ありがとうございます 神書 4-12

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本心の心を生きるか、業想念の心を生きるか


 人は常に、本心の心を生きるか、業想念の心を生きるか、二者択一を迫られているのです。本心の心を生きれば、大きな宇宙が自分になり、無限の無限の幸せで一杯!になるのです。業想念の心を生きれば、小さな個我が自分になり、七難八苦に見舞われるのです。今の一瞬を、どちらの心で生きるかが、問題なのです。本心の心は、お祈りを最優先にして、神さまから必要なものを受けて、それを他へ与え尽くすのです。業想念の心は、自分の願いを最優先にして、この世から欲しいものを横取りして、自分の所有にしようとするのです。どちらの生き方を実行するかによって、幸・不幸が決定されるのです。本心の心を生きれば、幸せへの道を歩んでいるのです。業想念の心を生きれば、不幸せへの道を歩んでいるのです。




 本心の心を生きる為には、『お祈りを実行する』ということが大事なのです。お祈りを実行するということは、必要なものはすべて、『神さまから受ける』ということです。一瞬一瞬新たに新たに、すべてを神さまから受け直せるようになれば、お祈りを実行して、本心の心を生きていることになるのです。個我の願い・思いを生きているのは、業想念の心を生きているのです。それではお祈りはできないのです。この世へ心が向いていては、お祈りにならないのです。お祈りは、心を神さまへ向けることです。この世へ向いている心を、神さまの方へ向け変えてゆくのが、お祈りの練習です。お祈りのできる自分になる為には、個我の願い・思いを一旦は捨て切って、この世への未練を断ち切って、神さまだけを思い続けることが大事なのです。




 お祈りのできる自分になることが、一番幸せなのです。神さまが与えて下さる、新たなる全徳の無限の無限の輝きを、感受できる自分になることが、一番大事なのです。他のことはすべて、枝葉の些細なことです。今自分自身お祈りができているかどうかが、一番の問題なのです。




 お祈りのできている自分であれば、悩んだり、迷ったりすることは、決して無いのです。お祈りのできている自分であれば、すべての問題は解決しているのです。業想念の心で幾ら考えても、悩んでも、迷っても、良くなることは決して無いのです。それよりもお祈りのできる自分になることが必要なのです。お祈りの練習をもっともっとしなければ、お祈りのできる自分にはなれないのです。お祈りの練習に最大限の努力を払うことが、この世の幸せを掴む為の、一番の近道なのです。




 この世から横取りした幸せは、直ぐに消えてしまうのです。神さまから横取りした幸せは、永遠に持続するのです。他人のことを云々するよりも、お祈りのできる自分に、どうすれば早くなれるかを、しっかりと考えて生きなければならないのです。