ありがとうございます 神書 4-44   無限の無限の感謝が無限に無限に一杯!

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業想念の心に負けない自分


 現実の自分の未熟さ・至らなさにも気付かないのが、高慢な心・無知なる心・業想念の心です。現実の自分の未熟さ・至らなさに気付いていても、それにしがみついて、神さま(天の自分・守護神・守護霊)の助けを受けようとしないのが、卑下慢の心・後ろ向きの心・マイナス思考の心・業想念の心です。どちらも業想念の心の奴隷であって、業想念の心に負けているのです。




 業想念の心に負けない自分・本心の心の自分というものは、他からどんなに褒められようとも、決して有頂天になることは無いのです。現実の自分の未熟さ・至らなさをひしひしと感じて、謙虚に謙虚に、どこまでも謙虚になるのです。そして神さまの助けを受けて立派になろうと、真剣に精進努力し続けるものです。本心の心が輝けば輝くほど、理想と現実の違いが大きく感じられるのです。何故なら本心の心は理想の姿を十二分に知り尽くしていて、現実との違いがはっきりと判るからです。本物を知る者のみが、本物と偽物の区別ができるのです。偽物しか知らない者は、偽物を本物と思い込もうとするのです。




 他から褒められたい・他から良く思われたいと願う心は、業想念の心なのです。他から褒められて有頂天になるのは、業想念の心なのです。虚栄心をくすぐられて喜んでいるのは、業想念の心なのです。謙虚な本心の心は、どんなに褒められても、決して現実の自分を褒められたのだとは思わないものです。どんな褒め言葉も、理想を現実化する為の種蒔きの言葉であると、謙虚に謙虚に受け止めて、その種をしっかりと育て上げようとするものです。自分の心という畑にしっかりと蒔いて、大事に大事に育て上げるものです。褒められたことを自慢げに他人に言い触らすのは、自分の心に蒔かれた種をほじくり返して、棄てたことになるものです。折角蒔かれた大事な種も、他からの逆念によって、消滅してしまうことになるのです。




 他からどんなに貶されても、他からどんなに悪く思われても、感謝し・喜んでいたら、自分の心の中のマイナスの種を、どんどんほじくり出して消し去ってもらえるのです。




 本心の心の自分は、他から貶されるほど大きく喜び、他から褒められるほど謙虚に反省するのです。同じ本心の心の自分であっても、天の自分と地の自分とは役割が異なるのです。天の自分は、新たな全徳の無限の無限の輝きとなって、大きく広く与え尽くす役割です。地の自分は、謙虚に謙虚に、どこまでも謙虚になって、感謝を無限に無限に深めて、天の自分の助けを受け入れる役割です。天の自分の与えて来るものを、地の自分が受けることによって、理想が現実化されるのです。真(まこと)の感謝は、天の自分と地の自分の働きを同時に行うものであり、天の自分と地の自分を一つに繋ぐものなのです。