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真祈りのできる自分に成る


 業想念の心の奴隷状態から、本心の心の自分に戻るチャンスは、滅多に訪れて来ない貴重なチャンスです。そのチャンスを活かして、本心の心の自分に戻れるかどうかは、真剣に取り組むかどうかで決まるのです。本心の自分に戻るということは、真祈りのできる自分に成るということです。その為には、真祈りとは何かを、正しく理解することが大切です。間違った先入観で、祈りを理解しているつもりでいたら、いくら祈りの練習を積み重ねても、逆効果になるのです。マイナスの言葉を使ったり、願いごとに思ったり、目的が御利益を得ることであっては、間違った先入観で観ているのです。




 真祈りとは、宇宙絶対統一神・天照大御神を、一瞬一瞬新たに、感受することです。新たなる全徳の無限の無限の輝きを、感受することです。だからこそ真祈りには、無限の無限の絶対価値があるのです。真祈りと比較したり、真祈りに追随できるものは、何一つも無いです。真祈りは絶対であり、すべてなのです。真祈りのできる自分になる為には、自己のすべてを捧げ尽くして、真剣に取り組まなければならないのです。




 先ずは本心と業想念の違いを明確にすることです。譬えれば本心は太陽であり、業想念は雲です。業想念の雲をすべて消し切らなければ、本心の太陽を感受して一体化することはできないのです。業想念の雲を掴んで、その中に沈潜しているようでは、永遠に本心の自分には戻れないのです。それでは常に七難八苦や地獄の苦痛が付きまとうのです。業想念を自分と錯覚しないで、業想念の雲を消し去る立場に立つことが大切です。




 業想念を消し去る為には、祈り言葉を駆使して、守護の神霊の加護を受けることが必要です。それには過去世から積み重ねて来た、無限とも言える業想念(マイナスの想念行為の集積)を、自分自身が全責任を持って消し去るのだという、一大決意を示すことが大事なのです。自分自身が何の努力もしないで、助けを待つだけでは、守護の神霊の加護は無いのです。真祈りの練習・訓練・修行によって、初めて祈れる自分に成るのです。だから守護の神霊の加護を信じて、先ず自分自身が全力を尽くして、真剣に行じることが大切です。




 真祈りの練習・訓練・修行は、死に物狂いで・命懸けで・脇目も振らず・一心不乱に・真剣に取り組んでこそ、目に見えて効果が挙がるのです。熱湯を加え続けてこそ、片栗粉も透明になるのです。芯から燃え盛ってこそ、すべてを焼き尽くせるのです。寝食を忘れて、二十四時間ぶっ続けで祈れるようになれば、プラスアルファー(神さまの加護)を感受できるようになるのです。そのような自分にいつ成るかが、最も重大な課題です。先へ先へと先送りして、この世で祈れる自分に成らなかったら、折角のチャンスを無駄にして、捨ててしまったことになるのです。あの世では、二度とチャンスは無いのです。