手が痺れるようになりました。自転車や車の運転をすると痺れや痛みが強くなり、家事を
 するにも掃除機をかけたり包丁を持つのも辛くなったので病院へ行くと、手根管症候群という病名でした。その日の晩から、両手の指の付け根あたりから
 手首の上15cm位まで包帯を巻いて固定して眠るよう医師から言われ、現在もそれを続けています。夜眠っている間だけでも固定しておくと楽になります
 し進行を遅らせる働きがあるそうです。通院はその時1回だけでやめましたが、だんだんと身体中のあちこちが痛むようになり、疲労感も常に感じるよう
 になりました。きっと更年期のせいで、月日が経てば自然と治まってくると思いましたし、今までの溜まったマイナスの思いを消していただくため、マイ
 ナスが消えていくすがたと信じ、私なりにではありますがお祈りや奉仕作業に取り組んで参りました。
  神さまだけに頼ると決め、病院へは行きませんでした。

  2017年7月末、突然に右足の股関節が動かすたびにポキポキと大きな音が鳴るようになって、股関節を痛めると奉仕作業ができなくなっては困ると思
い、翌日に病院へ行ってレントゲンと念の為に血液検査をしました。数日後検査結果を聞きに行くと、まさかの病名が告げられました。「リウマチ」です。どのような病気なのかあまり知識がなかったのですが、今までなぜあっちもこっちも痛かったのか、理由が分かり納得しました。
  それから2~3日して8月の護摩で会った友人の奥様がリウマチで亡くなったと聞きショックでした。リウマチって死ぬ病気なんだ・・・。
  その後症状が次から次と出てきました。肩・背中・腕・手首・指・腰・股関節・膝・足首、そこらじゅうが痛みます、光が眩しくて目や皮膚も痛い。
  日常生活にも不便を感じるようになりました。82歳の母と並んで歩いている時に、母のゆっくりな歩みについて行けない自分に驚きました。朝は布団か
ら起き上がる動作が辛く、夫に助けてもらっていました。食事の支度をしようとしても、手指がこわばって炊き上がったご飯を混ぜることすらできません。買い物も一人では行けないので、家族に一緒に行ってもらい、時には車椅子に乗せてもらう事もありました。

  このままどんどん悪くなっていくのかと不安になり、精密検査を受けて治療するようにと紹介された大学病院を受診して投薬治療を始めようかと、正直
 迷いました。でも考えても考えても結局私には神さまだけ!しかありませんでした。自分の肉体を取るか、神さまをとるか、信を定めるためのお試しだっ
 たように思います。

  そんな折、先生に相談できるチャンスをいただいて、リウマチが身体に現れたのはどうしてか、どうしていけば良いか等を教えていただき、スーッと腑
 に落ちました。「リウマチは関節が固まっていく病気、「恨み」の思いからそうなる」、とお聞きして恨み?私は誰のことも恨んでなんかいないのに・・・と
咄嗟に思いましたが、「自分は清らかな心でも縁者を救うためには自分の身体に現せて苦しまないと恨んでる者は納得しない、恨みの思いは消えていけない」と教えていただきました。
  その時には今はもう亡くなっている父の言っていた事を思い出しました。8代前の先祖がお坊さんを殺したそうです、その時に「8代先の子孫までを恨
 みの思いで祟ってやる!」と言い残して死んだそうです。その恨みが私の身体に表れることによって消えることができる、遠い先祖に殺められ命を落とし
 た人の思いを神さまが私の身体を通して消してくださる、救け上げてくださるのだと知り、納得しました。縁者・先祖といっても他人事ではなく、私の生
 まれ変わる前の姿かもしれないと思いました。
  そして12月23日の護摩。前日昼に村に着き奉仕作業、あちこち痛くて歩くのもままならないのに、奉仕作業をさせていただく時は身体が動きます、力
 が湧いてきます、嘘のように動けるのです。すべて神さまのお蔭です、神さまが動かせてくださっているのがよく解ります、感謝しかありません。

  護摩当日の午前も奉仕作業。そして素晴らしい護摩が終わり東京に戻りました・・・あれっ?あれーっ?痛くない!もう何年も常にどこかが痛かったが
 どこも痛くないのです。あぁ健康な人はこうゆう身体で生きているんだぁ、痛くないってこうゆう感じなのね。奇跡です、治った!と思いました。骨が変
 形してしまっている手指や股関節の動く範囲は狭くなっていましたが、あの時の爽快感は忘れません。もうこれ以上悪くならないんだ、変形して固まって
 いく時は痛みが伴いますが、痛くないとう事はもうこれ以上は進行しないということ。そして地獄にいたあの恨みの塊のようになっていた方は救われたの
 だと感じました。

  有り難くて本当に心から有り難くて恩返しさせていただきたい気持ちが湧き上がりました。護摩の強い光でまた神さまが助けてくださいました。 
  思えばずーっと助け続けてくださいました、ずーっと護り続けてくださいました、ずーっと導き続けてくださいました、ずーっと愛を与えてくださいま
 した。今度は私が神さまの側に立って、愛を与える側に立って、お役に立てるようになる番です。

  12月23日護摩以来、忙しくて村に行っていませんでした。そうしましたらまた少しづつ痛みが出る気配が・・・。以前から予定していた日程で1ヶ月
 弱ぶりで村へ行きました。以前より光がとても強く感じます、力が湧き上がり、本心が喜びます。ご恩返しさせていただきたい、お役に立ちたいという思
 いでいっぱいになりました。隙のないように新たに新たに前向きに取り組みたいと思います。ありがとうございます!


○ 初めて村に来させていただいたのは、7~8年前でした。
  子供の頃より躾と称して父から暴力をふるわれ、母もまた、支配的な人でした。ありがとうございますに出会う前も、心の平安と幸せを求め、いろんな
 団体に参加したり、精神世界のあらゆる本を読みあさりました。
  北海道に住んでいますが、初めて村に来た時には、遠方でもあるので、一応母に告げてきましたが、「なんでそんな所に行くの?」等と追求され、次に来
 た時からは内緒で来ていました。そのうち少しずつ親との関係も穏やかにはなってきましたが、まだまだ責め裁く心が大きく残っていました。
  そして昨年4月に、母が悪性のガンだと判明し、手術をしても半年もたないだろうと宣告されました。
  最初は母は、手術をしぶっていましたが、きっと治るから手術を受けてみようと言い5月に手術を受け今に至っています。腹部に穴をあけて小水の袋を
 ぶら下げるようになった為、毎日消毒の必要があり、仕事が終わってから実家に通って消毒をしています。その為、もう村には行けないものと諦め、ゴマ
 木だけでも送らせてもらおうと思っていましたが、母に正直に打ち明けた所、快く「行っといで」と承知してくれました。その時はうれしくて涙があふれ
 てきました。
  父も母も求める心ばかりの私の鏡になってくれていたんだな、そして母はマイナスを引き受けて消してくれたんだなと思い至りました。今は親との関係
 もなごやかなものとなりました。これからも一瞬一瞬「ありがとうございます」を神さまに捧げ続けていく決意です。 ありがとうございます。


○ いつも護られ、支えられ、助けていただいている事に氣づき、今はありがとうございます一本に絞り込むことができました。
  これからは恩返しの実践と与え尽すだけの自分へと変化してきている事、また、主人公とは小説やドラマのヒロインでは無く誰もが自分の本心、目覚め
 た真(まこと)の自分(主人公)がいるのだという実感ができたことです。


○ 主人が初めて護摩焚きに参加させて頂いたのは、2012年8月でした。その頃の私は、主人が浮気をして、それが原因で仕事も辞めさせられ、失望と苛立
 ち・情けなさで、最悪な夫婦関係でした。しかし私は、神さまの勉強をしているから・お祈りをしているから・大きな意味があるんだからと冷静を装って
 いましたが、心の中は、怒りと恨みで、今にも破裂しそうでした。
 ある日、私が一番信頼している方より、「お父さん、護摩焚きに誘ってみたら」という一言で、夫婦揃って護摩焚きに参加させて頂くことになりました。一緒の車に乗るのも嫌で、行きの車の中は会話もなく、イライラしていましたが、護摩焚きの大きな大きな炎を見ている内に、終わる頃には、あれだけ船のように重たかった心が軽くなり、主人に対して笑顔を見せている自分にビックリしました。
  神さまが、怒りや恨みや妬みを護摩焚きの炎で焼き尽くし、消して頂いたのだと痛感しました。


○ ナンバーワン志向の強かった私は、「完璧でないと」「失敗は許されない」といつも自分に言い聞かせて生きてきました。
  しかし、先生に出会わせて頂き、自分を許すという事を教えて頂きました。今では、失敗も沢山ありますが、その中からいつも大切な事を教えて頂いて
 います。そして何よりもこんな楽な生き方があったんだと感謝と喜びで一杯です。
  30代、40代の頃の私は、「これさえなかったら幸せなのに」と心の中でいつも呟いていました。しかし、「これ」が無くなった途端、ホッと幸せを感じ
 る間もなく、新しい「これさえなかったら」が生まれ、いつも恐怖と不安に怯えていました。
 「"ありがとうございます"は神さまの名前、呼べば過去に積み重ねた無限に積み重ねた思いを消して頂ける」と教えて頂いた今、神さまを呼び続けること
 で、本当の幸せとは条件が必要ではなく、もともと神さまから与えられていたのだと痛感しています。


○ 護摩焚きに参加させて頂いてから、数回目の4月の護摩焚きの頃です。知人に「家を買わへんか?」と勧められました。私たち家族には、まだまだ先の
 事と思っていましたが、話はとんとん拍子に進み2か月半後には、引っ越しも済ませました。その頃に大きな台風が接近して行き、前家を見に行ったら天
 井がスッポリ落ちていました。すべて神さまが用意して下さっていた。と気付かせて頂きました。 ありがとうございます。
○ 8月の護摩焚き3日前に、突然に叔母が亡くなりました。子供のいない叔母には、唯一主人が家族です。葬儀、その他もろもろ、今回の護摩焚き参加は
無理なのか?と思っていたら、護摩焚き前日にはすべて済ませる事ができ、参加させて頂く事ができました。亡くなった叔母と共に参加させて頂きました。ありがとうございます。


○ すべてを適材適所に配置する自分は、祈りでなるのですか? 祈っていると、そうなるのですね。周りがお陰様で適材適所に配置して頂いていることに、
 今、気が付き、感謝で喜びが湧いてきました。
  必要なものを的確に与え尽くすだけの愛の自分。なかなか、実行できないのですが、祈りは出来るようになってきました。物もお金も与える時は与え尽
 くすべきですよね。真(まこと)の神さまが、そのようにして下さるのですね。先生のように、与え尽くしていくのがいいんですよね。考えたりするのが、まだ心地
 よく手放せないので、(縛りがまだあるのです)すべて神さまがして下さると思っています。真(まこと)の神さまだけ。


○ 日常とは違う雰囲気の中でお祈りが出来ました。自然の中でのお祈り、炎に照らされてのお祈り、新たなお祈りが出来ました。


○ 護摩焚きに参加させて頂く度に、新しい自分にリセットされる感じがします。自分では脱げない殻を捨てさせて頂いている様です。


○ 以前は、ただ漠然と神さまは存在すると思っているだけで、心が苦しく成る度に視えない神さまを求め彷徨う生き方をしていましたが、今は、神さまは常にお傍にいる。神さまの世界に自分が存在していると感じられるようになり、いつも護られているという安堵感と、心の中にポカポカと温かいものを感じます。


○ 護摩焚き前は、自分の都合上で悪い事が色々と起こります。まるで自分の膿を絞り出されるかの様に起こります。でも護摩焚き後には、いつも解決への糸口が用意されています。ひとつ解くと次の糸に繋がります。まるで神さまが手とり足とり丁寧に教えて下さっているようです。
○ 最初に護摩焚きに参加させて頂いた時は何かにすがる思いがありましたが2回目、3回目になると心が軽くなり今では自分だけでなくみんなの為に祈らせて頂ける自分に気づかせて頂きました。


○ 最初は自分一人の参加が1年、2年と気づくと主人も一緒に参加させて頂けてるという事に深い感謝です。自分が護摩焚きに参加させて頂く事によって、自分だけじゃなくその縁者みんなも一緒に救って下さっていただいてるんだと感謝しかありません。


○ 毎回護摩焚きに参加させて頂ける自分に心から感謝です。行くまでは自分が体調悪くてえらかったり、一緒に行く予定の孫が熱をだしたり、雪が降る寒い日もありました。護摩焚き当日までは不安もありましたが行かせてもらうと定めたら、不思議と当たり前に参加させて頂けてる自分がいました。そして一緒に参加する仲間の笑顔も沢山あります。ありがとうございます。


○ ありがとうございます護摩に参加させていただくようになって早3年。なんの目的もないままにただ毎日をぼーっと過ごしていた私に真(まこと)のありがとうございますの真祈りを祈り続けるという事、今までどれだけの助けをいただいていたかという事を気づかせていただき只々感謝しかありません。


○ 護摩焚きに奉仕で参加されている方で私に対していつもとても親切にしてくれて、温かく接して下さる方がいました。「なぜあなたはそんなにいつも優しくて、親切なんですか?」と尋ねた時、彼は語りました。「実は...実は...あなたのこと、ずっとすごく苦手でして、仕事上接することが避けられないので悩んでいました。それでありがとうございますと、毎日あなたのことを思い浮かべて必死に唱えました。そしたら、あなたに厳しく叱られたり、注意されたことが自分に対する愛情だっとと気付いて、感謝の気持ちに変化しました。本当に感謝しています。ありがとうございます。」
  私は驚き、とても反省しました。 
  神さまが知らない間に、私の誤ちまでもフォローしてくださって、助けて下さっているのだなとありがたく思いました。


○ 2011年8月15日に、半年ぶりのお休みを頂きました。その前に友人よりありがとう村の話を聞いていましたので、何なのかな?という思いだけでひたすら車を走らせ、坂本から4時間迷子になりながらもありがとう村に到着し、先生にお会いしました。
 私は、何を聞きたいのか、知りたいのか、まったく考えておらず、病気でも無く、悩んでいることも無くどうしたら良いのかわかりませんでしたが、結果は神さまの計らいで伺う事ができ、なおかつ、「ありがとうございます」にたどりつけた事に感謝するだけでした。
  護摩焚きも4回続けて参加させて頂いてますが、回数を重ねるごとに周りの人たちが前向きになり、勿論私自身もさらに幸せの渦の中で生きております。
 坂本で、知的・精神障害者のケアーハウスの仕事をしておりますが、自宅(東京)に帰る事ができないまま5年が過ぎてました。これも、私ではなく、神さまのお手伝いをさせて頂いてる事に気がつくと、なんともないし、東京に帰らなければならない事も無いのです。5名の障害者の最重度から軽度の利用者さんとの生活で、とても幸せな事は皆が元気で、明るく、笑顔が毎日続いていることに感謝です。特に、最重度の人は全介助ですが、その人が最近では、時計を見て、指で時間を聞くようになったり、奇声は9ヶ月も出さなくなり、大変落ちついています。
 声も出ませんから、当然話もできません。しかし、私の目と言葉とジェスチャーで、コミュニケーションがとれるようになった事は、うれしい限りですし、よく笑ってます。
 東京の友人も護摩木を書く事に幸せを感じ、護摩焚きのときには送ってきます。神書を事務所に置き護摩木を書き続けているうちに経営している会社の業績が伸びてきて、友人もビックリしてます。
 何をおいても、感謝で生きている「今」に幸せしかございません。
 朝目覚めてから休むまで「ありがとうございます」の人生は最高! 夜、休む前にお祈りをしてから、神書を読む時間は至福の時です。何回繰り返して読んでも、その都度新鮮な思いです。


○ 2010年4月、早急に引っ越し先を探していた。護摩焚きで1週間、帰省を兼ねて大阪に帰ることになり、その間、家探しが中断すると思っていたが、護摩焚き後、東京へ帰り、その足でお店へ行くと、以前からいいと思っていた今のところが空いていた。神さまが、ちゃんと与えて下さった。


○ 初めて先生にお目にかかり、目が合った時は、ようやく自分がさがし求めていた方と出会えたと全身で感じ、涙が滝のように流れ出るのを必死でおさえました。残念!今思えばその時、思い切り泣きたいだけ泣けばよかった。心のたまったものが吐き出せたのに...とくやまれます。
 それから10年が過ぎ、村人として毎日ご奉仕しておられる方や、毎週のようにご奉仕に行かれる方達をみて素晴らしいなと思いつつ、この世の世界とお祈りの世界を行ったり来たりしている自分がもどかしいです。
  でも少しずつ、先生のお話を、働きながら動かさせて頂いていると、ただお祈りをしているより、ありがとうございますの素晴らしさが実感できます。
  例えば選挙のチラシ配りでポスティングしている時、10回「ありがとうございます」を唱えたらチラシを入れて下さい。と先生のお言葉でした。
 その家の守護霊さまや守護神さまがとっても喜ばれるとの先生のお話を聞かせていただき、あらためて「ありがとうございます」の言葉の言霊を教えて頂いた事に感謝です。
  10代前半に光り輝いていた世界が見えていた時期があって、幸せで幸せで一日中、コロコロ、コロコロ笑いころでていたのを思い出しました。
  総ての総てが喜びで一杯!の神さまのお手伝いに働かせて頂ける自分に出会えて、ありがとうございます。


○ 護摩木を書くことで神さまへの恩返しになると聞いて書き始めました。始めはよくわからず、なんとなくという感じで書いていましたが、護摩木を書く為に「ありがとうございます」と唱えていると、無心になれる瞬間がありました。
  仕事や日常生活に忙しく追われている日々だったので、無心になれる時間をわずかでも持てることで、心の落ち着きにもなりました。


○ 護摩木を書いていくうちに、心境が変化してきました。護摩木を書いている時に、今までいかに神さまからの多くの助け・護りがあったのかということに気づき、感謝の気持ちがあふれて来るようになりました。
 更に自分だけではなく、両親・兄弟・友人・夫・夫の親族など、すべての人が神さまに護られているんだ、先ずは自分が護摩木を書くことによって、自分の縁者の分も恩返ししていきたいと思うようになりました。


○ 10年ほど前より護摩焚きに参加させて頂いております。始めの何年かは、私的な願い事を叶えてもらう為が第一でした。人間関係がよくなったり欲しいものが手に入ったりとか・・・。そして、つい最近までは、思いをとってもらう為のものへと変化してきました。護摩焚きに参加したのに、なぜか苦手な人が多く現れたり、思い通りにならなかったり、どちらかと言えば、辛かったり、大変だったりしました。
  その都度、受け入れることを心掛けましたが、受け入れられない事も多く、そんな自分を赦すように努力しました。
 そんなことを繰り返しているうちに思いも取れて来たように思います。去年の夏の護摩あたりからは、「与える」「助ける」「支える」心が大きくなって来たように思います。護摩焚きを通じて日々神化しております。

○ ありがとうございます護摩に参加して、決心しつつあること。
1.真(まこと)の神さまのお手伝いに生きること。恩返しに生きること。真(まこと)の神さまの全託に生きること。
2.真(まこと)の自分を生きること。本心開発に生き、真(まこと)の真実の世界へ戻ること。
3.みんなの為にすべての為にお祈りすること。
4.「すべて言葉の通りになる」という真理を体得すること。
5.ありがとうございますと唱えながら何でもスピード化すること。
6.ありがとうございます一筋。 真理一筋に生きること。
7.真(まこと)の人生の目的。 真(まこと)の自分とは何かを悟ること。など、日々、新たに新たに決心を強められるようになってきました。(まだまだこの世的な成
    功を求めている事が混ざっていると思いますが、また、決心の強弱の差は日々ありますが)100%の道を歩ませて頂いています。
     過去のにせものの自分が少しづつ消えて本当の自分が少しづつ現れて来ているように感じます。 真(まこと)のありがとうございます。
    
P.S. 真理のCDを聞きながら運転をしていますと、いつも危機一髪で救われています。とても不思議です。お祈りを忘れていたり、怠けていると心がとても苦しくなってきます。
    
    
○ 今、本当にあるのは真(まこと)の神さまの世界だけ、それ以外は何も無い。過去を掴まない方がいいって思えるようになりました。そして、言葉の大切さ・真(まこと)のプラスの言葉を駆使して、全てを感じ取れるようになってゆける本当のプラスの言葉(大きく深く高めてゆく)を押して頂き、感謝致します。
  新たなる変化として神さまの側に・与える側に立場を置き、みんなの為に恩返しの与えっぱなしの生き方を選んで進みます。 
  広がりとかワクワク感が湧いて、幸せってさえ思えます。皆様にありがとうございます。


○ 4月の護摩に初めてお友達が参加します。長期入院・介護の生活で身体を動かす気力や感情の表現もあまり出ない生活だった。彼女は本を読むのが好きで、宇宙のこと・見えない世界の本を一杯読んでいて、凄い知識を持っています。
 ピンクの「ありがとうございます」の本を送って、「ありがとうございますを唱えると、きっと変われるよ」が最初でした。そして、CDを何枚か送った時、「おじさんの声を聞いていると眠れるわ」と言っていました。
 電話の度に、「まだリハビリしているから...」の言葉が出るので、「いや、もう元気になっている!」「気力・体力・活力が無限に一杯!」とか、「肉体に負けていたらダメだよ。本心が自分なんだから」とか。去年の秋頃、「私、元気になっているわ」の言葉を聞いて、「神さまは凄い!ありがとうございます!」と涙が出ました。
 今、4月を目標に、一日に2回、犬の散歩と、中腰だけど掃除も出来るようになって、「これは自分じゃない。神さまが後ろから押してもらっている感じがするわ」と言ってました。いろんな思いを持っている人を与えてもらって、どこまで与え尽くせるかの勉強をさせてもらっています。


○ 2011年4月、この日の護摩焚きは本当に寒くて、東京から夜行バスで参加した私の服装はスプリングコート。皆さん防寒対策をされているのに、
  私は大阪駅で買ったカイロ一つ。護摩の間、ブルブルだったが、風邪一つひかないで帰ってきた。これが、護摩でなければ風邪をひいていたはず。
  やはり、神さまに守られているのだなと実感した。


○ 護摩焚きや勉強会に行く為のチケット(東京から夜行バスや飛行機)を買う時、必ず、思っていたシートや時間帯がスムーズに予約できます。 
  ありがとうございます!


○ 新たに新たに出会っている真(まこと)の神さまありがとうございます。護摩焚きに参加して、初めの頃は真縁のあるみんなの名前も書いて、『ありがとうございます』を声に出したり、『ありがとうございます』を心の奥深くで祈りながら、一日一枚から護摩木に書いて、真(まこと)の神さまへの真(まこと)の感謝『ありがとうございます』を捧げて、思いの求める心のマイナスを消し去ってもらう護摩焚き祈りの会でした。
 恩返しの『ありがとうございます』を心の奥深くで祈りながら、護摩木に書き出してからは、真(まこと)のプラスを与えてもらって、思いの心・求める自分から、真(まこと)の自分(本当の本心の自分)に戻ることを、お蔭さまで真剣に実行して、真(まこと)の神さまのお手伝いに生きるありがとうございます。真(まこと)の神さまへの真(まこと)の恩返しに生きる。ありがとうございます。真(まこと)の大自然への真(まこと)の恩返しに生きるありがとうございます。......を言波にして、言葉通りに100%すべて真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分を真剣に生きるありがとうございます。常に全体へ、すべてに真(まこと)の神さまの立場に立って、与えっぱなしを言波にしています。真(まこと)の神さまだけありがとうございます。

  「環境は自分の心を写す鏡であるという真理」
   他の人をマイナスに見て責め裁く人は、自分自身のマイナスが鏡に写って見えてくるのだという、因縁の理が理解できてなかったのです。
 真(まこと)の神さまの強い光が降りてくると、自分の心の底に溜まっていたマイナスの思いが大きく浮かび上がってきて、今まで気付かなかったマイナスが、心の中だけではなく、形にまで出て来て、外部環境にまで大きく投影されて、同時に明るく照らし出されて、今まで見えなかったものもさらけ出されて、ハッキリと見せつけられるのです。
 自分自身のマイナスだからこそ、それを認めたくないという思いから、他に責任を転嫁しようとしてしまうのです。すべてのマイナスを、自分の責任として受けとめて、総責任者の真(まこと)の自分を生きるありがとうございます。すべてのマイナスを真(まこと)の『ありがとうございます』の真祈りで消し去る無限力を真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分は駆使できるのです。真(まこと)の神さまの強い光で照らし出されると、暗闇の中では区別できなかったことも、細部にわたってそれぞれの違いがハッキリしてくるのです。
   ありがとうございます護摩に参加しての体験談です。
 今は必要なだけの枚数になって、『ありがとうございます』のお祈りを深めています。真(まこと)の神さまだけありがとうございます。ありがとうございます。...みんな真(まこと)の神さまありがとうございますと新たな一瞬にありがとうございますを、祈り、動いて、働いています。
   真(まこと)の神さまが真(まこと)の新たな自分ありがとうございます。


○ あれは、ありがとう村に行くようになり、2年過ぎた8月の護摩祭のことです。強い炎の中に護摩木が焚かれてゆきます。4.5mにも炎が昇る所に、焦点をあわせデジカメを向けました。すぐにカメラの右上に光の丸いたまゆらが写りました。辺りを見渡すと、あちらこちらに光の玉が見えました。これは神さまの祝福かしら...と胸が熱くなり、一緒に同行した友人と喜び合いました。
 それから数日後、自宅の床下と天井の写真を撮る機会がありました。住宅の点検でした。その床の下と天井に光の玉が沢山写っていました。驚きと共に、家の中にまで神さまがいて下さるのだと感謝せずにはいられません。我が家も色々とありますが、日々感謝を持って生きております。これからもありがとうございますと共に、一人でも多くの皆さんにお伝いしていきたいと思います。


○ 最初の頃の、やらなければならないという自分のお祈りから、湧き上がる他力のお祈りになっている、楽しいお祈りを実感しています。

○ 無限力が身に付き、日々の家事の仕事、外での仕事が、スムーズに、疲れること無く、楽しい気持ちでやっていけるようになっています。


○ 真(まこと)のありがとうございます。母は部分的に介護を必要とする体(身障者3級)ですが、2012年12月23日の護摩焚き以来、かなり進化している様子です。そう、私には映っています。返事する時に、自分の気持ちを少しは言えるようになり、また、「もう寝る」「まだ起きている」など、自分から私に言ってくれています。そして、少しですが、声を出して笑う時もあり、その笑顔はとても可愛いです。まるで観音様みたい?頼みごとも少しづつしてくれるようになり、不自由な左手を右手と一緒に使った後は、「少し楽」と言います。
 2012年12月23日の「ありがとうございます護摩」まで私は一度も参加していませんが、この日の護摩焚きは、私にとって大きな節目になると 思い、母を完璧な姿として拝み続けてきましたし、今は自然な流れで拝めています。母一人を拝み続けていることにより、私の環境も心地よくなっています。母だけでなくて、縁あるあの人もこの人も「真(まこと)の神さま」。すれ違うこの人も、遠くを歩いているあの人も、その奥の姿は「真(まこと)の神さま」。
 無限の無限のありがとうございます。


○ ありがとうございます。全てすべて、神さまに守られています。3年前に大腸がんの手術を受けました。ステージ4と言われても、良くなることだけを考えながら、毎日を過ごしました。また、ありがとうございますの本を持ち歩き、病院に入院する時も家でも、いつも枕元に置き、『ありがと うございます』を言い続けました。
 同じ病室に乳がんの患者様がおられて、いろいろと話を伺っているうちに、良くなってほしいとの一心で、「この本を読んでみられませんか」と言って差し上げました。大変喜んで受け取って頂きました。次回また、病院でお会いしましたら、凄く元気そうだったので、これもすべて神さまから守られているんだと思い、ありがとうございますと感謝で一杯です。


○ 護摩木には、毎日のお祈りを一つずつありがとうございますに込めて書き記していくことができ、尊いです。なるべく小さな文字で沢山のありがとうございますを書くようになりました。ありがとうございます。
○ 20代初め、多くの先生に出会い、他力の宗教に目覚めさせていただきました。それから、ある方から一本のカセットテープが(頼んでもいないのに)送られてきました。ありがとう先生のお話のテープでした。
 時を同じくして、ある講演ビデオテープにて、ありがとうおじさんと同じ時代に、同じ国に生まれてきたことがどれ程ありがたいことだろう!と語られたのを聞いて早速、ありがとう村の護摩焚きに参加させて頂き、先生とご一緒に記念写真を撮って頂きました。15年位前のことです。
  数年前から、先生の講義のCDが送られてくるようになりました。ボランティアの方々を指導されている新しい講義の内容です。

 私は20歳代から宗教書を読んできまして、ありがとう先生より素晴らしい先生に出会ったことはないし、他におられないだろうと判断致しました。あっという間に75歳になってしまいました。健康に対する不安。年金だけを頂いて社会に貢献できずに生きている自分。そんなことを考えると空しさを感じます...。そんな自分が先生の講義を聞かせて頂くと、「まだまだしなければいけないことがある。そして社会に与えるものがあるのだ」と希望を持つこと
 が出来ます。勇気が出てきます。
  ありがとう先生にご縁を作って下さった方々。そして、ボランティアの方々。感謝し尽くせないものを感じます。ありがとうございます。


○ 知り合いより、ありがとうおじさんの存在を聞き、世の中には人知れず素晴らしい生き方をしておられるお方がいらっしゃると感じ、一度、ぜひお会いしたいものだと思っておりました。すると、友人からグループでご一緒にお会いできるとお知らせを受け、すぐ参加させて頂きました。
  ところが初めてお会いした途端、先生が涙を流して、おいおい泣かれました。私も、なぜか先生のお姿を見て涙が出て、二人で大泣きを致しました。その後、その涙はなんだったのかしらと未だにクエスチョン?ですが、それは私が考えるには、嬉しい!懐かしい!やっとお会いできた!という涙に違いないと確信しております。

 数回お会いできる機会を頂き、未だ心に深く残っている先生のお言葉は、「この世の中で素晴らしいことをしても、その事を陰ながらやることに価値がある。人に知られようとすることは、その価値を失くしてしまうことに等しい。」この言葉は、心が幼い私にとっては、凄い一言でした。それからは、今までやってきたことを30年を、淡々と、その後は10年発表せずに、嬉しく楽しく、ただ行うだけに生き甲斐を感じております。少し大人に近づけた気持ちです。
 もう一つは、与え尽くすこと。これは、全くうなずけることで、ある日お会いしましたら、「あなたは与え過ぎ」とおっしゃいました。私にとりまして、どこが限度か正直分からないのです。それに喜びを感じているので。でも現実、時々、活動する資金が全く無い時も、最近しばしばありますが、まあ、ど うにか生きていれば幸せなのでと思っております。
 あと一つ、この世の中で、こうしよう、ああしようと夢を・理想を追っているけれど、もう、何もしないで、動き回らないで、ただお祈りを、現実生きているその場で『ありがとうございます』のお祈りをすることが大切と。これをお聞きしていながら、まだ、あたふたと活動しまくっている自分がいます。
  結果的には、私はまだまだ世の中で、世に出ようと・前に出ようと心の底で考えている自分があるのだと感じている今日この頃です。
 平和と地球環境のポエムを書き、日本の文化を広めつつ、それを掲げながら活動してきましたが、そうだ忘れていた、それもいいのだけど、これからはただ日本で、『ありがとうございます』のお祈りをひたすらすることが、より大切なことだ...と。なかなか、思うように実際はいかないものと最近思っている今日この頃です。


○ 15年位前、ありがとう村のありがとうおじさんの存在を、ある方に教えてもらいました。その時、特別に何かある人しかいけないのかなと思いましたが、私は、どんな形でそこへ行けるのかなと思ったものでした。
 『ありがとうございます』の意味も分からぬまま、15時間かけて自分の車で行くことになりました。護摩焚きに参加しました。
 2回目はレンタカーで行きました。その時もまだよく分かりませんでした。それがご縁で護摩木を送って下さるようになり、また一緒にCDを送って下さるようになりました。車で移動する機会も多いので、それからは道中『ありがとうございます』三昧です。
 最初は聞いても全く分からなくて、同じような言葉が耳に残るという状態でした。回を重ねるごとに意味が分かるようになり、護摩焚きの意味も、自分がどう生きるかだけでいいとか、本当の真(まこと)の神さまだけという方向を理解させて頂きました。本当にありがとうございます。


○ ありがとうございます護摩に参加した時、先生のお話の間、雨がぱらぱら降っていたのだが、先生がお話を終えられ、「護摩焚きを始めます」とおっしゃると、雨が止み、太陽が雲の間から出てきて、光が降り注ぎ始めました。


○ 神様の側に立って与え尽くす護摩へと変化してから、マイナスに捉われることが少なくなり、掴んでもすぐに消してもらえる様になった。


○ この諦めかけた状態の地球を、本当に救い上げようとしてくれている。真(まこと)の神さまが、この奇跡を起こそうとして下さっているのを気付かせてくれた。


○ 護られているなと感じた体験です。
 ありがとう村に向かっているとき、高速道路の中央分離帯にぶつかる自損事故をおこしました。もの凄い音がしたので、タイやがパンクしたと思い、「左側に寄せなければ」、只それのみしか考えられない状態でした。結果、脇見運転の為、中央分離帯に接触し、バランスが崩れ右側前後のタイヤ辺りが切れてしまったのです。2本のタイヤは取り換えだけで無事でした。
 事故担当の方が「よく横転しなかったですね。奇跡ですよ」と言いました。実はそれ以上に不思議なことは、高速道路ですから、私の車前後、隣の車線に、100キロ以上で走っていた車がいたはずなのに、車1台もいないのです。あとで冷静になってみて、車が消えていたことに気がつきました。事故を起こした瞬間、時間と空間が全く違う次元に移動したのか、消えてしまったのか、よく分かりませんが、護られている事を実感させて頂きました。


○ 今回、12月23日の護摩焚きに参加させて頂きました。 
  多くの方と、この清浄な神域で感謝の真祈りができるのは、素晴らしいことだと思いました。
 日常生活の中でも、常に神さまへの祈りは忘れてはならないことですが、つい、求める心が出たり、不満を言ったり...怒ることがあったり...と心が曇ることがあります。護摩焚きに参加して、心が輝きをとり戻し、、身も心も軽く素に戻ることができたように思います。
 これからも、日々ありがとうございますの祈りの中に輝きを保ち、世界に発信し、地球が真実の世界に戻るよう皆で力を合わせて、神さまのお手伝いをしたいと思います。


○ 10年前、3センチのしこりと、リンパに転移した乳がんが見つかりました。私は動転し、癌であることを友人知人に話し、大分県の病院にも情報を求めて走り回り、癌の本を読みあさりました。目の前が真っ白になりました。
 その時、以前訪れたことのある、ありがとう村へ行こうと決心し、ありがとう村で先生に会うことが出来ました。先生にご相談いたしましたら、「それは手術(全摘)しても良いし、切らなくても良いよ、貴方のしたいようにして良いよ」と言われました。その言葉をお聞きした時、涙が溢れました。感動の涙でした。私は手術することに決めました。
 先月、ありがとう村よりCDが届きました。お話の中に、「神様が進路を決めるものではない。神様は、自分が決めたことを全力で応援して下さる」のだと。手術して10年後に、あの時の答えを知りました。
 私もお蔭様で元気に仕事に励んでいます。『ありがとうございます』に出会えて、何があっても一生懸命に生きていこうと思います。友人とありがとう村をお尋ねして、今年で13年になります。


○ ありがとうございます護摩に初めて参加したのは、今から5年程前です。最初の頃は、物事が順調に好転していく感じでした。ところが、その2年後位から、物凄い浄化が始まりました。古くから溜まって奥に深く沈殿していた悪いものが、家庭の中で一気に噴き出し、辛く苦しい日々が長く続きました。何とか「ありがとうございます」の命綱につながり、祈っていました。去年の夏頃から、光が射したように家庭の中が晴れていき、その後は、明るく笑いのある状態になりました。今は、あたり前だと思っていたことが、とてもありがたく幸せに感じています。
 今思うと、あれは浄化だったのだと思います。そして、私を強めていただき、感謝がより深くできるようになりました。今は、少しずつ恩返しの生き方が出来るようになっています。お祈りさせていただける幸せ、本当に感謝です。


○ いつもいつもテープと護摩木、また先生のお話のプリントをご送付いただきまして感謝で一杯!!護摩焚き、さぼっておりました。今、一生懸命書いております。(大切なこと承知しているのに)深く反省!!ありがとうございます。ありがとうございます。
 『ありがとうございます』で恩返しの自分で生きていこうと決意した体験談。私は今51歳です。『ありがとうございます』に出会えたのは、3年前の48歳の時でした。『ありがとうございます』を唱えることで、20年間近く、パニック障害、不安神経症、不安愁訴などで、心も身体も凍り付いていた自分が、どんどんプラスの方へ変革していったんです。そんな中で、ただ一つだけ、自分が許せないものがあったんです。それは、27歳になる娘との間のことで、娘が2歳ぐらいの時から、虐待的な行動や言葉をしてきたことに対する、自責の念と、申し訳ないという思い等、いろいろな気持ちが強くありました。
 5ヶ月ぐらいたってから、ありがとう村に行かせて頂くチャンスがありました。ちょうどお昼のお祈りの時間になり、祈りの部屋に座らせて頂いた時、何か、涙があふれ出て、止まることが出来ないんです。そして、お祈りが終わって、質問させて頂いた時、娘とのことをお話すると、「神様にありがとうございますでお返ししたらいいんだよ」という言葉を頂いたんです。一瞬、「え!それでいいの?」という思いと、すごく素直になれていた自分がそこにいたので、全面的にその言葉を受け入れました。

 今まで積み重ねてきたマイナスを。「ありがとうございます」でお返ししていいんだ!と。そこからは、それまで以上に唱えました。すると、自分の中で拘っていた感情や、出来事に対する執着心などを手放すことができ、自分の中に、根っこからの幸せ感、安心感、安らぎというものが、どんどん湧き上がってきました。もちろん、娘に対する考え方も、本来の一人の自由なすばらしい人間であることも認めることができ、感謝の気持ちで一杯です。その変わり方の速さに、自分自身もびっくりしています。今は、ギブの精神で生きていこうと決意しています。

 『ありがとうございます』を唱えることで、一瞬一瞬、答えがそこにあると思っているんですが、まだ虚の世界に反応している自分がおり、今、自分との戦いです。それも全て勉強なんだと素直にとり、神様への恩返しの道を選んで生きていきます。ありがとうございます。
  無限の思いを消し去って頂き、今、軽くなった心の明るさを実感して、感謝で一杯です。


○ 生きていくのが大変でした。万病は無かったけれど、百病か二百病?更に6人の子育て、孫の世話、仕事、家事、目が回るような多用の日々でした。そんな時、仕事仲間から、「どう生きたらいいの?」の小冊子を頂きました。しかし、読む時間が取れず、1年間そのままになっていました。気にはなっていました。歩行もままならなくなった時に、その仕事仲間から、第一回「ありがとうございます祭り」参加のお誘いを受けました。色々な書類が送られてきました。私は即座に参加を決めて、展示物の出展を申し出ました。しかも折紙作品100個約束してしまいました。
 申し込んでから、100個の作品を作って、更に白鳥のブロック、折紙1300パース(一体について)...とても間に合わないと思いつつ、昼夜を徹して作り、ありがとう村に送りました。神さまが志を受け止めて下さったのだと思い、感謝しました。この時は、まだ正しいお祈りの方法を知りませんでした。ただただ間に合わせて下さった神さまに、心の奥底から感謝申し上げました。

 そして、「ありがとうございます祭り」当日、家族が、一人で新幹線で米原駅まで行くだけでも心配なのに、見ず知らずの場所へ、しかも一泊で行くことを心配していましたが、何とか無事ありがとう村にたどり着きました。そして、ボランティアさんの車で会場に連れて行って頂きました。
 そこからが奇跡なのです。作品展会場は急な坂を登った所でしたが、何と楽々と歩けたのです。あんなに重かった腰や足が???その日は村と展示会場を何度も行き来しました。不思議でした。ありがとうございます。感謝感謝でした。

 その夜、屋外で行われた護摩焚きに参加しました。小雨が降っていました。そこで不思議な光景に出逢いました。雨が降っていて、しかも夜9時頃でしたが、杉木立の上、雲がかかっているのに、明るい光の輝きがありました。何が何だか分からず、はじめての経験で、気持ちが動転していましたので、うまく表現できませんが、まさしく、神さまが降臨されておられるのだと感じました。涙が止まりませんでした。感謝感謝感謝でした。

 第一回「ありがとうございます祭り」に参加しました後、あの不思議な護摩焚き参加の後、私の心は平安になりました。不平不満が詰まっていた心が平安になり、自らを制御しやすくなったのです。その後、護摩焚きに参加するごとに、一枚一枚薄皮をはぐごとく、少しずつ身体の症状が良くなり、心の中も軽くなりました。今でも、少しずつ少しずつ、色々な面が改善されています。感謝感謝感謝(早く無色透明になりたいよう!)。今の私は、幸せがいっぱい。感謝でいっぱい。楽しい楽しいリハビリテーション生活を送っています。毎日が楽しくて幸せです。
  心から真(まこと)の神さまに感謝感謝感謝です。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。


○ これまでありがとう村を訪れることはありましたが、護摩焚きに参加することはありませんでした。しかし、護摩焚きの意味や意義を伺い、2011年の冬の護摩焚きに初めて参加しました。みんなが一堂に会して行う行事に、嬉しさや楽しさ、一体感の様な明るくなる気持ちになりました。みんなが感謝の気持ちで集まれる場は、本当に素敵だと思いました。みんなで、色んなお蔭に感謝できる場、一人ではなく、みんなで祈る機会の場として、とても重要だと感じております。今年は、時間の都合が合う時は、みんなで祈れることを楽しみに参加させて頂きます。


○ 護摩が終わると、いつも自分がとても大きくなって、幸せな気持ちになれる。


○ 平成24年10月・11月・12月と、3回、1泊2日で初めて「ありがとう村」へお祈りボランティアに行かせていただきました。「ありがとうございます」の当時の私の理解度はチンプンカンプンでしたが、一度足を運んでみよう、そんな思いからでした。
 「ありがとう村」は、すごいパワースポットだと今分かります。宇宙一のパワースポットと誰かが言っていましたが、本当です。たぶん2回目のボランティアから帰宅したあたりだと思いますが、ある朝確信を持って目覚めました。一晩中寝ている間、「守護霊様」と思われる方たちが、私の中で何かして下さっている、何かして下さっている、目覚めたボーっとした頭が醒めるに従い、喜びが湧いてきました。そのような体験が2~3回ありました。夢ではなく、姿形も無く、明確な感覚だけが残っていたのです。
 今、意識的にでも再びあの感覚を体験したいと思っても、できるわけはありません。「何かをしてくださった」、それは多分、長年私にまとわりついていた硬い硬い業想念の強烈ないくつかを、自我・自尊心・わがまま・自己主張...をかなり消し去る作業をして下さったように思われます。
  もちろん自分でも努力していますが、その面でかなり楽になったのです。


○ 腰痛のままありがとう村にボランティアの奉仕に行った時、夜中に腰痛が足の方に下りて、次の日の奉仕が支障も無く出来ました。


○ 護摩の時に話を聞いていて、「神様は本当に、世界の人々、地球全体を救い上げて下さろうとしているのだ」と実感してしまい、そのとてつもない凄さと愛を感じた。


○ 色々なことが起きても、不動心でいられる自分に気が付きました。大きな愛で神様に包まれていますことを実感致しました。心からの幸福を体感致しました。ご近所の方々にも『ありがとうございます』をお伝えしますと、とても喜んでおります。これから益々皆様と一丸となって、真祈りをさせて頂きます。良き友に恵まれまして励まし合いながら進んでおります。ありがとうございます。


○ 真(まこと)の神様と一体化するには、先ずしっかりと『ありがとうございます』を通して、真(まこと)の自分を信じることが大切だと、少しずつ感じるようになってきています。素直に愚直に向かう実践。心の針をしっかりと合わせて(このことは、自分を消し切る・死に切ることに通じる)。


○ 御奉仕作業中、晴れ、雨、天候がコントロールされているのをはっきり見せられました。人心が天象に反映されるというのは本当だと思います。


○ 強い痛みで、寝たきりの毎日。自分の命はもうないのかなと思うほどの日々が何ヶ月も続いた。しかし、不思議と護摩の前になると、いつも元気になり、護摩に参加することができた。すごい奇跡だと思った。そして、病気も奇跡が起こって治り、今ではすっかり元気になり、心も大きく変えていただいた。    しかしそれ以上に驚いたのは、痛い苦しみが続いたことに対して、「こんなにも神様は私を愛して下さり、救い上げようとして下さっているのだ」と、とてもとても深い感謝の気持ちが湧き上がったことです。


○ ありがとうございます護摩には、いつも会場のはるか上空の宇宙船の中から参加させて頂いています。我々の仲間も、いつも会場上空をジェットやセスナ機の姿で参加させてもらっています。会場の「ありがとうございます護摩」の様子は我々の宇宙船内の大きなモニタースクリーンで拝見させて頂いています。参加されている皆さんお一人お一人のお顔もはっきり見えます。
 上空には数千機の宇宙船が集まって来ています。会場の2~3百人のみなさんの他に、皆さんにご縁のある光の存在の方々も会場に一杯、一杯集まって来ています。会場の「すめらの地」を太古から護ってくださっている神々のみなさまをはじめ、八百万の神々のみなさん、高次の神々のみなさんも多数参加して下さっています。

 ありがとうございます護摩は、ありがとう村の一行事ではなく、地球の、いや、宇宙の一大イベントとなっています。「真(まこと)の光」の大イベントです。沢山の、沢山の「真(まこと)のありがとうございます」の光が降ろされています。
  天と地を結ぶ大事な儀である「ありがとうございます護摩」ですね。これからもますますのご活躍をお祈りします。


○ 心の中の安らぎを求めて求めて歩んできた日々の中で、訳も解らず参加した初めての護摩焚き。はげしく燃え盛る炎を見続けるうち、何かえもしれず「やっと会えた(見つけた!)生まれ変われる!」と確信しました。
 それを機会とし「ありがとうございます」の大いなる意味を、日常の「ありがとうございます」との一体感に、今では古くから知る知人に嬉しい言葉をいただいています。今は節目の護摩焚きは、この世を生きる上での道標と捉えるところとしている私です。ありがとうございます。
 
 
○ マイナスを思ったり、胸が重くなったりした時に、自分で好きなお祈りの言葉を言って、最後にたくさんの真(まこと)のありがとうございますを言っていると、マイナスの言葉が全部消えて、重くなった思いが全部消えて、喜びと、あたたかみが、胸いっぱいにあふれて、体全部が軽くなることが出来ました。そして、本当の幸せを感じ、ずっとこの世界にいれたらいいなーと思いました。
○ 友達と話をしていて、精神的な話になって悩みとか聞いている時、先生のCDで学んだ事を伝えます。元来口下手で話が上手でない自分が、すらすらと答えがでてくるのです。すると友達がよく判るわとか、心が楽になったとか言ってくれて、私もとても嬉しくなります。その時いつも思うのですが、自分じゃないなという事、神様が私を使って下さっていると、つくづく思います。それ位雄弁になってしまします。そして私自身、先生のCDを聞かせて頂いているお蔭で、お役にたてる事がなんて有難いと感激しています。ほんとうに100%神様のお蔭です。


○ 初めて護摩焚きに参加したのは、5年前の4月でした。受講した一日体験セミナーの中で、護摩焚きのことを伺い、参加したいと思ったら、行き方の地図と護摩木の書き方を頂いてしまい、「自力で行くにはどうしたものか?」と思案していたら、いつも護摩のようなことには関心を示さない主人が車で連れて行ってくれることになり、子供たちも一緒に家族そろって、良く分からないままに護摩焚きに行きました。今思えば、導かれていたと思います。偶然なんてない。

 その後、某セミナーの受講により、『ありがとうございます』を唱え始め、昨年の12月23日の護摩焚きにも参加できました。今回の護摩に参加して、以前より心がますます軽くなっていると感じています。
 それは日々の日常の中で色々な出来事があっても、本当に早く『ありがとうございます』を唱えることに戻っている自分に、嬉しくて、お祈りの言葉も思わす唱えている自分に、自然に笑顔になってきます。仕事もやってみたかったことが巡ってきており、更に昨年とは比べものにならないくらい、スピードを上げなければならない状態になっています。考えるより動くことが先という状態です。まさにスピード化です。迷ってなんていられない。大変だけどやらせて頂けることが嬉しい。本当に嬉しい。非常勤の仕事で来年もあるかどうか分からない仕事ですが、毎回毎回できることに感謝して、真剣にやることが、私が生かしていただいている恩返しなんだと感じています。

 その後、家族の中で、「ありがとうございます護摩」に参加しているのは私だけですが、以前は「みんなもありがとうございますを言えばいいのに...」とか「みんなで行こうよ...」とか、相手を変えようという気持ちがありました。でも、今は、自分が祈らせて頂く役目なんだと受け入れられるようになりました。今の自分は、過去に使った言葉通りの集積であるということも、『ありがとうございます』で縛りの無い本当の自分に近づくことが最優先項目と思えてきた私。

 護摩焚きの参加と『ありがとうございます』は、私を、自分中心で、自己否定で、人生は不幸と隣り合わせだと思っていたマイナスの心から、皆さんのために『ありがとうございます』を唱えることが本当の幸せだと思うようになってきました。こんな大きな気付きを頂いたことに感謝で一杯です。これからも益々『ありがとうございます』と一緒です。ありがとうございます。


○ ありがとうございます護摩の開催は、地方に住んでいる者にとっては、全国の同志とお会いする唯一の場となり、いつも大変楽しみに参加させて頂いています。それと同時に、参加させて頂くごとに、神さまからの光のエネルギーを一杯浴び、あらゆる分野において、視野が格段と広がってきました。今までは漠然としていた「人間」「宇宙」「神さま」ということが、少しずつ、より深く理解出来てきた。人間の「いのち」は永遠であるという事は、なんとなく解っていたが、先生のお話の中で、「いのち」は無限億分の一の速さで、新しく、新しく、その都度、全く新しい自分に生まれ変わっている、という言葉が耳に入った瞬間、ストーンと腑に落ちたことが、今でも鮮明にその時の感覚が残っている。

 この現実の世界(虚の世界)の神さまと真(まこと)の世界の神さまとあるが、すべては真(まこと)の世界の中にあった。真(まこと)の世界だけだった。すべてはひとつだった。この宇宙空間では、シリウスやプレアデスなどの近隣の星団までにしか意識が向いていなかったが、宇宙は無限の無限の、想像を絶する広がりがあった。人間は、真(まこと)の神さまの真(まこと)の自分そのものだった。「ありがとうございます」の奥の深さと広がりが、少しずつ理解出来てきた。「声なき声」「閃き」「直感」が参加させて頂くごとに多くなってきた。「与えて与えて与え尽くす自分になろう」という意識が湧いてきた。


○ 「世界平和のひな型を奉納する」というお言葉を嬉しくありがたく聞きました。長い間、この時を待っておりました。皆さまのプラスのお祈りを生かして種々の御光を注いでくださることを本当にありがたく存じます。心から感謝を捧げつつ一瞬一瞬新たに祈りの日々を歩んで参ります。
  ありがとうございます。

○ すべて神さまのおかげで、内なる神にのみ頼ることができるようになりました。まわりのすべてを神さまの顕れと拝み、この地球を外からただ眺めているというような感覚です。全大宇宙の神さまの愛の表現の素晴らしさと、神さまの愛の深さに一瞬一瞬、ただただ、感動するばかりです。
  ありがとうございます。


○ 仕事を探しても見つからなかった友人が、私にリンゴをあげようと思って買いに行ったら、そこで、そば屋さんから声をかけられとんとん拍子に仕事が決まりました。真(まこと)の神さまの助けに違いありません。無限の無限の感謝、ありがとうございます。


○ 護摩焚きの日の当日、仕事で参加することができなかったのですが、仕事中にとても良い気分でいられたことがあり、何故だろうと考えていたら護摩焚きの日であることに後で気が付きました。その事により、護摩焚きとは、とても強い力があるのだと感じました。


○ 平成3年に初めて先生にお会いさせていただきました。本当にあたたかいお人柄に接し、私も心があたたかくなりました。先生の神々しい佇まいは、私には神さまのように見えました。ただ、先生のお話の通りに行動できず、一人で悩みもした時もありました。これからはいつも真(まこと)の神さまを信じ、まっすぐな気持で日々を過ごしてゆきたいと思います。感謝の真祈りを護摩木に込めて修行します。ありがとうございます。


○ 私の信仰に対して、最初の頃は、自分を取り巻く人達が本当に信用できるものかどうか、ずいぶん心配していたようです。しかし、今では護摩焚きに参加する時なども快く送り出してくれるだけでなく、いろいろと協力してくれるようになったことは、本当にありがたいことです。
 家族はもちろんのこと、親類・縁者のみんなが、お蔭様で元気にしておりますが、今、思い返せば、病気が見つかっても、いずれも早期発見で、大事に至っておりません。その中には、奇蹟的に発見されたものもいくつかあります。
「真(まこと)の神さまは、絶対の愛である」という確信がだんだんと深まってきています。それは自分が真(まこと)の神さまに素直でいられる時のみならず、深く反省しなければならない時でさえ、いつも辛抱強く、見守り、信じて導いて下さっていると痛感するからです。


○ 真(まこと)の神さまの愛の光を与えてもらっている気付きを与えてもらって、護摩木に真(まこと)の「ありがとうございます」を、真(まこと)のプラスの言波を心の奥底で祈り、一つ一つ必要な言霊・言波を必要なだけ、真(まこと)の自分を言波にして書いていると、真(まこと)の神さまの愛の光を与えてもらって新たな一瞬全体のみんなの身体のごみを本当に必要なだけ出してもらって、体も完璧な護りに護っている真(まこと)の神さまが真(まこと)の新たな自分、ありがとうございますです。
みんな真(まこと)のありがとうございます。真(まこと)の神さまありがとうございます。絶対の中心から新たに全方向に降り注ぐ真(まこと)のプラスだけ、ありがとうございます。新たな一大循環の愛の相象だけ、ありがとうございます。新たな今ここが真実の真(まこと)の神さまの世界だけ、ありがとうございます。100%すべて完璧・完全・無限力、ありがとうございます。一に実行、二に実行、三に実行あるのみ、ありがとうございます。


○ 2003年より、「ありがとうございます」を、お唱えさせて頂いて以来、下記のようなことを感じる毎日です。
①現れて来る過去(現実)を新たなる「一大循環の愛の流れ」と観ることができるようになっている。
②居心地の悪い思い・感情に「ありがとうございます」をすぐさまぶつけてゆく。しばらくしてそれらは消えてゆき、楽になる。
③人と自分の違いをみるのではなく、今この時代この瞬間に、共に生きている仲間として、いとおしいと感じて、愛の一体感を自覚している。

 これからも「ありがとうございます」道をきっと歩き続けて参りますが、その道すがら出会う「未知なるもの」にワクワクしております。


○ 「ありがとうございます」の言葉を唱えているうちに、マイナスの思いが消えている事に、最初の頃は何回も気づかせていただきました。「唱えている人には分かる」という意味を実感させていただきました。気持ちがとても楽になり、思いが消えているのを体感させていただきました。
 そして「ありがとうございます」の意味の理解を少しずつ深めさせていただくうちに、真(まこと)の神さまの存在を少しずつ感じられる自分に高めていただいているように思います。また、自分のまわりのマイナスの姿がすべて自分のマイナスを軽くしてくれるために現れた真(まこと)の神さまの愛のすがたであるということが、「ありがとうございます」を唱え続けていくうちに実感として理解できるようになってきていると思います。
 「ありがとうございます」の言葉を唱えることで、自分に起きることは、すべて自分の責任であるということへの理解も深まり、なにか起こっても内省することで、自他ともに傷つけることが無いように少しずつですが、できるようになってきていると思います。
 「ありがとうございます」の言葉に戻ることで、様々な想い、こだわりを手放して、今のこの瞬間に真(まこと)の神さまとの出会いを感じられる事は、これ以上の幸せは無いと思います。真(まこと)の神さまと先生のお導きに心より感謝申し上げます。
  ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!


○ 主人の父と同居していますが、以前父からの言葉で深く傷つき、嫌っていましたが今はベッドでの生活となり、介護が必要です。そんな父をこの護摩の後より、不思議と優しく接することができるようになり、愛しくさえ思えるようになりました。ありがとうございます。


○ 護摩木に「ありがとうございます」と祈りを込めて書いています。なにも余計なことは考えず、ただ無心に書いています。つかんでいた余計なことが取れていき、解放感で一杯になり"ありがたい"幸福感が満ちていきます。自分を苦しめているのは、虚につかんでいる私欲の心であることが護摩木に「ありがとうございます」を書きながら思います。そして護摩に参加するようになって八年になりますが、参加する意味もだんだん変っていっています。初めの三年は、年に一回の参加でした。四年目からは、年に三回必ず参加させていただいています。たくさんの方々と一緒に神さまに「ありがとうございます」と感謝の真祈りをすることで喜び一杯になり、参加しないともったいないような気持ちになってきたからです。"ありがたくて、ありがたくて、本当にありがたい"ことに出会えるからです。自分ではどうしようもすることができなかった我欲の心を、少しづつ、消し去って下さる、ありがとうございます護摩にこれからもずっと参加させて頂きたいと思います。ありがとうございます。


○ 忙しい日々に追われ、わずかな時間を確保して護摩木を書かせてもらっています。老いた母も孫たちも書きます。年に一度何とか護摩焚きに参加させていただけます。皆さんのありがとうございます護摩の炎がなんてきれいなのか!そしてとても素直になれるんです。無色透明とまではいかな
  いまでも、限りなく近い白と言った感じの自分になれます。もっと、もっと参加したいです。


○ 出発は私と妻とお袋の3人の名前で、思い出した日に「ありがとうございます」を一語記入していました。その後、会社の名前、長男夫婦、長女夫婦、孫、家内の両親、妹・・・・・と今は9枚の護摩木になりました。それも最初からしばらくの間、ゴミが道端に落ちていた場合に"まわりの人の視線を感じながら拾っている人"のようでありました。今は違います。習慣は第二の天性と言われますが、朝5時には祈りながら書いています。今や私の日々の出発の最右翼の絶対の行為です。護摩焚きに送りますが、書き終えたものをテーブルの上に並べますと"ちょっとした感動"を覚えます。楽しみです。


○ 護摩焚きで先生のお話を聞いていると、無限の可能性を感じ、希望が膨らみ、勇気が湧いてきます。自分の抱えている悩みなど取るに足らない小さなことだと思えて現実社会に振り回されず、真(まこと)の世界、真(まこと)の自分だけを見つめなければ・・・という気持ちが湧いてきます。
○ 12年前に初めて連れてきていただいてから、徐々に真祈りを祈らせて頂けるようになって、その間引越を5回しました。物や人や、情が土地をつかまず、手放す練習を沢山させていただけました。与えっぱなしの練習にもなったように思います。


○ 怒りっぽかった人は起こらなくなり(奇跡です!)お祈りの底知れぬ力を感じさせて頂いています。ありがとうございます。笑顔と笑いだけの家族にして頂けました。


○ 幼かった息子たちも今は社会人となり親となりました。その成長の中で「ありがとうございます」を一緒に学ばせて頂き、感謝の心は親子の絆、人への絆として育ち、息子たちを世の中にお返しした今もなお書かせていただける護摩木。護摩木にいろいろな思いを馳せて書かせて頂いているうちに思いが全て消えていきます。マイナスが消えていく。プラスだけが残る。護って下さっていることのみを実感します。
 去年の夏の護摩焚きに参加させて頂いた時のこと、まるで脱皮をしたような感覚で、新たな自分を感じました。背から頭にかけて光を感じている。輝いている。新たに新たに輝いている。そのものでした。輝いている一瞬一瞬を繋いで今年もサンサンと輝いています。次回の護摩焚きに参加させていただけることを何より楽しみにしております。ありがとうございます。護摩木への道を開いて下さったきっかけは、友人でした。そしてたくさんの方々が協力して下さっています。いつの間にか30年。していただくばかりで護摩木を書かせていただけることと、ありがたいこの御縁に、深く深く感謝しています。


○ いつも素晴らしい方向へ導いて感謝の思いで一杯です。家族が感謝の心で実感いたしております。そして言葉の大事さをかみしめています。考えている方向へ事が進むし、疑問に思っている事が偶然にもテレビや新聞でその件の答えを見たり聞いたりで、不思議に思うことがたくさんございます。いつも神さまに助言を頂いている感じです。平穏な心でいられますし、何事も自然体です。地球上のすべてが平和で幸せであるようにとの思いで一杯です。「ありがとうございます」に出会わせて頂き本当に感謝いたします。


○ その時その時、与えられた仕事や人との出会いを、神さまからのプレゼントとして、逃げずに受け入れ流す練習は、とてもハードだったので、常にお祈りモードで、人と接して生活をする、良い訓練をさせて頂きました。大循環の入れ子構造のお祈りを教えて頂いたころから、全ては大きな流れの中に在り、  呼吸を止めない光一元に見る真(まこと)の神さまとしての自覚・与え尽しの愛に意識を置いて、沢山沢山、気付きが増えてありがたいばかりです。


○ 最初の頃は、ありがとうございますを唱えていても、御利益信仰だったなと思います。それから本心開発のお祈り。我を消してプラスの言葉だけを使う練習をしていても、まだ自分が悟りたいというお祈りだったと思います。今は神さま側、与える側に立つお祈り。全てを、どんなマイナスに見える事も最高のプラスに見て、虚の世界を無くしてしまうお祈り、真実の世界に戻るお祈り。真(まこと)の神さまと一体化するお祈り。どんどん高め上げて下さってありがとうございます。


○ 朝起きてから集中して護摩木を書けた日は、なぜか一日物事がスムーズに進んでいきます。護摩木を書くことにより集中力が増して、頭がすっきりするような気がする。いつもありがとうございます。


○ 過去をつかまなくなりました。


○ 2005年8月7日午前3時の御神事に初めて参加させて頂きました。受付を済ませ、午前3時の開始までに待つこと3時間、夏でも深夜は寒く防寒具を身につけ、石段に席をとりました。あたりは漆黒の世界でした。見上げれば、星だけが燦々と煌いて何かを語りかけるようでした。突然、星空に流れ星の如く白光がユックリと本当にユックリと、約5~6秒間もかけて現れては消え、また現れては消えるということが5~6回ほど、不思議な神々しい白光の天体ショウに魅せられました。そして午前3時に待ちに待った「ありがとうございます護摩神事」が始まりました。
 まだ明けやらぬ暗闇にチロチロと小さな炎が燃え始め、そして人の背丈を超える数メートルの大きな炎となり、各自が護摩木をくべる時には、パチパチと大きな音と共に強火で熱くて近づくのも大変でした。その炎の型は龍にも見え、時には不動明王にも、鳳凰にも見え、深紅の炎の光が強烈に眉間に刷り込まれております。午前4時半ごろにようやく辺りの木々が、岩が、草々が眠りから覚め物体の型がうすぼんやりと現れてきました時に、「ありがとうおじさん」の姿が見え参加されている大勢の方々が、握手を求め、又会話する為に列をなしていました。当然私たちも並び握手をさせて頂きました。その手の大きさ・厚さ・温かさにびっくりしました。まさしくこれこそ「神さまの手」だと!そしてどなたにも優しく微笑み温かく親しげに話しかけておられ、その円満な福相の御姿は、まるで布袋様、弥勒様の化身(化神)と思われました。
 その後夜が明けて正面舞台で神さまへの奉納の舞・歌・音楽演奏が繰り広げられ、参加者皆様が神秘的な護摩神事の余韻を楽しんでおられました。広場ではボランティアの方々により、おにぎり・うどん・そば・味噌汁等が無料でふるまわれていました。この一夜の出来事は自分が常識として知っている世界を超えた出来事で荘厳な神さまの世界を垣間見たような感じを抱きながら帰路につきました。


○ 最初に訪れたのは、7,8年前。その村には神さまがいると、耳や目にしてお会いしたくなりました。その時は漠然としていましたが、夫婦間のこと、子供のこと、50代になろうとする自分のこれから。全て空しく感じていました。そこに私自身の性分が、人と接し会話するのが苦手、相手の心に寄り添うことが苦手、自分は頭が良いと思われたい(内心、劣等感で一杯)、決めることが苦手で、口に出してからも、心の中でああしたらこうしたらとの迷いだらけで一杯の自分がいました。
 今の心境はどう変化したのか。ありがとうございます村に、ありがとうございますのお祈りに徹する先生(神さま)がいらっしゃり、神さまに奉仕する村人が生活していらっしゃいます。その村に出向くことで、一緒にお祈りし働くことで、自分はただただ軽やかになり、内側から輝いて来るのです。村を去り、日々の生活に戻ると、いろいろな思いが集積し、重苦しく、迷っている自分に気付きます。神さまの前に座ると、言い知れぬ感動が湧いてきます。その時その時の自分自身の心境や、奉仕の姿勢によって、感ずることは違いますが、"ああ、こうして一瞬も休みなく祈って下さっている。ああ、ありがたいなあ。ああ、ありがたいなあ。ああ、ありがたいなあ"と、この時が何物にも替え難いです。
 知らず知らず、前向きな明るい自分がいます。知的・精神障害を持った大人の施設で働いていますと、様々な問題が生じます。まして、私はそうした勉強もしておらず、私自身が、かつては自律神経失調症で入院したことがあったのです。よろいを身につけて、40代後半に就職したこの職場で、次第に裸になれて来た自分がいました。今も仕事をしていられるのは、ありがとうございますに出会えたからに他ならないのです。
  ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。


○ 素直にアホみたいに一途に理屈抜きで、ただひたすら「ありがとうございます」のご神名を呼び称え、どんな自分に不都合に見える事柄にもプラスの要素を見出し、プラスの言葉に翻訳することで、全て言葉通りになるという、信じられないような出来事や奇蹟が起きたと思われる現象が、現実となりびっくりです。こんな簡単なことで、しかもお金も要らず、力も要らず「ありがとうございます」を称えるだけで結果が頂けて、心より充実した幸せを感じる毎日でございます。この喜びと幸せを一人でも多くの方に体験していただきたく、また物資の世界でも無く、本当の幸せを手に入れて頂く為に護摩御神事のご紹介をさせて頂いております。

 大調和させた神さまの愛の働きにより、生かされていることに気づかされ、もう感謝、感激、感動、歓喜し、無限の無限の「ありがとうございます」の言葉のみがこみ上げるのみです。


○ 今回の護摩焚き(平成24年12月23日)は、今までとはケタ違いの光が降り注いでいるような気がしています。与える祈りを試みているせいもあるのかもしれませんが、毎日が驚きの連続です。

① 真(まこと)の神さまに完璧に守られている実感があります。全て先回りして、助けて下さっています。
② 時間に取り残されることが無く、予定通り、いや予定より早く、物事が順調に進んでいきます。
③ 行動が変わりました。習慣も変わりました。
④ マイナスの感情が出てきても、サーフィンのようにひょいひょい乗り越えてゆけます。
⑤ 思ったことが、すぐ実行できるようになりました。
⑥ 物事にとらわれることが無くなりました。日々、起きている現象をただ眺めていられると言いますか、川の流れのように見ることができるよう
になりました。
⑦ どんどん自分が変わってゆけるという確信があります。こんな感情は今までに無かったです。
⑧ 気付きがどんどん起こります。例えば、護摩木の表に書く言葉。あれは本心の自分そのもののことなんですね。真(まこと)の神さまと一体の自分そのも
ののこと。
⑨ もともと自分は、与える祈りをしていたんだということに気付きました。今までは、求めるばっかりだったのですが、それは黒い雲が本心の自
分を覆い隠していたが故のこと。それが追い払われたら、本心の自分が出て来るんだと思いました。
⑩ これからどんな人生が始まるのか、喜びで一杯です。

以上が最近の感想です。


○ 本当に今回の護摩焚きの力はすごいです。そして、先生のお話を聞く事が無かったら、深い理解力は得られなかったと思います。本当にありがとうございます。私は約10年お祈りを続けてきました。最初は病気を治してもらいたいだけで始めたお祈りでした。その後(治していただいた後)、過去世のカルマの精算をして、今、再出発のスタートに立った感じがしております。今回も早くも護摩木を書きあげることができ、この手紙と一緒に同封させて頂きます。私の書いた護摩木が、人々に光を与えることができ、この世の人々に幸せをもたらすことができますよう。ありがとうございます。


○ ありがとうございます護摩は、真(まこと)の神さまと出会う為にあるということが、回を重ねる毎に、強く実感させられます。真(まこと)の神さまの筆舌を超えた、愛の大きさ、深さ、凄さを、回を重ねる毎に強く実感しています。真(まこと)の神さまの全体像が大きく浮かび出てきて、過去の小さな捉え方が、いかに無礼千万・無礼億兆であったか、心底から深く反省ざんげしています。

 真(まこと)の神さまの絶対の愛は、新たなる無限の無限の愛は、真実の世界のすべてから、虚の世界のすべてから、全方向から、らせん状に、ところてん式に、一大瀑布となって、常に常に降り注ぎ、無限のスピードで循環しているという実感を、どんどん大きく深くして頂いています。本当に感謝感激雨あられです。本当に真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)の神さまの愛の相象だけ、ということに、無限の無限の至福感が一杯!です。

 真(まこと)の神さまに対して、恩返しを忘れ、恩を仇で返し、ありがとうございますを捧げることを忘れ、マイナスの言葉を投げつけて来たことが、どれだけ傲慢極まりない生き方であったかと、深くお詫びする次第です。真(まこと)の神さまの前に一対一の関係で立つ時、虚の世界のすべてのマイナスが、どんなマイナスも、自分自身のマイナスであることが、明白に判らせて頂けて、とても幸せです。過去の無限の年月の間に、マイナスの言葉を無限に駆使し、無限に積み重ねて来た結果が、今自分の見ている虚の世界であるということに、万感のざんげの心で一杯です。

  これからは真(まこと)のありがとうございますを、無限に無限に一杯捧げ続けて、真(まこと)の報恩感謝にいのちを捧げます。
 自分が与える側に立って、真(まこと)の世界のすべてに、虚の世界のすべてに、真(まこと)のありがとうございますを捧げ尽くせるようになってきたからこそ、真(まこと)の世界のすべてから、虚の世界のすべてから、真(まこと)の神さまの愛を感受できるようになったのだということを、深く深く実感させて頂いています。

  全て自分次第、自分のすがたでした。

  ありがとうございます。無限の無限のありがとうございます。

 求める心、受ける心の時は、本当に何も判っていなかったのです。与える心になってはじめて、本当の真実が判りはじめたのです。与える心で祈る凄さが、無限倍の凄さなのだと何億年以上護り導かれてやっと判らせて頂きました。言葉になりません。感涙にむせぶだけです。








 この世はあの世の万分の一の縮図です。
 あの世では一階層昇る為にも、大変な苦労と長い年月が必要です。
ところが、この世の光の柱を通して昇る時は、万分の一の苦労と年月で済ましていただけるのです。
 祈り人のいる縁者は、どれだけ幸せか、想像を絶するものがあるのです。あの世の何十万人の代表として送り出されたこの世の人が、お祈りをしてくれる
ようになるということは、あの世の人にとっては、何物にも替え難い、無限に有難いことなのです。
 縁がある、波が合うということは、真(まこと)の神さまの救いの光を、与える為にも受ける為にも、絶対必要不可欠なことなのです。
 「一人出家すれば、九族天に生まれる。」
 「一人お祈りすれば、数十万人の縁者が救われる」


九族 : 高祖父・曾祖父・祖父・父・自分・子・孫・曽孫・玄孫






ありがとうございます護摩は  真(まこと)の神さまの無限に強烈な光を  柔かい優しい光のシャワーに変えて

    宇宙のすべてを  苦痛少なく救い上げる為に  特別に用意された  愛の救済法です