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人の噂は決して信じてはいけない


 人の噂は決して信じてはいけないのです。自分の本当に信頼している人が、実際に確かめたものであれば、自分の全責任の下に、その人を信じて受け入れるのも良いことです。もし間違っていても、その責任を喜んで取れるからです。しかし大事なことであれば、自分自身が直接に確かめるべきなのです。人の噂というものは、その出所の元を辿っても、誰一人としてその責任を明確にできる人がいないものです。人の噂として流せば、何を言っても、自分には責任が降りかかって来ないのだと思っているのです。だから自分勝手な考え・思いを噂を隠れ蓑にして、表現しているのです。




 ところが実際は、自分の口から出た言葉に対する責任は、必ず自分自身に降りかかって来るのです。仮に噂として流しても、自分自身がその噂を正しいものとして受け入れ、自分の考えとして他に伝えていることになるからです。噂に同調したということは、その噂を流した者と同罪になるのです。正しく白を白と言っても、黒を黒と言っても、反対に白を黒と言っても、黒を白と言っても、自分の言った言葉が引き起こす結果に対しては、その責任はすべて自分自身に降りかかって来るものなのです。




 人からの伝言を聞く場合も、そのまま鵜呑みにしては間違うものです。自分自身が直接に聞く場合でも、相手の意向を正しく汲み取ることは難しいのです。ましてや他人が間に入って、間接的に聞く場合には、相当なずれが生じるものなのです。Aからの伝言をBを通して聞く場合は、Aの伝言を聞いているのでは無く、Bの考えを聞いていることになるのです。もし自分にとってBが信頼できるのであれば、Bの考えとして受け入れたら良いのです。受ける側の自分に、すべての責任があるのです。何故ならAがBに伝言を依頼していない場合もあるからです。もしAの伝言として受け入れるのであれば、自分で直接にAに確かめる必要があるのです。




 仏教に如是我聞という言葉があるのです。お釈迦様の真理の説法を、弟子達はそれぞれに、自分はこのように聞いたというように、謙虚に他に伝えているのです。お釈迦様がこのような説法をされたというのは、間違った表現なのです。お釈迦様の説法を自分はこのように聞いたというのが、正しい表現なのです。人の言葉を他に伝える場合も、あの人はこのように言った、というのは間違いなのです。あの人の話を自分はこのように聞いた、というのが正しいのです。どのような話を伝え聞く場合も、直接に対話している人の考えだけを、自分は聞いているのだということを、肝に銘じておく必要があるのです。




 直接に伝える必要があれば、必ず自分で直接に伝えるべきなのです。直接に聞く必要があれば、必ず自分で直接に聞くべきなのです。