ありがとうございます 神書 4-7   無限の無限の感謝が無限に無限に一杯!

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何が起こっても揺るがない不動の心


 不動の堅信(神さまの愛を堅く信じること)は、正しい信仰によって得られるのです。


 何が起こっても揺るがない不動の心になる為には、本心の心の自覚を深めて、自分のすべてを、神さまに捧げ尽くしていなければならないのです。


 神さまに全託できた時に、感謝一筋の不動心になれるのです。この世の七難八苦は勿論のこと、地獄の極苦をも喜んで受けられる自分にならなければ、自分のすべてを捧げ尽くしたことにはならないのです。


 神さまの愛を深く信じていると言っても、その信じ方は千差万別なのです。


 自分の身の上にマイナスの起こらないことを願う心が少しでも有れば、本当の全託では無いのです。そこには大きな自我の願いが、顔を出しているのです。




 自分の救われを願う小さな生き方は、求める業想念の心に陥り易いのです。


 地獄に落ちているすべての人々を、身代わりになってでも救いたいと願う大きな生き方が、与え尽くす本心の心を輝かすことになるのです。


 自分の救われを優先させる小乗的な生き方は、業想念の心の信仰です。


 他の救われを優先させる大乗的な生き方が、自他一体の愛の心を生きる本心の信仰です。




 みんなを救う為に、みんなを悟らせる為に、みんなを幸せにする為に、自分を与え尽くす生き方が、本心の心でする正しい信仰なのです。


 正しい信仰になれば、神さまの無限の加護を受けて、心が安らかになるのです。


 自他一体の愛の心を生きる大きな自分が、本心の心の自分です。


 自他を分離して見る、利己的な小さな自分は、業想念の心の自分です。


 本心の心をしっかりと生きて、本心の心でする信仰が、本心開発の正しい信仰なのです。


 本心の心の立場から、いつも全体を眺めて、神さまの御心を現す(プラスを加える)ことが大切なのです。


 今自分の置かれている場に、プラスを加えてゆくことが、自分に与えられた天命なのです。


 マイナスをプラスに置き換え、プラスを更に大きなプラスに置き換えてゆくことが、本心の自分を大きく輝かす為の修行にもなるのです。


 本心の自分を大きく輝かせることによって、真(まこと)の安心立命・不動心が得られるのです。




 周りのすべてを、神さまの現れ・神さまそのものとして、拝むことによって、無限の無限のプラスを加えてゆくことができるのです。


 拝むことによってのみ、本当の意味のプラスを加えてゆくことができるのです。


 現実に執着する業想念の心では、拝むことはできないのです。


 だから今現れている以上のプラスを加えることは、不可能なのです。


 現実に処するだけの生き方では、業想念の心の奴隷になって、運命のままに流されているのです。




 『みんな天照大御神! みんな全徳の無限の無限の輝きで一杯! ありがとうございます』と拝み続けることによって、神さまの御心を現実化してゆくことが、本心の自分のする正しい信仰なのです。